異世界王子は田中角栄!? ~悪役令嬢は如何に心配するの止めて王子を愛するようになったか~
第一章:冷めた婚約と密やかな芽生え
エルドリア王国の第一王子アルフォンス・エルドリアと、ヴァレンシュタイン公爵家令嬢イザドラ・フォン・ヴァレンシュタインの婚約は、王国の安寧を願う者たちにとって、一つの理想の形であった。
輝く金髪に、冷静沈着な思考を宿す碧眼。非の打ち所のない美貌と知性を兼ね備えたイザドラは、次期王妃としての教育を着実にこなし、その姿は氷の彫像の如く完璧であった。
一方、アルフォンスは、陽光を浴びてきらめく金髪に、どこか憂いを帯びた優しい緑の瞳を持つ、華奢で線の細い美青年だった。詩や音楽、絵画といった芸術全般に深い造詣を示したが、国を治めるために必須とされる実務的な学問や政治、そして武芸には、まるで興味を示さなかった。
彼の傍らには常に竪琴か詩集があり、その儚げな微笑は、力強さを求めるエルドリアの貴族たちの一部を苛立たせていた。
イザドラは、そんなアルフォンスを公の場では常に立て、婚約者としての務めを寸分の隙もなく果たしていた。
しかし、内心では彼の芸術への逃避と、現実から目を背けるかのような態度に、深い失望と焦燥を覚えていた。彼女の怜悧な頭脳は、このままではエルドリア王国の未来は暗いと警鐘を鳴らしていたのだ。
「殿下、本日の財務卿からの報告書には目を通されましたか?北方の関税に関する重要な議題が」
「ああ、イザドラ。それよりも、私が新しく作ったソネットを聞いてくれないか?黄昏の薔薇をモチーフにしたんだ」
会話はいつもこうだった。
イザドラの言葉は空を切る。彼女の完璧さは、アルフォンスにとって息苦しいプレッシャーでしかなく、彼はイザドラを避けるように、より一層芸術の世界に沈潜していった。
二人の間に横たわる溝は、日増しに深く、冷たくなっていった。
そんなアルフォンスの心の隙間に、柔らかな陽だまりのように現れたのが、ロゼリア・ド・モルガンだった。モルガン男爵家の妾腹の娘として、最近市井から引き取られた彼女は、貴族社会の複雑な常識や堅苦しい礼儀作法には全く疎かった。
しかし、その柔らかなピンク色の髪が豊かに波打ち、大きな瞳は常に潤んで庇護欲をそそり、小柄ながらもグラマラスな体躯は、無意識のうちに男性を惹きつけた。
「王子さま、すごいですね!そんなに素敵な詩を思いつくなんて!」
ロゼリアは、アルフォンスの作る詩や絵を、何の屈託もなく、心の底から称賛した。その純粋な眼差しは、常に批評と期待の目に晒されてきたアルフォンスにとって、何よりも心地よい癒やしとなった。
彼は急速にロゼリアに惹かれていき、堅苦しい王宮を抜け出しては、彼女と市井に近い庭園で密会を重ねるようになった。
イザドラは、その事実を苦々しく見守っていた。嫉妬ではない。それは、王国の次期王妃となるべき者の、国母としての危機感だった。
「アルフォンス殿下。そしてロゼリア嬢。あなた方の個人的な感情は理解できます。しかし、王位を継ぐべきお方として、そしてその傍に侍る者として、あまりに無分別な行動は慎むべきです。国民の模範となるべき立場を、どうかお忘れなきよう」
イザドラの冷静な、しかし厳しい忠告は、燃え上がり始めた二人の恋心にとっては、油を注ぐようなものだった。
アルフォンスはイザドラの「正しさ」に反発し、ロゼリアはイザドラの「冷たさ」に怯え、より一層アルフォンスに庇護を求めた。
婚約破棄も時間の問題かもしれない。そうなれば、ヴァレンシュタイン公爵家の権威は失墜し、ヴァレンシュタイン公爵家を快く思わない勢力がアルフォンスを傀儡として担ぎ上げ、国政は混乱するだろう。最悪の場合、隣国からの干渉を招き、エルドリア王国は瓦解の危機に瀕する。
イザドラの脳裏に、最悪のシナリオが次々と浮かび上がる。彼女は夜ごと、父であるヴァレンシュタイン公爵の書斎で、禁書とされる帝王学の書や、過去の宮廷闘争の記録を読み漁った。そして、ある決意を固めた。もし、アルフォンスがエルドリア王国にとって明確な害悪となるのならば――。
彼女の白く細い指が、小箱に収められた無色透明の毒薬の小瓶に触れた。その怜悧な碧眼の奥に、暗く、そして悲壮な光が宿っていた。
第二章:運命を変える高熱
季節が初夏へと移り変わろうとするある日、アルフォンス王子は原因不明の高熱に倒れた。最初はただの風邪かと思われたが、熱は一向に下がらず、王宮の典医たちが束になっても、その原因を特定することすらできなかった。
王子の身体は日に日に衰弱し、かつての儚げな美貌は青白く翳り、緑の瞳は虚ろに宙を彷徨った。
「もはや、手の施しようが。神のご加護を祈るしか」
白髪の典医長が、力なく首を振った。その言葉は、王宮全体に絶望的な影を落とした。
王の勅命により、イザドラと、そしてアルフォンスが頻りにその名を呼ぶというロゼリアが、彼の枕元に昼夜付き添うことになった。豪奢ながらも重苦しい空気に満たされた王子の寝室。絹のシーツに横たわるアルフォンスは、荒い息を繰り返していた。
イザドラは、複雑な思いでその姿を見つめていた。数日前まで、彼の暗殺すら考えていた自分が、今こうして彼の生命の灯火が消えかかっているのを目の当たりにしている。もし彼がこのまま逝ってしまえば、エルドリア王国は、そして自分は、どうなるのだろうか。
安堵か、それとも・・・。彼女にも、自分の感情が判然としなかった。ただ、その碧眼は、いつになく揺らいでいた。
一方、ロゼリアは、ただただアルフォンスの苦しむ姿に涙し、彼の冷たくなりつつある手を握りしめていた。
「王子さま…お願い、死なないで…」
その悲痛な声は、聞く者の胸を締め付けた。
数日が過ぎた嵐の夜。雷鳴が轟き、窓を激しい雨が打ち付ける中、アルフォンスの呼吸が、ふと、途切れた。
「殿下?」
イザドラが息をのむ。
ロゼリアが甲高い悲鳴を上げた。典医が駆け寄り、脈を取ろうとした、その刹那。
アルフォンスの身体が、まるでゼンマイ仕掛けの人形のように、ガバッと跳ね起きた。
「うごっ!こ、ここはどこだッ!?お前ら、何者だッ!?」
虚ろだった緑の瞳には、戸惑いと、そして尋常ならざる鋭い光が宿っていた。
その声は、もはや弱々しいものではなく、腹の底から響くような、力強いだみ声だった。
一瞬の静寂の後、ロゼリアは安堵からか再び泣き崩れ、イザドラは呆然とその姿を見つめ、典医は腰を抜かさんばかりに驚愕していた。
何かが、根本から変わってしまった。イザドラの直感が、そう告げていた。
第三章:王子の豹変
翌日から、アルフォンス王子の言動は、まさに豹変と呼ぶにふさわしいものとなった。
高熱の後遺症による錯乱か、と誰もが最初は訝しんだが、彼の口から発せられる言葉は、驚くほど明晰かつ具体的だった。
「おい、そこの財務の役人!昨年の我が国の穀物収穫高と、隣国アヴァロンへの輸出量をまとめた帳簿を、今すぐここに持ってこいッ!それから、ギルドごとの税収と、その使途の内訳もだ!」
病み上がりとは思えぬ声量で、寝台の上から指示を飛ばす。侍従たちが慌てて大量の羊皮紙の巻物を運び込むと、アルフォンスはそれを片っ端から広げ、驚異的な速さで内容を読み解き始めた。
その手には、いつの間にか持ち込まれた白檀の扇子が握られ、パタパタと忙しなく風を送っている。
「まあ、そのう・・・この歳入不足は、由々しき事態だな。貴族共への無駄な下賜金が多すぎる。それから、この街道整備の予算、水増しされてやしないか?現場を見てない人間の仕事だ、これは」
時折漏れる「まあ、そのう」という独特の口癖と、額に汗して書類の山と格闘するその姿は、以前の詩を愛でる儚げな王子とは、まるで別人だった。
宰相の息子であるエイドリアン・フォン・ハルトマンは、薄い眼鏡の奥の切れ長の目を細め、その様子を観察していた。
内心ではアルフォンスを「芸術かぶれの能無し」と見下していた彼も、今の王子の的確な指摘と、問題の本質を見抜く洞察力には、驚きを隠せないでいた。
「殿下、それは些か過激なご意見では」
「過激?何がだ。事実は事実だろうが。このエルドリア王国はな、国民の汗と努力で成り立ってんだ。
その富を一部の怠け者が食い潰すようなことがあってはならんのだッ!」
アルフォンスの言葉には、奇妙な説得力と熱がこもっていた。それは、書物から得た知識ではなく、まるで実体験からくるような、生々しい言葉だった。
イザドラもまた、戸惑いながらも、アルフォンスの変化から目が離せなかった。かつて自分がいくら説いても聞く耳を持たなかった彼が、今や自ら国の問題点を探り出し、具体的な解決策を模索している。
その姿は、彼女が長年理想としてきた「王」の姿に、奇しくも重なって見えた。ただ、その話し方や仕草は、どこか粗野で、洗練された貴族のそれとはかけ離れていたが。
エルドリア王国は、遥か彼方、東方の島国で「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた不世出の宰相、田中角栄の魂が、次元を超えて転生するにふさわしい、ある意味で「発展途上」の国だったのである。
第四章:魂の演説
アルフォンス王子が病床から国政に鋭く切り込み始めたという噂は、瞬く間に王宮内を駆け巡った。しかし、それを快く思わない勢力も当然存在した。
特に、アルフォンスのこれまでの「無能」ぶりに乗じて権力の掌握を狙っていた一部の貴族たちは、この急変を苦々しく思い、
「王子は高熱で死んだ」
「いや、ついに気が触れてしまわれたのだ」
といった悪質なデマを市井に流し始めた。
民衆の間に不安と混乱が広がりかけた時、アルフォンスは一つの決断を下した。
「王宮の広場を開放し、民衆を集めろ。私が直接話をしよう」
当日、王宮前の広場は、噂を聞きつけた王都エデンブルグの市民で埋め尽くされていた。不安と期待が入り混じったざわめきの中、質素なガウンを羽織ったアルフォンスが、イザドラと数名の護衛騎士を伴ってバルコニーに姿を現した。扇子を片手に、ゆっくりと民衆を見渡す。
「みなさんッ!ご心配をおかけしましたッ!」
その第一声は、マイクなどないこの世界でも、広場の隅々まで響き渡るほど力強かった。一瞬の静寂。
アルフォンスは、ジロリと会場を睨むように見渡し、数秒の間を置いた。固唾をのむ聴衆に向かい、ややあって、こう続けた。
「私が、エルドリア王国第一王子、アルフォンスでございますッ!」
どっと歓声が沸き起こる。
「私が死んだなんていう輩がおるそうだが、それは、わたくしに死んでほしいと思っているからでしょう。
まァねェ、私が気に入らないならね、矢でも鉄砲でも、いや、この世界なら魔法でも持ってきて、殺せばいい。ドーンと来い、だ。
しかしッ!私を殺せるのは、コソコソと陰で悪口を言うような、怪しげな暗殺者などではないッ!」
アルフォンスは扇子でビシッと前方を指さした。
「私の生殺与奪を握るのは、ただ一人、エルドリア王国民のみなさんですッ!私を殺すにゃ刃はいらぬ。皆さんの支持がなければ、わたくしは即死する!そうだッ!」
万雷の拍手が、地鳴りのように広場を揺るがした。イザドラは、鳥肌が立つのを感じた。彼の言葉は、決して洗練されてはいない。しかし、そこには聴衆の魂を直接揺さぶる、原始的で強烈な力があった。
その時、壇上に黒服に身を包んだ近衛兵が駆け上がり、小さな羊皮紙のメモをアルフォンスに渡し、耳元で何かを囁いた。なんだなんだと聴衆は息をのむ。
アルフォンスはメモを一瞥すると、それをくしゃくしゃに丸めて、ぽいと投げ捨てた。
「皆さんね、今、近衛兵がきましてね。『王子殿下、お体に障りますから、そろそろ演説を終了してください』なんて、馬鹿なこと言うんじゃないヨ!
これだけの皆さんが、雨の中、いや、今日は晴れてるな、まあいい、こうして来てくださっているんだ。これで帰れますか。帰れるわけねぇでしょう。ねェ!」
その言葉に、聴衆は再び熱狂的な歓声を上げた。
老いも若きも、男も女も、皆が立ち上がり、手を振り、アルフォンスの名を叫んだ。王子は額に玉のような汗を浮かべながらも、満足そうに、そして少し照れくさそうに微笑んでいた。
その笑顔は、かつての儚げなものではなく、まるで豪快な田舎の親分のような、それでいてどこか愛嬌のある笑顔だった。イザドラは、その笑顔から目が離せなくなっていた。
第五章:変わりゆく人々
アルフォンスの演説は、エルドリア王国の空気を一変させた。国民の多くは、飾り気のない、しかし力強い王子の言葉に熱狂し、彼への期待感を急速に高めていった。
イザドラは、その変化を最も間近で感じていた。かつてあれほど物足りなく、そして危うさを感じていた婚約者。
彼が発する言葉、取る行動の全てが、今の彼女には新鮮で、そして頼もしく映った。確かに、言葉遣いは粗野で、立ち居振る舞いもお世辞にも洗練されているとは言えない。
まるで、どこかの田舎のオッサンのようだ、とすら思うこともある。だが、彼の瞳は常に真っ直ぐ国民に向けられ、その行動には一切の私心がないことが、イザドラには痛いほど伝わってきた。
(以前より、よっぽどいい…ううん、比べものにならないくらい、素晴らしい)
彼女の心の中に、戸惑いと共に、確かな何かが芽生え始めていた。それは、尊敬であり、信頼であり、そして…おそらくは、今まで感じたことのない種類の、温かい感情だった。
暗殺計画など、もはや彼女の頭の片隅にもなかった。
一方、ロゼリアは、この王子の劇的な変貌に、ただただ困惑するばかりだった。以前の優しく、自分の言葉に耳を傾けてくれた王子はどこへ行ってしまったのだろう。
今のアルフォンスは、確かに力強く、多くの人を惹きつけてはいるけれど、自分だけを見てくれるあの甘い時間は、もう戻ってこないような気がした。
「あ、あの、王子さま…最近、お疲れでしょう?私が、お側にいて、癒やして差し上げますわ…」
精一杯の媚態を含んでそう申し出ても、アルフォンスは大量の陳情書から顔も上げずに言った。
「おお、ロゼリア嬢か。いやあ、頑張ってるな。感心感心。だがな、娘さん、もっと他にやることがあるんじゃないか?
我が国の女性は、もっと社会に出て活躍すべきだ。田舎に帰れば父ちゃんなんかより、母ちゃんの方が100倍働いているもんさ。男も女も、みんなで汗水たらして働いて、この国を豊かにするんだ。
君も、何か手に職をつけるなりして、頑張りたまえ。期待してるぞ!」
そう言って、ニカッと人の好い笑顔を向ける。ロゼリアは、ポカンと口を開け、目を白黒させるしかなかった。以前なら、自分の魅力に王子はすぐに顔を赤らめたものなのに。
(なんなのよ、もう…オジサン臭いんだから…)
彼女の頬は、戸惑いと、少しの不満で膨らんでいた。
アルフォンスの取り巻きたちもまた、この変化に右往左往していた。
宰相の息子エイドリアンは、当初の戸惑いを経て、今やアルフォンスの政策の実現可能性や、その背後にある緻密な計算(と彼が思い込んでいるもの)を分析することに、新たな知的好奇心を見出していた。彼の酷薄な切れ長の目は、時折感嘆の色を浮かべるようになった。
騎士団長の息子ライオネルと魔法師団長の息子セレスティンは、単純な性格故に分かりやすくアルフォンスの熱意に心酔していた。
「王子殿下は、まるで生まれ変わられたようだ!あの演説は、魂が震えたぞ!」
「ああ、我が魔力も、殿下の理想を実現するために捧げたい!」
ロゼリアが以前のように彼らに甘い言葉を囁いても、
「ロゼリア嬢も、王子殿下を見習って、国の為に尽くすべきだ!」と逆に説教される始末だった。
第六章:雪解けの槌音
エルドリア王国の工業生産力は、長らく停滞していた。特に、主要な輸出品である毛織物の生産効率は、旧態依然とした手作業に頼る部分が多く、近隣諸国に大きく水をあけられようとしていた。
この状況を打破すべく、アルフォンスは「エルドリア産業育成計画」をぶち上げ、その第一歩として、王都近郊にある模範紡績工場の視察を決定した。
イザドラ、エイドリアンらを伴い工場に到着すると、広場には百人ほどの作業員たちが緊張した面持ちで整列していた。
彼らの服装は決して綺麗とは言えず、その顔には疲労の色が濃く滲んでいる。アルフォンス一行は、急ごしらえのひな壇にぞろぞろと上がった。
「それでは、これより、名誉ある作業員諸君への叙勲式を執り行う!」
エイドリアンが、やや芝居がかった口調で厳かに宣言した。
事前にアルフォンスから、「堅苦しいのはナシだ。もっとこう、祭りのような雰囲気でやらんといかん!」と檄を飛ばされていた成果である。
優秀な製造成績を上げた男女五人が、緊張した面持ちでひな壇の前に進み出た。
彼らを表彰することで、他の作業員の労働意欲を向上させ、同時に新たな志願者を増やす。これが、王子の発案で急遽実現した視察のハイライトであった。
アルフォンスは、まず二十歳前後と思われる朴訥な青年に、エルドリア王国の紋章が刻まれた小さな勲章を手渡した。
「君か、今月の生産目標を大幅に達成したのは。大したもんだ。ところで、君の出身はどこかね?」
青年は、カチコチに緊張しながら、
「は、はい!北方のニイガターン村であります!」と答えた。
アルフォンスは、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「おお、そうか、君はニイガターン出身か!
あそこはな、冬になると、エチッゴー山脈から吹き下ろす雪がそりゃあ厳しいだろう。
だがな、雪国の人間というのは、辛抱強い。我慢強いんだ。
だから、こうして優秀な職人が生まれるんだナ。よく頑張った!」
そう言って、青年の肩を力強くバンバンと叩いた。
それを、一人一人に、時間をかけて行う。ある者には家族のことを尋ね、ある者には故郷の自慢をさせ、時には冗談を言って場を和ませる。
最初は戸惑っていた作業員たちも、王子の気さくで親しみやすい態度に、徐々に顔をほころばせていった。
時間はかかったが、その効果は絶大だった。ひな壇に戻ると、叙勲を受けた者だけでなく、広場にいる他の作業員たちもまた、感激と興奮が入り混じった熱い視線を、アルフォンスに向けていた。
そして、アルフォンスは再びマイクの前に、いや、この世界にはないので、声を張り上げた。
「みなさーんッ!このエルドリア王国には、まだまだ素晴らしい人材が埋もれているッ!今日の彼ら彼女らが、それを証明してくれた!」
一度言葉を区切り、扇子で汗を拭う。
「さて、本題だ。わたくしは、この国の織物産業を、世界一にしたい!
そのために、雪解けまでには、この工場に、新型の紡績機を新たに1000台、ご用意いただきたい!
あと1000台だッ!」
作業員たちの間に、どよめきが走った。今の生産体制でも手一杯なのに、さらに1000台とは、無茶な要求に聞こえただろう。
「今でさえ昼夜問わず働いている諸君は、何を馬鹿なことを抜かすか、と思われるかもしれない。
しかしッ!これは、決してわたくし個人の為ではないッ!
考えてもみてくれ。新しい機械が増えれば、もっと楽に、もっと多くの糸を紡ぐことができる。
それはつまり、今、もっと苦しい環境で、古い機械で指を血に滲ませながら糸を紡いでいる、まだ若い女工さんたちの負担が減るということなんだ。
厳しい環境で、安い賃金で働いている若者たちのために、どうか、どうか、諸君のその素晴らしい技術と力を、貸してほしいッ!お願いだッ!」
アルフォンスは、深々と頭を下げた。
王国の第一王子が、一介の作業員たちに、頭を下げている。
沈黙を破ったのは、先ほど叙勲を受けたばかりの、ニイガターン村出身の青年だった。
「当然です、王子様ッ!やらせてください!俺たちの力で、必ずやり遂げてみせますッ!」
その言葉を皮切りに、
「そうだ!」
「俺たちに任せろ!」
「王子様万歳!」
という熱狂的な声が、次々と湧き起こった。
百人を超える作業員たちの、王子への忠誠と熱意を込めた合唱は、地響きとなり、アルフォンスと、そしてイザドラの足元を力強く揺るがした。
第七章:新たな夜明け
工場からの帰り道、揺れる馬車の中で、イザドラはアルフォンスの横顔を盗み見ていた。額には汗が光り、決して美しいとは言えない日焼けした顔。しかし、その表情は達成感と、そして民衆への深い愛情に満ち溢れていた。
(ああ、この方だ)
イザドラの胸に、確かな確信が灯った。
この人こそ、エルドリア王国を導くべき王。そして、自分が生涯をかけて支えるべき唯一の人。確かに、以前のような貴公子然とした優雅さは微塵もない。
むしろ、そこらのオッサンと変わらないような泥臭さだ。
だが、それがどうしたというのだろう。今のアルフォンスは、誰よりも国民のことを想い、国の未来を真剣に考え、そして、何よりも可愛らしいではないか。
「殿下、本日の演説、そして作業員の方々へのお言葉、感銘を受けました」
素直な気持ちを口にすると、アルフォンスは少し照れたように鼻を掻きながら言った。
「おお、イザドラか。まあ、そのう、ああいうのはな、理屈じゃないんだ。
心と心でぶつかっていくしかねえんだよ。
あんたも、なかなかどうして、肝が据わってるじゃないか。
宰相の息子も、見所がある。みんなで力を合わせれば、この国はもっと良くなる。必ずだ」
その言葉に、イザドラは力強く頷いた。
「はい、殿下。私も、全力でお支えいたします」
彼女の碧眼は、もはや氷のような冷たさではなく、春の陽光のような温かな輝きを湛えていた。
一方、ロゼリアは、すっかり変わってしまった王子に、以前のような甘い期待を抱くことはなくなっていた。
しかし、彼女は彼女なりに、新しい道を見つけようとしていた。
アルフォンスに「君も何か手に職を」と言われたことがきっかけで、王宮の薬草園で働くようになったのだ。市井で育った経験から薬草の知識は豊富で、持ち前の愛嬌もあって、薬師たちからも可愛がられた。
かつてのように王子の寵愛を一身に受けることはないかもしれないが、自分の力で誰かの役に立てる喜びに、彼女はささやかな幸せを感じ始めていた。
たまにアルフォンスが視察に訪れ、
「おお、頑張ってるな、ロゼリア君!」
と声をかけてくれるのが、今の彼女にとっての一番の褒美だった。
エルドリア王国は、黒鉄の心臓を持つ元日本の宰相と、怜悧な頭脳と温かな心を持つ公爵令嬢、そして変わり始めた多くの人々の力によって、新たな夜明けを迎えようとしていた。その道は決して平坦ではないだろう。しかし、彼らの瞳には、希望の光が力強く輝いていた。
まあ、そのう、転生する人によっては、いいこともありますわね。