泥棒大国伏魔殿
泥棒大国伏魔殿
私は25歳の頃、特許出願をやってみようと思い、大阪市内の書店で発明協会が初出版していた「特許の手引」を購入し、昭和48年頃に二種類の特許書類を特許庁に出願しましたが、手続きが上手く出来ているのか気になり、和歌山県工業試験場内の発明協会和歌山県支部(支部長和歌山県知事)を訪ねて、職員に書類を見ていただいた時に「図面と書類を一人で書いたのか」と聞かれ(はい)と答えると「あなたは大変な事をしている」と言われた後に、「この世の中には悪い人がいるからあなたは騙される、騙される」と言われましたが、この時はまさか発明協会が、特許書類の【出願番号の表示】と書くべきところを【事件の表示】と改ざんしている「手続補正書」(添付書類)を使用しているとは、夢にも思っていませんでした。書類を特許庁に出願して1年半ほど経過した後に、特許庁から手続補正命令書が届いたので指摘された要件を直し、手続きの確認の為、発明協会に行きました。この時には最初に会った職員の方は退職され、別の職員の方が対応し、この職員の勧めで発明協会が使用していた「手続補正書」(添付書類)の説明を受けて家に帰り、言われたとおりに【事件の表示】と書かれた一段上の白紙の部分に、特許庁の担当審査官の名前を記入、発明の名称等、他のところは表示のとおり記入する事と聞きましたので【事件の表示】と書かれたところは辞書で調べ、事件とは「物事があって後に起きた事」と書かれていたので審査官の指示の内容を記入したと記憶しています。この書類を特許庁に提出した後に、特許庁から拒絶査定書が送付されてきました。内容は「出願番号」の表示が無いと書かれていましたが、私は発明協会の職員から「手続補正書」(添付書類)の使用を勧められ説明を受け、言われたとおりに記入して書類を特許庁に提出していたので発明協会に行って、この「手続補正書」(添付書類)のどこに【出願番号の表示】と書いているのかと問い詰めましたが、職員は表示が改ざんされている事は知らない。この「手続補正書」(添付書類)を勧め使用する様に言われている。裁判でも好きにして下さいと言いました。後に特許庁の職員に会って発明協会の職員が【事件の表示】と書かれた一段上に指を差し、特許庁の担当審査官の名前を記入する事、後は表示のとおりに記入しなさいと言ったので【事件の表示】と書かれたところは辞書で調べ、事件とは「物事があって後に起きた事」と書かれていたので特許庁の担当審査官の指示の内容、(後に起きた事)を記入しましたと言って、特許庁の職員に説明を求めたが「辞書で」と言った後、「困った、困った」と言って席を立ち、腕組みをして室内をうろうろして考え込み、答えようとはしませんでした。最後に「特許庁で相談して回答します」と言ったきりです。私が困っている時に特許庁の職員が説明に困っていたので疑いがより強くなりました。特許書類の手続補正書は「出願番号」の記入がないと法律で拒絶査定になってしまう一番大切な表示を【事件の表示】と改ざんしている「手続補正書」(添付書類)を使用して当時の発明協会の会員まで騙している。【出願番号の表示】と正しく書いていれば「出願番号」を記入する事ができました。当時、私は特許庁から出向で大阪通商産業局に勤め、特許法及び特許ビジネスの講演等をされていた尾上道雄氏を訪ねましたが、彼は特許庁に戻りましたと聞いたので、特許庁に電話をして女性の職員の方に、大阪通商産業局に出向していた尾上氏の名前を言って自分の名前を伝えると「会議中の為、用件を聞いておいて下さいと言っています」と言ったので、私は【事件の表示】の事で聞きたい事がありますと言って電話番号を伝えておきました。後に特許庁から電話があり、尾上氏からのメモを受け取りました。私が特許庁とやり取りをした出願の年月日や経過報告で私が尋ねている答えと違っていたのでこのメモを丸めて捨てました。どうしてこの様な時に私に必要のない答えをメモにしてわざわざ伝えてきたのか。今まで教えてもらった時はこの様な無駄な答え方をする人では無かったので【メモを捨てた行為】が【事件の表示】を捨てろと教えていると考えた時に、やはりと思う事が頭の中に浮かんできました。【事件の表示】の裏に正しい表示が隠れている。疑っていた事が自信となり確信と変わってきた。特許庁では第三者の提出書類、発明協会の秘密を守る義務がある為、答えられないと言っている(機密漏洩罪)。この様に考えた私は、他にも出願していた特許書類がありましたので、次の「手続補正書」(添付書類)を提出する時は発明協会の書類を使用せずに自分で書類を作り、1回目は【事件の表示】と書いている項目のところを書き忘れた場合を想定して白紙にし、内容(答え)を書くところに「出願番号」を記入して書類を提出。2回目の「手続補正」の時は項目のところを【事件の表示】と書き【表示は発明協会が使用している、改ざんした表示】で、内容(答え)を書くところに「出願番号」を記入して書類を提出。3回目の「手続補正」の時は項目のところに【出願番号の表示】と書き、内容(答え)書くところに「出願番号」を記入して書類を提出。この三通りの提出書類を特許庁は受理しました。この様な手続きを繰り返した事により、一般の人が表示(項目)のところに間違いをしたり、表示を書き忘れていても、内容(答え)を書くところに「出願番号」さえ記入されていれば、特許庁は書類を受理する。この様な方法を利用している事になる。【事件の表示】と書かれているところに、正しい表示の【出願番号の表示】と記入する事が立証された事になり、項目の【出願番号の表示】と記入するところに間違いや勘違いをする様な【事件の表示】と表示をする権利は発明協会にはありません。特許法を習っている人は得をして習っていない人は損をする様な表示をして国民を騙し、日本国憲法の人間の権利を無視した人権蹂躙な行為である。社団法人として正しく指導する義務を怠り、特許の権利を消滅させている証拠を見つけたので自分で発明協会の調査をしました。当時の発明協会の会長は井深 大 氏、ソニー名誉会長、有名な元会長では松下電器創業者松下幸之助氏、理事長及び役員一同の中にホンダ自動車創業者、本田宗一郎氏や大企業の会長クラスの錚錚たる人物【昭和の太閤殿下、経営の神様と言われた人物達】の名前が数十人連なり、また各都道府県の発明協会支部長には多くの知事が就任しておりました。発明協会の総裁には常陸宮殿下、そして○○基金や国からも補助金を受け、企業や一般の国民から会費や寄付金を集める。この様な構成で【出願番号の表示】を【事件の表示】と偽った「手続補正書」(添付書類)を使用する事で、出願番号を書き損ない拒絶査定になって特許の権利が消滅する事で、企業や株式を持っている財閥が戦後数十年間、特許の権利をただ食いし、儲けたお金で政治献金をしてきた事になる。戦後の焼け野原を、世界の経済大国と言われるまでにのし上げた、日本の歴史は泥棒大国伏魔殿。この様な事件に対して私は市内のA国選弁護士を訪ね、発明協会の書類の説明をしましたが、弁護士は上から目線で脅すような口調で「書類はこの様な形式をする、この様な事で改ざんや詐欺と言うと笑われますよ」と言ったので、弁護士は言われた様に書類を作り、裁判所に持っていけ。答えは裁判長が言う事や。言ったとおりにしないと殺すと言うと椅子にしがみつき「命だけは助けてください」と言って震えながら「この裁判には手を出す事はできない」と言いました。後に衆議院議員会館に電話を入れ、当時の社会党 大島 弘 代議士に連絡し発明協会の特許の詐欺事件の話をして会っていただく日取りと時間を決めて待っていた時期に町田義友県議会議員から電話があり、私に「無茶な事はしてはいけない」と言われたので先生、何の話ですかと聞くとA国選弁護士から貴方の事を聞く電話があった。あの男はいったい何者かと聞かれた。そして特許の詐欺にあっていると聞いたから、書類を持って来る様にと言われ、一瞬まよいました。町田議員の知人に自民党の坊代議士がいたのですが、話し合いがこじれた時に困ると思い、社会党の方が良いと考え、先生に迷惑をかけるからと言って断りました。それから私は証拠書類一式をコピ-して、社会党 大島 弘 衆議院議員(弁護士で実の兄も弁護士をしていた)に書類の説明をして社会党から記者会見をして事件を公表して下さい。それから国会で関係者を尋問か喚問して下さい。事件が露見したら私は、発明協会総裁の常陸宮殿下及び発明協会会長の井深 大 氏、理事長、役員一同に対して裁判を起こしますのでお兄さんの弁護士を紹介して下さいとお願いしましたが、代議士は「事件が露見したら大変な事になる。証拠書類一式を預けて欲しい。それから発明協会と特許庁に相談に行かせてほしい」と言われお願いしますと言われましたが、私はいったん拒絶査定にした特許書類は公開発表しているので法律的に取り上げる事はありえないと言いましたが「一度この様にさせて下さい」と頼まれ証拠書類一式を預けました。その後代議士から手紙が届き、発明協会と特許庁に行って来ました。特許庁では「新規性があればとりうるよちが残っている」と言っているのでその様にしてもらえないかと書かれ、御身大切にして頑張って下さい。という事でしたが、私は逃げられたと思いました。それから後の衆議院議員選挙に立候補していないので友人に尋ねると亡くなった様だと聞きました。しばらくして私の親族から電話があり弁護士を紹介するから出て来ないかと言われ、迷いましたがせっかく言ってくれたので和歌山市内まで行ってC弁護士に会い、事件の内容を説明し、上からの圧力がかかると思うので弁護士の方に迷惑をかけない様に弁護士なしの裁判を起こそうと考えているので書類を作って指導して下さい。条件は特許のすべての権利の三分の一を譲渡しますので、その契約書も作って下さいと言いました。そして裁判代金は弁護士が立て替えて支払う事で一致。私は印鑑証明書を持ってきて署名捺印しますと言うと、弁護士の条件は裁判が終わるまで事務所への出入りは控える事、連絡は仲介人を入れる事、書類は手書きにすると言いました。私は話に納得しましたが裁判を始める事に少し時間を下さいと言って帰りました。事件を公表出来ないで常陸宮殿下発明協会総裁を裁判にかける事になる。一対発明協会、国家、官軍との戦いになり、闇討ちかと脳裏に浮かび一つしかない命、簡単にはいきません。それから後にシ-ジャック事件が起き、テレビ中継を見ていると犯人を射殺してしまいました。死人に口なしかと思っていた頃C弁護士から「裁判をしないのか」と催促の電話がありましたが、生きて勝つ方法が見つからないので止めます。書類は処分して下さいと言いました。私も何度か裁判を起こそうか迷いましたが勇気が無くそのままになっています。尚、発明協会が販売していた「特許の手引」は昭和21~22年頃に初出版しています。この「特許の手引」では【事件の表示】と書かれたところの説明で、内容(答え)を書く場所に「特願第〇〇〇〇〇〇号」と「出願番号」を書きこむ体系が記されていますが、特許庁に提出する発明協会が使用している「手続補正書」(添付書類)は【事件の表示】と表示して内容(答え)を書く場所を白紙にした書類を使用していました。「特許の手引」を買って見た人は「出願番号」を書きこむ事ができるが、「特許の手引」を買っていない人は書き損ないをする様な表示をする権利は発明協会にはありません。【出願番号の表示】と正しく表示していれば、忘れていても【出願番号】を記入する事が出来ますが、特許登録すれば特許の権利が発生し、特許の権利を買わなければ企業は製造、販売が出来なくなり、企業の負担が重くなる。実質、発明協会の重要な役員は大企業のトップが勤めている。発明協会は社団法人であり一般の国民に特許の手続きを正しく指導する義務を怠り、「赤信号みんなで渡れば怖くない」。この様な状態で特許庁に提出する重要書類を改ざんしている書類を使用して数十年間詐欺を繰り返してきましたが、昭和50年頃社会党 大島 弘 代議士が、発明協会や特許庁に行かれた十数年後には、この「手続補正書」(添付書類)を使用しなくなっています。尚、新しい書類には手続補足書として、【事件の表示】と書かれた下の段に「出願番号」と新しい表示が加わっています。これより後に【事件の表示】を「出願の表示」と改正し、下の段に「出願番号」と表示しています。ここで【事件の表示】が消えている。これで書類の改ざんや詐欺はなくなったと思いました。又、特許庁が平成5年度に製本にした「出願・登録・審判の手続」の説明で【事件の表示】とあるのは【出願の表示】と読み替えるものとすると書かれた本と発明協会が使用していた「手続補正書」(添付書類)はコピ-して私の手元に数十年間保存しています。尚、この本は一般の書店では売っていないと思います。上記の話を中央大学名誉教授に話しましたが「この日本列島は天皇陛下の島ですから、これ以上この事件にかかわると消されるよ」と言い窓の外に海が見えるのをステッキで指差しをする様にしてあそこに浮く事になると言いました。(私も同感です)。
追 記
私の考えとして昭和20年頃に日本は空襲で焼け野原にされ、同年8月15日、昭和天皇は無条件降伏をしてアメリカの占領下でマッカーサー元帥、シ-ボルト外交局長(GHQ)の下で、昭和天皇、田島宮内庁長官、吉田 茂 総理大臣、白洲次郎氏(通訳)の時代に日本の復興が始まり、昭和23年12月23日A級戦犯の東条英機元首相ら7人は戦争犯罪者として死刑になりました。この混乱の時期に天皇陛下を象徴として国の安定をはかり数年後、常陸宮殿下を発明協会の総裁にして日本の皇族制度を巻き込み、錦の御旗を掲げる事で抑止力として事件の発覚を制御し、数十年間発明協会は特許の詐欺で国民の発明をふるいにかけ、特許の権利を消滅させる仕組みを利用し、利益を得た企業と株式を持っている財閥等が戦後、儲けたお金で衆議院議員や参議院議員に政治献金をしてきた事になる。また各都道府県の発明協会支部長には多くの知事が就任していました。特許の詐欺で儲けたお金で政治献金を受けていた事になり、全国で選挙のやり直しや特許の損害賠償裁判が起こり、日本経済が崩壊する様な事件に発展する。1300年以上続く日本の皇族制度を巻き込み、政治経済が空中分解する様な事を考え、戦後40年程度で経済大国と言われる様になりましたが、昭和20年に日本は空襲で周囲が海の為、逃げ場が無く武器の持っていない無抵抗の老人や女性、子供達が無差別に爆撃をうけ、何十万人の人々が丸焼きにされ、広島や長崎では核爆弾が投下されて核の人体実験が行われ、日本列島を焼け野原にして無条件降伏させた世界条約違反である。この様な右往左往していた時期に、国民が発明協会を利用して特許の詐欺事件の方法を考える余裕があったのか疑問である。また特許庁が平成5年度に製本した、「出願・登録・審判の手続」の説明で【事件の表示】とあるのは【出願の表示】と読み替えるものとする。と書かれた本が存在していますが、知っている人は得をして知らない人は損をすると言っている事になる。日本国憲法の人間の権利、平等といった事を無視した人権蹂躙な行為であり、この本を特許庁の職員や発明協会職員の手続き説明書(教科書)に使用していた国の責任は重大であり、日本国の根幹を揺るがす事件だと思います。アメリカは復興する日本にいろいろな予算を付け、基地を拡大させたり武器を売ったり貿易等に核の傘で圧力をかけ莫大な利益を上げている。又、日本列島を浮沈空母の基地に利用しアラスカから日本列島、ヨ-ロッパの同盟国で大国のロシア、中国を包囲して自国を守る為に利用し、アメリカは日本の為に核戦争までして、日本を守る事はありえない。日本はいい加減に目を覚ませ。北はロシア、西は韓国、北朝鮮、中国と問題を抱えている。他の国から石川県や福井県の原子炉建屋をミサイル等で爆撃を受けた場合、季節風が日本海側から太平洋方面に吹く為、日本の中枢部分が数十年間住めなくなる。【福島の原発事故後特許庁に新原子炉建屋が出願されています。上部の水槽と下部の格納容器設置場所を一体型に構成し電力が喪失した非常事態にも重力を利用し冷却を続ける事を特徴とした新原子炉建屋。海抜20m程の山中や地下に埋設し免震工法や地震、津波等に対応する様に施工】他国からの攻撃等で原子炉の冷却が停止した時に原子炉の器が溶けない様に出来ていないこの時期に古い原発の停止期間を計算から除外して60年に延長や新規の原発の図面の製作に取り組んでいますが、安心安全と言う言葉はもう通用しない、無責任すぎると思います。福島の原発事故の様な重罪な事故が起きた時は、責任者である内閣総理大臣、関係者一族の相続財産を差し押さえ命令、及び国家権力悪用罪で死刑の法律を作っておくべきだ。今の日本は蟻が砂糖に群がって、国家を食い潰している様な無責任な政治であり、国家権力を悪用した事件で書類の黒塗りが提出される様な国では真実の究明ができない。また、重大な事件は時効制度を適用しないで、裁判を起こす事ができる様にする事も大切だと思います。又、私事になりますが私が好きな女性の家に行った時に、私用で東京に行く話をすると母親が娘も勤務先の出張で、東京に行くから一緒に行ってきたらと言って、背中を押してくれたので東京へ一緒に行く事になり、自分の用事を早々に済まして出張先の方に行ってお通さん(仮名)を東京に残して一人で帰りたくない、お通さんが好きやと言った。「今、言った事ほんとうやね、信じていても良いの」と言われ、良いよと言っていた。それから半年後ぐらいに、お通さんから自宅に電話があり母に今日、家に来てほしいと伝言があったと聞き、私は少し遅い時間でしたが車でとなり町の家に行くと、部屋の窓が空いていて風呂あがりか髪をぬらしたままの、お通さんがお父さんの横に座っていた。満月で周りが明るくお互いがよく見えた。すぐに結婚話でお客が来ていると思いました。お通さんが私に気が付いてじっと見ているが、私はどうして良いのか分からず、お通さんの顔を見ている事が出来ず、満月を二度、三度と見たりしながら繰り返しお通さんを見ていた、手も足も出ないとは、こう言う事かと思い、しばらく見つめ合っていたが家の中にいる、お通さんに声を掛ける事が出来ず私は頭を下げ、心の中でどうする事も出来ず、ごめんと言って帰り際、振り返りお通さんの顔をみたのが最後です。この頃から人生の歯車が、くるい始めている事は知る由もない。5日程して2ヶ月程前から体調を崩していた、母が医大病院へ検査入院し、4日目の注射のミスから意識が無くなり危篤状態になり、医師から高額な注射をしなければ、いけなくなったが良いですかと言われ、良いですと言った。母を兄夫婦と私と妹が24時間交代で看病 した帰り道、後を振り向けば壁に手を突っ張り、うつむいていた妹に気分が悪いのかと言うと、いつも前ばかり向いて周りを見ていないから恋人が出来ないのと怒っていた。入院から10日で母は亡くなりました。お通さんと母が電話で話をして2週間でした。(昭和49年3月23日没)59歳。兄が親の死を金にしたと言われるから、医療ミスの事は言わない様に言いました。病院の支払いだけでも当時の金額で三十数万円程でした。私には高額な金額でしたが兄や妹には言っていない。妹の結婚が決まっていたが、結婚しないと言い出した。兄妹で何も言わなくても分かっていた。私は小学生の頃から新聞配達をしてきました。学生服や6年生の修学旅行、中学生の修学旅行等の費用は自分で支払ってきた。20歳の頃に母に今まで兄が家の為に尽くして来たから、今度はお前が家の事や妹を高校に行かせてやってほしいと言ったので給料は母にわたしていた。妹がこれ以上負担をかけたくないと思っているぐらい、分かっていたので少しの事しか出来ないけど、と言って母の葬儀も、なんとか終わっていたので結婚式をしないで嫁に行く様に説得し、少しの荷物しかできなかったが、兄嫁も嫁に来た時の着物等をタンスの中に入れてくれた。トラックに荷物を載せて、片道7時間程かけて妹を送って行った。賢ちゃん預けたよと言った帰りは1時間ほど涙が出て止まらない、親父が亡くなっていたから肩の荷が下りたはずなのに、涙があふれ人間には、こんなに涙があるのかと思った。当時の私には一度に色々な事が重なって来た事で、自分の事はできなくなり、最後に友人に頼み心にもない事を伝え、お通さんに嫌な思いをさせてしまった。後にお通さんの勤め先の出張に同行し、好きにさせてくれた上司に町で出会い、なぜ彼女の事を相談にこなかったのかと聞かれた、彼女の家に行って親御さんに話をすれば良かった事だと言われたが、私はうつむいたままで何も言えなかった。子供の頃から一生懸命働いてきた結果が一瞬の間に次々と、身近で大切なものを嵐に吹き飛ばされた様に身の回りの物を何もかも無くし、灯りが灯っていない家に帰った時に母の死をしみじみと感じ、ぽつんと一人になって寂しさがこみ上げてきた。こんな時期に特許庁から手続き補正命令書が届いた。私は発明協会和歌山県支部まで行くと、最初に会った職員は退職され、別の職員に指摘された要件を直した書類を見てもらった時に、職員が「手続補正書」(添付書類)を出してこの書類を使用する様に言って、白紙の部分に指を差し特許庁の担当審査官の名前を書く様に言った。後は発明の名称等を表示のとおりに記入する事と聞きました。家に帰り「手続補正書」(添付書類)の【事件の表示】と書かれた場所を調べる為、本棚の「特許の手引」を取りに行かずに、目の前の辞書で調べた為、詐欺にあってしまい一瞬の油断が命取りになってしまった。【最初に会った職員の方は退職前に勤め先を調べ連絡し、色々な事に騙されない様に注意をしてくれていたが、まさか発明協会の書類で当時の発明協会の会員まで騙すとは思っていなかった】特許法では手続き補正書に「出願番号」の記入が無いと一回で拒絶査定になり特許の権利が灰となる一番大切な表示を【出願番号の表示】と正しく書いていれば、忘れていても出願番号は書けました。【特許の手引】には【事件の表示】(特願第〇〇〇〇〇○○号)と出願番号を書く体系が記されています。【特許の手引】を見た人や知っている人は出願番号を書く事が出来るが、発明協会では特許庁に提出する「手続補正書」(添付書類)に【事件の表示】として内容(答え)を書くところを白紙にした【手続補正書】(添付書類)を使用する事で、知らない人は出願番号が書けないで間違いや勘違いを起こす。又、手続補正命令等で図面や特許請求の範囲等書類の大切な発明の部分の変更等を考えている人間の心理をついた卑劣な行為だ。【出願番号の表示】を【事件の表示】と改ざんしている書類を使用する事で出願番号の書き損ないを誘い特許の権利を消滅させ、詐欺をする手段として利用する事で企業や株式を持っている財閥が特許の権利をただ食いして大儲けをしている。取り返しのつかない失敗をしてしまい頭の中は真っ白状態で命を捨てても悲しむ恋人もいないので兄に弁護士で衆議院議員の大島 弘 代議士に会いに行って来ます。裁判になれば撃たれるかもしれないが、死ねば葬式を頼むと言って家を出ました。代議士に電話をして発明協会の詐欺事件の話をして会って頂く日取りと時間を決めていたので、出た答えが私の宿命と思い、代議士に発明協会総裁の常陸宮殿下及び会長、理事長、日本国を相手に裁判を起こす事をお願いした。私も当時の通商産業局の講演で特許法、特許ビジネス、倒産事件、特捜の捜査方法等の講義を多少なり聞きに行っていました。日本の歴史上前代未聞の裁判になる為、私は死を覚悟していますと言い、同じ死ぬなら日本国を枕にして死ぬと言った。天皇の次男、常陸宮殿下を発明協会総裁に担ぎ上げて詐欺をしていれば、1300年以上続く日本の皇族制度を巻き込む事になる。いろんな政治団体があり、撃たれる事も覚悟の上の裁判を起こすと言いますと、代議士が両手をついて待って下さい。事件が露見したら大変な事になる。発明協会と特許庁に相談に行かせてほしいと言いました。後に発明協会と特許庁に行かれてから、御身大切にする様にと諭す様な文章の手紙が届きましたが、私は逃げられたと思いました。詐欺にあってから50年程の永い年月が経過しなぜと思う人もいると思いますが、戦後78年間で日本人として生きてきた人は何億人とおりますが、一人の人間にしか出来ない事件で神に与えられた使命と宿命と考え、私も人生の終焉を迎えた為、闇に消えている特許の詐欺事件を公表します。(家族にはこの詐欺事件に関わる事は反対され続けていました)。当時の発明協会が使用していた特許の「手続補正書」(添付書類)の出願番号を書きこむところの表示を【事件の表示】と改ざんしている書類を使用する事で出願番号を書き損ない、特許の権利が消滅する方法を利用して国民を騙し続け、戦後四十年程詐欺を繰り返し、発明協会や常陸宮殿下を利用し、特許の権利をふるいにかけ、頭脳を集結して発明をただ食いする方法で、世界の経済大国と言われる様になりました。特許庁と発明協会の証拠書類はあります。発明協会が使用していた当時の「手続補正書」のコピ-、昭和21~22年頃初出版の【特許の手引】と平成5年に特許庁が製本にした【出願・登録・審判の手続】の説明で【事件の表示】とあるのは【出願の表示】と読み替えるものとすると書かれた本、又、特許庁の手続補足書の文書に【事件の表示】と表示して下の段に【出願番号】と新しい表示が加わっています。後に【事件の表示】を【出願の表示】と改正して下の段に【出願番号】と表示し【手続補正書】から【事件の表示】が消えています。戦後40年程、詐欺を続けてきましたが、事件を追及してきた人物の名前は公表していない闇の中です。発明協会、特許庁の証拠書類はマスコミ数社に配布しています。この改ざん事件を発明協会、特許庁、大阪通商産業局、弁護士と追求していき、昭和50年頃に社会党 大島 弘 衆議院議員(弁護士で実の兄も弁護士をしていた)に事件を公表して錦の御旗を掲げている、当時の発明協会総裁昭和天皇の次男、常陸宮殿下及び発明協会会長 井深 大 氏、ソニー名誉会長、有名な元会長では松下電器創業者松下幸之助氏、理事長及び役員一同の中にホンダ自動車創業者本田宗一郎氏、【昭和の太閤殿下経営の神様と言われた大企業の会長クラスの錚錚たる人物達】日本国(官軍)数十名に裁判を起こす事を依頼したが代議士や国選弁護士も逃げてしまった。後に大島代議士が亡くなった為、私は弁護士無しの裁判を起こそうとして、C弁護士に書類の作成を依頼し、指示を受けながら一人で裁判を起こす事を考えました。当時私は自分で作った「手続補正書」の提出で1回目を【事件の表示】と記入した項目のところを書き忘れた場合を想定して白紙で、内容(答え)を書くところに【出願番号】を記入して書類を提出。2回目は項目のところを【事件の表示】と書き【表示は発明協会が使用している、改ざんした表示】を使用、内容の(答え)を書くところに【出願番号】を記入して書類を提出。3回目は項目のところに【出願番号の表示】と書き内容の(答え)を書くところに【出願番号】を記入して書類を提出。この三通りの提出書類を特許庁は受理しました。上記の様に【出願番号の表示】を【事件の表示】と書き変え、間違いや勘違いを起こす事で、出願番号を書き忘れ【出願番号】の記入が無い為、拒絶査定で特許の権利が消滅して灰となる事で、企業は製造販売が自由に出来る、一方は特許登録する。この様に特許の権利をふるいにかけて、戦後の焼け野原から世界の経済大国へと成長する為に発明協会や常陸宮殿下を利用していた。【私は現代も納得していない為内閣府内閣総理大臣 岸田文雄 殿に特許の詐欺事件の真実を究明し、戦後の日本の歴史を瞭かにする様に要望書の提出をしています】。私は当時、発明協会の会員で会計報告書が送付されていました。○○基金として宮内庁から発明協会に寄付金が収められている。詐欺をしている発明協会の金の流れや、役員名簿が手の中にありましたが、私は秘密を知りすぎた。これ以上事件にかかわれば闇討ちかと脳裏に浮かび、裁判を起こす事は生か死かと考え神風特攻隊として死んでいった、御霊に申し訳ないが、私は命を惜しみ躊躇した事が人生の分岐点、母の死から6年後に伯母の紹介で見合い結婚した妻が、お母さんが天国で貴方の命を守っている。生きて勝つ方法を考えろと教えている、日本の歴史に名前が残る事より、今の穏やかな生活を大切にしてほしいと言ってくれた。平成5年頃に特許書類の【事件の表示】を改正し【出願の表示】とし下の段に【出願番号】と表示をして正しく変わった事で、後世の人々が私と同じ苦しみをしなくてすめば幸いです。後の世の100~200年先にでも映画になる事を夢に思いをこめ、直球一本勝負インターネットで特許の詐欺事件の真実を書き続け世界に発信し書き残しています。幼い頃母に言われた言葉を思い出す【人は一代、名は末代】私の人生の集大成。日本は数十年間詐欺を繰り返して来た人物達に勲章を贈与して来た国である。時効制度と真実は別の問題。日本国、宮内庁、特許庁、発明協会にも名誉があるなら国会で議論をすればいい、私も質疑応答や証拠書類の提出も出来ます。昭和50年に裁判を起こしていれば一本の矢で日本の政治経済、皇族制度、社会制度が混乱し空中分解している。私は命を惜しみ躊躇してしまったが、国会で証人尋問や喚問と言えば受ける事も出来ます。大手飛車いざ勝負お相手いたし候。この改ざん事件は国家権力を悪用した重大な事件であり、日本国憲法の人間の権利、平等と言った事を無視した人権蹂躙な行為を繰り返した法律違反である。特許庁や発明協会の職員が独自に起こす様な事件ではない。戦後の昭和21年頃に特許の詐欺事件を考案し、特許庁や発明協会に指示をした人物は、日本人なのか第三国の力が加わったのか、この部分の国家機密は私の手には入っていない。日本、アメリカ、イギリスの三カ国同盟の決裂、真珠湾攻撃、終戦、焼け野原からの復興この時期に発明協会から【特許の手引】が初出版して特許の詐欺事件が始まっている。後に昭和天皇の次男常陸宮殿下を、発明協会総裁に任命し錦の御旗を掲げる事で事件の発覚を制御し抑止力としてきた。この詐欺事件の裏に日本の歴史と大きな問題が隠れていると思います。昭和50年頃に特許の詐欺事件にあい、50年程一人で追求してきたが、歴史の山をまだ動かせていない。内閣府、内閣総理大臣や発明協会、特許庁、通商産業局に抗議を続けて来ました。マスコミ数社に書類の投稿を続けているが、箝口令の発令、発表の禁止命令が出ているのか応答がない為わかりません。この詐欺事件の国家機密と考案者や指示をした人物の氏名は私の手の中には入っていない。安倍総理大臣がトランプ大統領に、ご機嫌伺いをした様に、日本はポチをいつまで続けるか、内閣総理大臣の力量で日本の未来がきまる。私が露と消えてもインターネット上で特許の詐欺事件の追求は続く。悪の巣、伏魔殿に謎が多いので時効制度は適用しないで、特別法により闇に隠れた日本国の機密を暴いて真実を究明し、国民に日本国の正しい戦後の歴史を瞭かにするように要望します。
令和05年11月13日
内閣総理大臣 殿
和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見1405 堀本 幸次