第1話「夢」
アルバーノ様に呪いをかけていた悪夢を、どうやっておびき出すのか。
そんなことばかりを考えていた日々が、既に懐かしい。
だいぶ昔の出来事のような気がして、更に付け加えるなら自分が体験したことではないような気さえしてきてしまう。
他人が起こした物語を聞かされたような、そんな気分。
(……なんだか、寂しい……)
自分は独りだと思い込んでいたポルダ家の記憶も、なんだかもう懐かしい記憶へと変化しつつあるから不思議だった。
自分は独りなんじゃないかって疑ってしまうところは今も残ってはいるけれど、そう思い込んだら振り返ってみればいいんだってことに気がついた。
(今の自分がいるのは、魔法使い様と過ごした時間があったから……)
言い聞かせる。
そうでもしていないと、まだまだすぐに折れそうになってしまうから。
独りじゃないはずなのに、自分は独りでこの世界を生きていかなきゃいけないって思い込みに負けそうになってしまう。
「アルバーノ様が、名前を覚えてくださって……」
「表情が柔らかくなられて……」
「手を動かしなさい、手を」
メイド長のサリアムが、メイドたちを叱咤する声が聞こえてくる。
その叱咤する声ですらも、どこか柔らかい。
城全体を流れる空気が、穏やかで優しいものへと変化したような気がする。
(今日も私は、窓掃除)
窓掃除が嫌なわけではなく、魔法の力を使えば窓掃除が楽に終わってしまうのではないかと安易な発想を働かせて脳内妄想を楽しんでいる。
妄想の中で掃除を終わらせてしまうのは、やはり魔法が滅びゆく力だから。
魔法を信じる力を広めるためには、魔法は掃除にも活用できますよってことを知ってもらう必要がある。
(でも、サリアムのように、戦うことを望まない人の方が多いはずだから)
魔法が使えるようになるということは、悪夢を目視できるようになるということ。
悪夢と対峙するということは、自分の命を今まで以上の危険にさらすということ。
(平和に生きるためには、限られた人だけが魔法を使った方がいい……)
それは、寂しいことだと知っている。
魔法が滅びゆくということは、魔法使い様が忘れ去られてしまうことへも繋がっていく。
それは、悲しいことだと知っている。
でも、安易に魔法を使えば、人々は魔法の力に魅了されると同時に、人々を危険に晒すことへも繋がってしまう。
「ちゃ~んと、城の掃除をしなさいよね」
こんなにも完璧に窓掃除をしているのに、何が不満なのか。
可愛らしい猫撫で声に振り返ってみると、そこには義理の姉のイシル。
「イシル。いくら妹だからといって、遠慮なく使役していいわけではないぞ」
そして、悪夢の呪いが解けたアルバーノ様の姿があった。
「これが私の愛情表現なんです、ね、エルミーユ」
イシルの口から、愛情という言葉が飛び出てきたこと。
私の名前が出てきたこと。
どちらにも驚かされたけど、晴れやかなイシルの笑顔が目に入って、返す言葉は口の中へと飲み込まれていってしまう。
「アルバーノ様、行きましょう」
「ああ」
悪夢の呪いから解放された二人から、愛情が失われることはなかった。
どこからどう見ても、相思相愛な二人。
そんな幸福感ある空気に包まれた二人を見て、自然と口角が上がっていく。
「エルミーユ、いつもご苦労」
「勿体ないお言葉です」
大勢の衛兵と、無事にアルバーノ様の護衛へと復帰されたフール様が二人に付いて回るものだと思われた。
けれど、フール様は足を止めて、呑気に窓掃除を行う私の元へとやってきた。
「アルバーノ様の護衛は……?」
「僕がいなくなったあとに来た魔法使いが、思っていたよりも優秀で」
「そういう力ある人は、都市を乗っ取るために暗躍していたりもするんですよ?」
「ははっ、エルミーユの妄想に助けられないように、細心の注意を払うよ」
誰かを助ける側に回りたいって思うだけでも凄いことなのに、フール様は自らの命を懸けてまで世界を守ることを決めた。
師匠に、どんな言葉を送ったらいいのか想像もつかない。
「アルバーノ様が助かって……本当に良かったです」
「エルミーユの活躍があってこそだよ」
「……ありがとうございます」
フール様は優しい師匠ということもあって、弟子の私に労いの言葉をかけてくれる。
でも、その労いの言葉は、私が幸運に恵まれていただけに過ぎない。
自分を過信しすぎないように、志を新たにする。
「これからも無理をしないでと、弟子に声をかけることができたらいいんだけどね」
「それが難しいことは承知しています。私はフール様の一番弟子ですから」
悪夢と戦わずに済んでいるのは奇跡的なことで、私が魔法を習得し始めたばかりのときは悪夢の襲撃を受けていた。
悪夢と戦うことが強制されていたからこそ、平和が訪れていることに心から安堵の気持ちを抱く。
「この戦いを、必ず終わらせましょう」
「弟子が勇ましい限りで、何より」
「ずっと諦めてばかりの人生だったので」
私たちの周辺で働いている人の数が少ないことを確認して、私は水魔法の力を使って手を綺麗に洗っていく。
「洗剤や石鹸の代用、見つけられた?」
「水魔法を使うときに発生する泡を、細かく細かく細かくなるようにイメージして……」
私は水魔法を発動させているだけに過ぎないのに、私の手は石鹸を使用しているときのような柔らかな泡に包まれていく。
「ほかには木の魔法の樹液、花魔法の蜜や花びらを石鹸に見立てる方法なんかもあります」
「なるほど」
人が想像力を働かせるだけで、魔法のバリエーションも無限大ということを師匠から学ばせてもらう。
答えが一つではないからこそ、魔法の楽しさをいうものを私は学んでいく。
「最初は僕がエルミーユのことを巻き込んでしまったから、僕がエルミーユに嫌なことを強いたりしたら、遠慮なく言って……」
フール様の手に、洗い立ての自分の手を重ねる。
どちらか一方の手が冷たいというわけではなく、どちらも程よい温もりを感じられる。
「大丈夫です」
「エルミーユ……」
「なんて言ったって、私は勇ましい弟子なものですから」
フール様に拒絶されなかったということは、私は魔法の力で綺麗に自分の手を洗うことができたということ。
水魔法を使用していたにも関わらず、廊下に水滴一つ落とさなかったところなんて我ながら完璧すぎると思う。




