第15話 迷宮の扉
エターナル城の礼拝堂。
リリーが部屋を出ていったことを確かめると、ゴットフリーは礼拝堂の祭壇の裏の落とし戸を開いた。その下にココが降りて行った階段があった。
あの娘……どこまで行った?
階段を下りてゆくと、そこは岩盤が剥き出しの洞窟のような場所で、カビ臭さと錆びた鉄が混じりあった匂いがした。明かりといえば、壁の所々につけられた小さな薄明かりしかない。その時、
「ゴットフリー、こっち!」
ココの声を聞いて、無意識にゴットフリーはほっと息をつく。
「お前、ここにいたのか。迷宮に入らなかったんだな」
「だって、この先は行きどまりになってて、これ以上は進めないんだもん」
「呆れる。こんな怪しい場所なのに、よく奥まで一人で行く気になれたな」
「へえ……心配してくれてたんだ……」
「……」
一瞬、沈黙し、憮然として言う。
「自惚れるな。ゴキブリ娘が一人いなくなったところで、こちらは痛くも痒くもないんだからな」
ちぇ、わかってるわよ。そんなことくらい。
ココはふんっと息を吐くと、
「でもね、ここ、見て!」
と、足元を指差した。
そこには、マンホールの蓋のような物が地面に備えつけられていた。蓋の中央についている取っ手を掴むと、ココはよいしょと、それを引き起こした。
下に続く底が見えない長い穴。穴の壁に添って縄梯子がかけてある。
「きっと、この穴を下りたところが迷宮の入口になってるんだよ」
一人で行くのはやっぱり、不安。
ゴットフリーと合流できて、やっと先に進めると、ココは縄梯子に足をかけた。だが、不意に首ねっこをつかまれて引き戻されてしまった。
「何すんのっ」
「本当に馬鹿な娘だな。ここは侵入者を拒むためだけに作られた迷宮だ。来てくださいとばかりに見えている場所は、まずは疑がってかかれ」
「なら、どうしろってんのよ」
ゴットフリーは、一瞬、考え込み、それから傍にあった小石に手を伸ばした。
「迷宮の罠に身をさらすのは、お前の自由」
そして、その石を穴の底に向かって投げつけて言った。
「だが、お前にはその自由の代償を払う覚悟があるのか?」
静まりかえっていた薄暗い穴の底が、もやもやと蠢き始める。シューシュー、がらがらと何かが擦れ合いながら縄梯子を這い登ってくる。
自分に向けられた、いくつもの充血した視線……。
ヘ、ヘビ……この穴の中、全部?
体が強張る。ココは怯えで逃げることもできなくなってしまった。その時、
「退け!」
その声とともに、ばらばらと音をたてながら、縄梯子は穴の中へ落ちていった。ココの耳元で、ばんと足で乱暴に穴の蓋を閉める音がする。
はっと、ココはゴットフリーに目をやった。
彼が握りしめたレイピアが鮮やかに煌いている。
あ……あれで、縄梯子を切ってくれたんだ……
なんだか、ゴットフリーに似合わない剣。でも、きれいだな。王女と彼との経緯を知らないココは、漠然とそう思った。
「足手まといになるくらいなら、俺の後ろについておけ!」
ゴットフリーは、叱りつけるように声を荒げたが、怯えたココの顔を見て、少し声を落とした。
「目に見える場所は罠だと思え。こういう迷宮を作りたがる設計者は、相当な天邪鬼だと心しておけ」
そして、先ほど、下りてきた階段の横壁に手をあて、何かを手探りでさがし始めた。
「他の場所と明らかに色が違っていないか。不自然な突起物や亀裂がないか。隙間風、温度差。些細な変化を探し当てることで……」
ちょうど自分の目線の位置で手を止めると、にやりと笑い、触れている階段の横壁を力まかせに引き剥がす。
べりという音と共に階段の向こうに現れた別の空間。
ココに灰色の瞳を向けて、ゴットフリーは小気味良さそうに笑った。
「迷宮の扉は開かれる」
* *
突然、彼らの前方に現われた広々とした空間と巨大な岩壁。
「あそこを見ろ。岩壁には左右に2つの扉が埋め込まれている。迷宮の最初の試練は、どちらの扉を選ぶかだな」
前を指さしたゴットフリーの言葉が重く心にのしかかる。息苦しくなって、ココはごくんと唾を飲み込んだ。
けれども、扉がある岩壁とゴットフリーとココがいる場所との間には、二つの場所を隔てる幅5mほどの水のない溝が掘られていた。
「なるほど、扉へ進みたければ、ここを横切れということか」
「ええっ、この溝こそ、罠の匂い100%だよ! 横切るなんて絶対、嫌っ」
“ちょっと、待って”とばかりに、ココはゴットフリーの腕を掴む。さっきみたいなヘビの洗礼を受けるのは、もう沢山だ。
ふと、ポケットに手を入れて、ふさふさした毛並みのモノを引っ張り出す少女。
「さっきから鳴き声がすると思っていたら……お前、それ、どこから持ってきた」
「階段の下にいたのを捕まえたんだよ。なんかの役にたつと思って」
屈託なく笑うと、ココは行っておいでとばかりに、手にした小ネズミをぽいっと溝の中へ放りこんだ。
「ヘビは駄目でも、ネズミは素手で握れるのか」
呆れ顔のゴットフリーに、ココは悪びれもせず言う。
「私、にょろにょろしたのは苦手なの。ネズミは平気! だって、サライ村にも、どっさりいたもん」
そうこうしているうちに、放たれた小ネズミは、ちょろちょろと溝の中を駆けていった。岩壁の奥にその姿が見えなくなる。
「別に何も起こらないね」
ココがそう言った時、
ギギギィ!
軋むような音と共に地面が揺れた。
「な、なにっ、何っ」
遠くから、唸るような音が近づいてくる。
水? これ、水の音?!
どどどど……、と、押し寄せてくる、泡立つ水の波。小ネズミに反応して、迷宮に仕掛けられた水門が開いたのだ。一瞬のうちに、溝の中は水で埋め尽くされてしまった。
「ネズミ一匹も逃さないとは……えらく神経質な迷宮だな。お前、泳ぎは得意な方か」
この状況をまるで楽しんでいるかのようなゴットフリーとは反対に、ココはこの世で一番、嫌そうに顔をひきつらせた。
「泳ぐ? 馬っ鹿じゃないの! ここにいることがもう嫌っ。私はにょろにょろしたのは嫌いだって言ったのに!」
瞬きする間に、澄んだ水の中に白い影がびっしりと浮かび上がったのだ。
大量の白蛇。
溝の中の水の流れにのって、うねうねと……それこそ、何百匹も……!




