第2話「仕事」
「フール様は、お寂しくないですか」
女性の目が覚めるまで、私たちは狭い路地で言葉を交わすことになる。
街は太陽の恵みを受けているのに、悪夢が襲いかかってきた路地に太陽の光は差し込まない。
太陽の光を浴びることができないのをいいことに、私は尋ねづらい話を彼に向ける。
「私は父に愛されることを諦めましたが、フール様は……」
「呪いをかけた悪夢と再会できる確率は、限りなく低い」
空を見上げると、真っ青な空が広がっている。
どこかに太陽が存在しているはずなのに、見上げた青から太陽の姿を探すことができない。
「エルミーユと一緒かな。慣れた、と思う」
フール様は、いつもと変わらぬ優しい笑みを返してくる。
何も心配する必要はないといった柔らかな笑みで、他人が彼の内側に踏み入る隙を与えない。
「慣れとは……怖いですね」
彼の、手を繋ぎたい。
彼の、手を守りたい。
そんなおこがましい願いが生まれてくるのが分かるけど、先ほどの戦闘で自分の手が震えていることに気づく。
「エルミーユ」
フール様に名前を呼んでもらうと、心が震えるのを感じる。
手の震えとは違う。
手と、心の震えは、意味が違うということを知っていく。
「師匠としては、甘えてもらった方が嬉しいけどね
フール様の姉を助けたことが縁で、私は世界の平和を脅かしている存在の話を聞くことができた。
「こんなときばかり、師匠のフリをなさるんですね」
「戦う力を授けてしまったことに、責任を感じているんだよ」
「これは、私が見つけた力です」
平和じゃない世界に、招き入れて申し訳ない。
フール様が言いたいのは、そういうことなのだと思う。
彼が欲しかったのは悪夢に関する情報だけで、私を弟子になんてするつもりがなかったのだから。
「私はフール様と共に、世界を救うことを望みました」
「やっぱり、甘えてはもらえないみたいだね」
フール様は、やっぱり太陽みたいな男性だと思った。
悪夢の存在が認知されていない世界で戦い続けているのに、いつだってフール様は穏やかな笑みを絶やすことがないのだから。
「いえ、フール様に師事する弟子は、とてもとてもか弱き存在です」
瞳から零れるものの名前を、知らぬふりして生きてきた。
名前を知ってしまったら、止まらなくなるって分かっていたから。
「エルミーユ……」
ずっと、我慢してきた。
「本当は……」
苦しいも、悲しいも、悔しいも、辛いも、全部。
曝け出してはいけない感情は、すべて知らないふりをして生きてきた。
「怖かったです……当然じゃないですか! 当たり前じゃないですか……っ」
自分の中にある恐怖を認めた瞬間、涙が溢れる。
「ははっ、それでこそエルミーユ」
「戦いのあとに笑わないでください……」
「平和でいいと思わない?」
「……許します」
私は、久しぶりに感情を露わにすることを許してもらえた。
(いつまでも手を繋いでもらって、子どもみたい……)
女性の目が覚めたのを確認した私たちは、何事もなかったかのように街の風景の一部に溶け込む。
「今日は頑張ってくれて、ありがとう」
師匠に礼を述べてもらうほどのことはしていないのに、フール様は喜びの感情を顔で表現する。
「そんなに褒められたら、調子に乗ってしまいそうです」
「少しずつでいいから、自分を認めてあげて。エルミーユ」
そんなに嬉しそうな表情で、私と視線を交えてくれる彼の優しさに涙腺が潤みそうになる。
「……努力いたします」
フール様の案内に従って、石畳でできた街から森を抜けてアルバーノ様の城へと足を運んだ。
光が差し込まない森の中は怖いと思うのに、彼が手を繋いでくれるだけで凄く心強かった。
「はぁ」
森の中で言葉を交わした時間はあっという間に過ぎ去って、私もフール様のいつもの日常を過ごしていく。
「エルミーユ、少しは休みなさい」
なんら変化のない日々を迎えるために、今日もメイド服を身にまとって城の窓硝子を丁寧に拭き掃除を行っていたときのことだった。
「ありがとうございます、大丈夫です」
「……もうすぐ昼の時刻です。先に休みなさい」
「私はまだ、こなさなければいけない業務がありますので」
メイド長のサリアムは私よりも年上の女性というだけでなく、一目で人生経験が豊富だと分かるような頼りがいのある容姿をしている。
外見だけで、こんなにも力強い生き方ができるサリアムのことを羨ましくも思う。
「お茶を用意します」
「私は、まだ働けます!」
「私が、エルミーユのためにお茶を用意したいと思っただけのことです。私の気持ちと思って、受け取りなさい」
命令口調なところがメイド長らしくもあり、その言葉にメイド長の優しさも込められている。
サリアムの下で働く者のことを気にかけてくれる人がいるだけで、こんなにも働きやすくなるのだと教えてもらう。




