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気が付くと、十二月もいつの間にか下旬に入った。
この二ヶ月余り、僕は一度も休むことなく日曜の半日を結衣と過ごしてきた。最初に彼女が言った「しばらく」がどのくらいの期間なのか分からなかったが、僕にはもうこの時間は必要不可欠なものだった。
しかし、間もなく訪れる年末年始、高宮家は例年海外で過ごしているため、次の日曜は会うことができない。たかが一週余計に会えないだけで、僕はとても残念だった。
「海外かぁ。本当にセレブだね」
その日の別れ際、事情を伝えると結衣はからかうように言って笑った。
「気を付けてね」
と、僕を送る彼女の明るい笑顔を、まるで二度と会えないかのように、僕は目に焼き付けた。
そして二週間後、待ち遠しかったその日を迎え、僕は朝から浮き足立っていた。
こんな風にのめり込む気持ちを抑えながら、彼女の前でポーカーフェイスを貫くことは、それはそれで苦痛を伴うものだった。だがそれを甘受してでも、僕は彼女に会いたかった。
この日は通常よりも少し早めに家を出ると、カレラを飛ばして、彼女の部屋を目指した。
信号待ちで、携帯が何らかの受信を告げているのに気づき、僕は手に取った。
『ごめんなさい、レポートの提出が迫ってて、今日しか書く時間ないの』
結衣はつまり、今日は会えないと言っているのだった。
僕は落胆しながらも、返事を書かずそのまま車を走らせた。すぐに帰る事になってもいい――とにかく少しでも、会うことが出来るのなら。
近くのコインパーキングに停めて、彼女の部屋に向かった。
「ごめん、メールにさっき気付いたんだ」
ごまかして言うと、結衣はそれ程迷惑そうな素振りでもなく、
「急だったもんね。私がもっと早く連絡するべきだったの」
と、僕を中に通してくれた。
部屋のローテーブルには講義の教科書や参考文献が広げてあり、その隙間にノートパソコンが開かれていた。
よく見ると彼女は部屋着で、寝不足の顔をしていた。
「徹夜でもしたのかい」
何気なく聞くと、結衣は恥ずかしそうに自分の顔を触った。
「やだな、そんなにヒドイ顔してる? ――うん、まぁ……。午後までに終わらせるつもりで、夜からずっとやっていて……」
「夜から? だって、土曜日のアルバイトはバーだから帰り遅いんだろ?」
結衣は苦笑した。
「良く覚えてるね。バーじゃなくて、居酒屋だけど……。そういうわけで、いつの間にか寝ちゃってて、気がついてすぐメールしたの。でも、間に合わなかったね」
僕は彼女が、無理をして会う時間を作ろうとしてくれていたことに、大きな喜びを感じた。
「――君が嫌じゃなかったら、手伝うよ。経済学だろ、僕も昔やったよ」
「……本当?」
珍しく結衣はしおらしく、僕の申し出を受けた。
そして四時間後、
「終わった……」
レポートは無事に形になった。プリントした書類をクリアファイルに入れ、パソコンや本を片付けると、うーん、と結衣は伸びをして、役目を終えベッドを椅子代わりに腰掛けている僕に、爽やかな笑顔を見せた。
「付き合ってくれてありがとう。すごく助かったよ。――じゃ、どこか行く? あ、でもその前に着替えなきゃ。さすがにコレじゃね……」
結衣は自分の着ている綿パーカーとルームパンツを見下ろして苦笑した。
しかしその姿は、僕の苦笑を誘うことはなく、別の衝動を起こさせた。
「いいよ、着替えなくて」
僕は真面目な顔で彼女の手首を取った。
「ここで君と過ごしたい」
「えっ……?」
目を見張り、続く言葉の出ない彼女を引き寄せて抱き締め、そのままベッドに押し倒した。
「本気? ……私と?」
仰向けで横たわりながら、僕に驚きだけを露わにした彼女に、
「……本気さ」
僕は切なさを隠してそう答え、その唇を塞いだ。最初に交わしたものとは全く別の、深いキスだった。
「――婚約者がいるくせに」
一度離した唇から息を漏らして、囁くように彼女は言った。責めているというほどでもない、イタズラをたしなめるような顔だった。
「……顔と名前しか知らない子さ」
僕がそう返すと、
「私も似たようなものだと思うけど」
と、彼女は皮肉っぽく笑った。
僕はそれには答えずに、ただ欲するままに、彼女の全てを求めた。
満たされた後、僕は夢見心地で彼女のすぐ隣に力尽きたように横たわった。何となく気まずくて、まだ肌が触れ合っているのを感じながら黙っていると、
「何か……想像つかなかったな。あなたが、こんな事するなんて」
と、結衣が呟いた。
「ご…ごめん」
僕は慌てて謝った。
彼女はそれをクスッと笑い飛ばして、いつもの会話の調子で言った。
「そうじゃなくて。だっていくらでも選べるじゃない。――何もこんな狭い場所で、こんな、私なんかと……ってね」
「そんなことない、結衣は綺麗だよ」
僕は反射的に体を半分起こすと、すぐにそう言った。彼女に自分をそんな風に卑下して欲しくなかったのだ。
すると、結衣は言葉に詰まり、急に頬を赤らめて目を逸らした。
「え……?」
その反応に僕は目を丸くした。
「もしかして、照れてる?」
「そっ…、その顔でそんなこと言われたら、誰だって……。もうちょっと自覚してよね」
結衣が今まで見せたことのない女らしい表情に、僕は驚きとともに惹きつけられた。
顔を隠すように向こうを向いてしまった彼女の耳元で、
「何度でも言うよ。結衣は綺麗で、可愛くて、楽しくて、魅力的で……」
冗談を装って、胸の内をありったけ言葉にした。彼女は耐えかねたように僕に向き直って、
「もういいよ。そこまで言うと、全然信憑性ないし」
と、いつもの平気な顔で言ったが、
「でも、まだ顔赤いよ」
と僕が笑うと、
「そんなにすぐに戻らないだけ!」
怒った態度でごまかしていた。
僕はこの親密で楽しい時間をずっと続けたくて、思いつく限りのくだらないことを話し掛けた。彼女も弱り顔ながらも、しばらく僕のおしゃべりに付き合った。
だが、やがて暗くなった窓の外に目を向けて、
「お腹空かない? どこか行こうよ」
と、起き上がって下着を身につけた。
僕は正直、その素肌をまだ離したくはなかったけれど、
「うん、そうだね」
と、同意した。