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第6話「熱」

「liprag……」

「エルミーユ」


 攻撃を仕掛けるための火力ある呪文を唱えようとした、そのときだった。

 フール様が硝子越しではなく、杖を持つ私の手に触れられる距離で私の名前を呼んでくれた。

 高位な魔法使いが登場したことに驚いたのか、悪夢(ナイトメア)は窓をすり抜けて逃走してしまった。


「ごめ……なさ……」


 フール様に触れられた右手は下ろされ、もう魔法を発動しなくていいと合図を送られる。


「名前……呼んでくれなかったら……」

「大丈夫だから、落ち着いて」


 魔法を通して聞いていた声と、こんなにも近くで聞こえる声は、鮮明さがまるで違うと思った。

 私をなだめるようにかけ続けてくれる、この声の方が好きだと思った。


「私は……生きたいって願ってる悪夢()を……殺して……殺して……殺して」

「もう終わった、大丈夫」


 毒々しい紫色は世界から姿を消し、今は見慣れた城の景色しか存在していない。

 先程まで悪夢と対峙していたのは気のせいだって思ってしまうほど、ありふれた世界が広がっている。

 でも、悪夢と対峙していたのは事実だと伝えてくるものがある。


「フール様……」

「エルミーユの家族が関わっているのに、無理を強いた」


 私の右手は、フール様に触れられたまま。

 私の右手は、悪夢を殺そうとしていたと証明する。


「前に襲われたときは……戦えると思いました……やれると思いました……」

「勇ましかったよ。エルミーユは魔法使いとして、きちんと対応できていた」


 悪夢が去ったことで、城にひとときの平和が訪れたのなら。

 この場に誰かが訪れて、フール様を捕らえるという展開になっても可笑しくない。

 それなのに、私はフール様の腕の中に招き入れられた。


「フールさ……」

「僕に非がある。責めるのは自分ではなく、僕に」


 想像もしていなかったような展開が訪れて、溢れ出しそうだった涙が驚きで塞き止められる。


「……私も、できると過信してしまいました……」

「ただでさえ控えめな生き方をしてきたのなら、少しくらい過信してほしい」


 冷静になった思考で、私はフール様の温もりから解放されるために彼の胸元を押す。

 すると、またしても私の気持ちを汲み取ってくれたフール様は、私を温もりの中から解放してくれた。


「一旦、帰りましょう。こんなところを見つかったら、フール様の身が危険に晒されるだけですから」


 無理矢理に、気丈に振る舞ってみせた。

 作り込んだ前向きさはフール様にはお見通しかもしれないけど、悪夢を逃がした失態を反省しなければいけない。


「エルミーユ」


 距離を、取るべきだった。

 フール様の近くにいたいという気持ちが働いてしまって、私はフール様と距離を取ることを忘れてしまっていた。


「エルミーユ」


 私が離れてしまわないように、手を引かれた。

 私はまた、フール様の腕の中へと戻されてしまった。

 手にしていた杖が、ぽとりと力なく床に敷かれた絨毯の上に落ちてしまう。


「ほんの少し……あなたの熱を感じさせてください」


 私は悪夢と戦うことすらできなかったのだから、体に傷ひとつできていない。

 それなのに、まるで私の無事を確認するかのように、フール様は腕の力を強めてくる。


「こんなので、フール様が落ち着いてくださるのなら……」


 本当は嬉しい。

 嬉しすぎて、泣きたくなる。

 でも、このままではいられない。

 イシルの意識が回復する前に、誰かが駆けつける前に、私はフール様の腕の中から抜け出さなければいけない。


(でも、どうしよう……幸せすぎて……)


 離れることができない。

 押し込めていた涙が、再び涙腺を揺さぶるために動き出す。


「私は魔法使い、失格ですね」


 フール様の腕の中で、ぎこちない深呼吸を繰り返す。

 大きく息を吸い込みたいけれど、それができないもどかしさが更に呼吸を乱していきそうになる。


「私は、悪夢を逃がしてしまいました……」

「戦えと命じたのは、僕。戦いは強制されるべきではないと言っておきながら、エルミーユには戦えと指示をした」


 フール様の腰回りに腕を回して、彼の背中を擦ってみる。


「悪いのは、私です。お師匠様に従わなかった私が悪いです」


 首を横に振って、私の言葉を否定してくれたことが伝わってきた。


「家族を助けるか助けないか……天秤にかけた状態で、エルミーユを一人にした僕に非がある」


 フール様の背を擦っていたことを不快に思われたのか、私は一瞬にしてフール様の熱を失った。

 フール様の腕から再び解放されて、私たちは師匠と弟子としての距離感へと戻っていく。


「悪いのは、僕だ。不甲斐ない師匠で、申し訳ないと思ってる」


 こんなにも心を気遣ってもらえたのに、謝罪の言葉なんて必要ない。

 そう言葉にすることができなかった私は、フール様の言葉を否定するために首を横に振る。

 師匠がやってくれたことと同じ。

 真似をすることで、私の意思を伝えた。

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