第22話 魔王
「そろそろ、くたばった頃かな。いくら、化け物じみた奴だってあの白妖馬は、本当の化け物だ。敵いっこないだろう」
ザールは舌なめずりをしながら、ゴットフリーを閉じ込めた部屋へ向かった。あの髪が手に入るんだ。それを考えるとザールは嬉しくて踊り出したい気分になった。
「白妖馬が眠る朝まで部屋に入れないのが、残念だ……。さすがの俺もあの馬を相手にする気はないからな」
とりあえず、のぞき穴からでもゴットフリーの様子を見ておこう。じきに西の盗賊たちもやってくる。あいつの髪を刈り取るお楽しみは、麻薬花の運び出しが全て終わってからだ。
白妖馬のいる部屋は、もともとはザールが飼育していた馬の厩舎だった。黒馬島は、古くは馬の飼育と花の栽培を生業にしてきた島だった。痩せた土地には作物を育てることはできなかったが、飼料となる牧草や観賞用の花は作ることができた。ザールも麻薬花に手を出す前は、古物商の他に真面目に放牧等の手伝いもしていたのだ。
ザールは部屋の扉に備えつけられた、のぞき穴に瞳をくっつけて中の様子をうかがった。
おかしいな。何も見えない……
その瞬間
バリバリッバリッ!
白い部屋の扉が、真っ二つに裂けたのだ。ザールは寸での所で剣を受けなかったが、大破した扉から出て来た男の姿に腰を抜かして慄いた。
全身血まみれの男が、ザールの横を通り過ぎてゆく。足取りは鉛の枷をつけられたようにひどく重い。右手には、にぶく光った黒剣を握り締め、左手に何やら白っぽい塊を携えている。
「お、お前、ゴットフリーか……?」
まっすぐ前を向いたまま、瞳だけをぎろりと動かしザールを睨めつける。顔面にしたたる血の間から向けられた灰色の瞳は、地獄の闇を映すように陰鬱な光を放っていた。
ゴットフリー、いや、こいつはまるで……
ザールは、怯えきって、その場から逃れようと後ずさりを始めた。その時だった。
ゴットフリーが、にやと引きつった笑いをもらした。
そして、
どさり……と、
左手にもった塊をザールに向けて投げ捨てた。
「うわわああっ!!」
無残に切り取られた白妖馬の首が足元に転がっていた。血の涙を湛えた赤い瞳がザールに恨みの視線を送っている。
ザールの悲鳴に呼応するかのように、白い部屋から別の白妖馬が飛び出してきた。ゴットフリーは、白妖馬の鬣を掴むとその背に飛び乗った。
「魔王だ! わしは魔王を呼び起こしちまった」
ははは……
ザールの言葉に満足げな笑い声をあげながら、ゴットフリーは白妖馬の胴体を強く蹴った。馬は、館の壁を蹴破り、地獄の叫びをあげながら紅の花園へ飛び出していった。
「うああ……」
ゴットフリーの乗った白妖馬を唖然と見つめていたザールは、白い部屋から飛び出してきた、もう1匹の白妖馬の姿に頭を抱え込んだ。
あ、頭がない……
どうしようもない恐怖にザールは囚われていた。とんでもないことをしちまった、この黒馬島は破滅するぞ。ゴットフリー……あいつは、あいつは……
魔王だ……。
* *
燃え上がる炎の間をすり抜けながら、タルクとジャンを乗せた馬が紅の花園を走ってゆく。
「ゴットフリーはどこだ!?」
むせ返るような花の香りが、広がってくる。なぜ、花園が燃えている? この火は誰がつけたんだ?
ジャンは、目を凝らして花園の中央にそそりたつ火柱を見つめた。
違う! この火は自ら燃えているんだ。紅い花園? 違うぞ。僕は知っている……。この濁った不吉な紅の色は……
― 海の鬼灯―
女神アイアリスに見捨てられ、この世をさまよう怨念の塊。恨み、憎しみ、怒りの力を吸取りながら、通り過ぎるすべての物を破滅に導く邪悪の根源!
「俺はこの紅を見たことがあるぞ……これは、まさか……」
燃え立つ炎を見つめるタルクに悪夢の記憶が蘇ってきた。忘れられるはずもない。ガルフ島が崩壊した時、溶岩と津波の間に見た紅の灯を。そして、助けきれず飲み込まれていった住民たちの哀れな姿を。
「海の鬼灯! なぜ、こんな場所に?!」
「黒馬島に巣食っていたんだ。紅の花園に姿を変えて……ゴットフリーを取り戻すために」
「……海の鬼灯が隊長を?」
タルクは腑に落ちない顔でジャンを見たが、驚きはしなかった。黒馬島にゴットフリーを貶める罠があることにはとうに気づいていたのだ。
「海の鬼灯は、伝説の島、レインボーヘブンを襲った略奪者たちのなれの果てだ。ゴットフリーはその長の末裔……彼らにとっての王……なんだ」
「隊長が、略奪者の長の末裔? それも伝説の至福の島の」
「詳しい話は後だ。だが、レインボーへブンの守護神アイアリスもゴットフリーをレインボーヘブンの王に選んだ。やがて、蘇る至福の島を統べる者として。平和に慣れすぎて戦う術を知らないレインボーヘブンには、略奪者たちの強い力が必要だったんだ」
だから、隊長はレインボーへブンを探しているのか。そんなとんでもない運命を背負わされていたなんて……なのに俺は……タルクは少しばかり拗ねた気分になってきた。ゴットフリーに仕えたい一心で着いて来た。だが、レインボーへブン……伝説を相手に今の自分にできることなどあるのだろうか?
火柱の勢いが弱まった時、ジャンの目が、見慣れた黒衣の男をとらえた。
「ゴットフリーだ!! 見つけたぞ」
馬の背から飛び降り、駆けてゆこうとするジャンをタルクが呼びとめる。
「ジャン、一つだけ聞かせてくれ!」
「話は後だ!」
再び、火柱が高くあがり、ゴットフリーの姿をかき消した。ジャンは炎を避けもせず、まっすぐにその中に飛びこんでゆく。タルクはありったけの声で叫んだ。
「お前はどこからやって来た? お前はいったい何者なんだ!! 答えろ、ジャン」
燃え立つ炎に遮られ、もう、ジャンの姿は見えなかった。だが、タルクは確かに聞いた。足元から響いてくるジャンの声を。
― 僕は、レインボーヘブンの”大地”だ。守護神アイアリスによって分けられた七つの欠片の一つ。僕らは探している、ゴットフリーと住民たちの居場所、真の至福の島が蘇るその場所を! ―
紅の花園が燃えている。海の鬼灯に侵食されていなかった花の箇所は、徐々に燃え尽きて黒い灰に変わり出した。
その花の香も次第に乾いた空気に閉じ込められ、今はこげた悪臭としか感じられない。ただ、花園の中央だけは絶え間ない業火が、立ち上り、熱風を撒き散らしながら紅の地獄絵を描き出していた。
ジャンは、その業火の真っ只中にいた。炎といっても、自然の一部である彼には、小さな火傷を負う程度にしか感じられない。だが、ジャンは苦しくてたまらなかった。
目の前にいるゴットフリー……白妖馬の背にまたがり、全身を血に染めたゴットフリーの瞳からは、もう以前の深遠さは消えうせていた。斜めにジャンを見下ろす灰色の瞳は、ぞっとするほど残酷でこの世の全てを儚んでいた。
「ゴットフリー、こっちへ来い!!」
ジャンは、ゴットフリーを引き寄せるように彼の方へ手を伸ばす。だが、ゴットフリーは知らぬ顔で白妖馬の歩を進めた。白妖馬がごうっと一声、嘶いた。すると、ゴットフリーの目の前に、紅蓮の炎が集結し始めた。




