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第4話「心臓」

「エルミーユ」


 こんなにも長い沈黙が続いているのに、サリアムとリノンは怒ったような声を出さない。

 サリアムの声は、ずっと優しい。

 リノンの声は、ずっと可愛いまま。

 こんなにも優しさを注がれてしまうと、素直に甘えてもいいのかなって分からなくなる。


「えへへ、無理強いは良くなったよね」


 今の話は、なかったことにしてほしい。

 リノンが、そんな風に振る舞う。

 無理矢理に作り込んだようなリノンの笑顔が視界に入り込んで、心が痛い。


(心が、痛い……?)


 心が痛いと思ったなら、私はどうしなければいけない?


「よしっ! 仕切り直して、チョコレートケーキでも……」

「リノン……さんっ!」


 リノンが伸ばしかけた手を、私の声が止めてしまった。

 だったら、次に私がしなければいけないことは決まっている。


「私が、チョコケーキを取ります」


 私は、近い距離で人とお話をしてみたかったんだということを思い出す。


「食べられない物があったら、教えてください。あとは、サリアムさんの好きな物も……」

「エルミーユ」


 顔を上げると、リノンがテーブルを見つめるように俯いていた。

 私の態度や言葉が、リノンを怒らせてしまったのかもしれないって怖くなった。


(でも、リノンは、そんな人じゃない)


 サリアムもリノンも、私を怖がらせるために現れた登場人物ではない。


「すっごく嬉しいよ」


 ここは室内のはずなのに、リノンは部屋の中に太陽を呼び込むような明るい笑顔を浮かべてくれた。


(私でも、リノンを笑顔にできた……)


 下働きをやっていたときは、顔の見えない誰かのために働くのが常だった。

 誰のために働いているんだろうって考えるようになったら、賃金を得るためだと言い聞かせる。

 誰かの役に立つため、誰かを笑顔にするために働いているわけではないと言い聞かせてきた。

 でも、自分でも誰かを幸せにできるんだって事実は、私の心をどんどんと喜ばせていく。


「難しい話はあとにして、今はティータイムを楽しんじゃおうっ!」

「……はい」


 こんなにも恵まれた物語が始まってもいいのかなって不安になる。

 でも、心が温かい気持ちで満たされていくのも本当のこと。


「エルミーユは真面目ちゃんだね」

「それが、彼女の良いところですよ」

「なるほど! サリアムの良いところは、堅物なところかな?」


 二人は強い絆で結ばれていても、私にとっては出会ったばかりの二人。

 そんな二人の中に異なる私が入り込んでも、二人は私を柔らかく優しい空気の中に招き入れてくれる。

 そんな二人の優しさに、深い感謝の気持ちが生まれてくる。


(いつまでも、魔法使い様に頼りっぱなしの弟子ではいられない)


 物語が、いつか終わりを迎えるために。

 悪夢という脅威が生きる世界ではなく、人々が悪夢の呪いから解放されるように生きていきたい。逃げてばかりの弱虫な私が、少しずつ変わり始めていく。


「サリアム様! いらっしゃいますか」


 平和な時間を脅かすような緊迫感のある声が、扉の向こう側から聞こえてきた。


「どうかしましたか」


 ティータイムを最後まで満喫することはできず、サリアムはやれやれといった表情を浮かべながら声の主を応対する。


「エルミーユ」


 そして私は、サリアムの威厳ある声で名前を呼ばれた。


「アルバーノ様にかけられた呪いは、おまえの仕業だと調べはついているんだ!」

「何をどう調べたら、そのような結果に?」

「この期に及んで、まだ白を切るつもりか」


 サリアムに導かれながら、大広間へと向かう。

 サリアムは部屋の中へと入っていくけれど、私は廊下で耳を澄ませるように命じられた。

 耳を澄ませば、部屋での会話が聞き取れてしまうほどの怒号が響き渡る。


(魔法を使えない人に、悪夢は認知されていない……)


 メイド長のサリアムは、魔法を使うことができると言っていた。

 それが、この場に呼ばれた理由。


(サリアムを呼びに来た衛兵も、魔法が使える人……)


 フール様の味方をしてくれる人を、衛兵は探していた。


(でも……)


 私はフール様の弟子でも、アルバーノ様が働く城の中では使用人の一人に過ぎない。

 サリアムが魔法使い様の味方をするのに適任だとは思うものの、メイド長は城の中で、そこまで地位の高いものではない。


(フール様は相当、追いつめられている……)


 魔法を使うことのできない人に、悪夢の存在を認知させることは不可能に近い。

 目に見ることのできない幽霊を信じてくださいと懇願するようなもの。


(どんなにサリアムが優秀だとしても、分が悪すぎる)


 心臓が激しく揺れ動くのを感じるけど、下働きの私にできることはない。

 魔法使い様の弟子だとしても、この事態を動かすだけの力はない。


「フール様が城からいなくなれば、アルバーノ様にかけられた呪いは解かれるとおっしゃるのですか」


 サリアムの声が聞こえる。

 フール様がアルバーノ様の元を去るようなことになってしまえば、アルバーノ様に近づく悪夢は誰が退治するのか。

 この国を揺るがすような事態が、一瞬のうちにして片づいてしまいそうなほど流れは悪いものだった。


「既に、新しい魔法使いとは契約済みだ」

「っ、フール様! 少しは抵抗をなさってください!」


 サリアムの言葉が聞こえなかったわけではないだろうけど、フール様はサリアムに対して言葉を返すことはなかった。


(このまま、フール様は……)


 サリアムとリノンと約束をしたティータイムの開催は、少し先になるかもしれない。

 この場にいないリノンに言葉を届けることはできないけれど、心の中でリノンに謝罪の気持ちを送る。

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