はじまり
「あ……っ」
気づいた時には、扉が閉まる音が、家全体に響き渡っていた。
「行ってらっしゃい……」
私は、聞こえるはずもないのにそっと呟いた。
結婚生活1ヶ月になろうとしている私たちの間には、これといった会話も新婚特有の甘さもない。
「はぁあ」
一体、この生活に何の意味があるんだろう。息を吐いて、私は脱力して椅子に座った。
私、リリアナ・スタンレイは、マーリー王国でも三本指に入る貴族の御曹司、アルバン・カーライルと政略結婚をした。
没落しつつある我が家にとっては、この結婚は天から降りてきた糸だった。
「今後のお前のためにもなる事だ」父はそう言ったけど、私には理解ができなかった。
だって、普通に恋愛して、愛し愛される関係って素敵だと思う。
みんなが普通にするはずの、そんな恋がしてみたかった。
そもそも、何で潰れそうな我が家に？ 私に？って話なんだけれども、答えてくれる人は誰もいない。
お見合いの時の事は、今でもはっきり思い出す。と言っても、そこまで昔じゃないんだけど。
父に呼び出された私は、お見合いをする事を告げられ、そのまま私は何の抵抗も無く黒塗りの車に乗り、名ばかりのお見合いに行った。
私の婚約者は、目尻をきっと上げた母親と姿を現した。
表情が固くて、何だか難しそうな人。
だけど、それまで出会ってきた異性の中で、一番綺麗な人。
それが、私が彼に抱いた第一印象だった。高身長で、沢山の勉学で酷使したであろう目には、紺がかったフレームの眼鏡がかけられている。
ブリーチも知らない真っ黒な黒髪で、さすがの名家の男なだけあり、スッと伸びた背筋からは、何もしなくても気品が漂っていた。
一度目があったので目線で挨拶すると、すぐに目を逸らされて終わり。
何なのこの人とは思ったけど、相手も望んだ相手じゃないんだから、と自分に言い聞かせた。
一通りの世間話をしている最中でも、彼は私の方を見ようとしなかった。
いくら政略結婚とは言えど、流石の私もちょっと、いやかなりくるものがあった。
あなたの家とは格が違う。仕方がなく時間を割いて来てるんだ。そう言われているようで、目にジワっと涙が浮かんだ。
「では、これで宜しいですね」
「……はい」
婚姻届に書いた自分の字が、ひどく歪んでいるように見えた。
サインした書類を渡される時だけ、チラと彼が私を見た。
眼鏡の奥にある深青色の瞳は、ゾッとするほど何も写していなかった。彼は、私を見ていない。
そのままお互いに言葉を交わす事はなく、私たちは結婚した。
結婚してから、郊外のお屋敷に私たちは引っ越した。
家具は既に用意してあって、既に新婚生活に理想的な空間が出来上がっていた。こういうのって、あれこれ話し合いながら、夫婦で話し合って決めるのが楽しいんじゃないの？
何処にいても、家柄に囚われているようで、息が詰まった。
夫婦生活最初の日、アルバン様に言われたことが忘れられない。
「これは、親同士を満足されるための行為に過ぎません。だから、私を夫だと思わなくて良い。私も貴方を妻だと思いませんから。だから、外で男を作っても気にしませんし、私もそうさせてもらいます」
「……私も同じ事を思ってました」
なんて可愛げのない答え方。
「ならいいです」
言い終わると直ぐに背を向けた彼の背を、私は呆然と見ているしか無かった。
自分が怒っているのか悲しいのか、何だか感情がごちゃ混ぜになってしまって、自分でもどうして良いか、わからなかった。
