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 寒さもかなり身にしみるようになって、靖国通りは早くもクリスマスのキラキラした演出で溢れていた。


 そんな場所を二人で歩いていると、手を繋ぎ身体を寄せ合っている他の恋人たちが、僕には酷く眩しく見えた。


 今日は神保町に古本を買いに来て、通りに並ぶ書店やスポーツ品店を眺めた。

「何か変わった街だね」

 渋谷や新宿とは明らかに異なる特徴的な街並みに、僕は物珍しい視線を向けた。


「街って、面白いよね」

 彼女は愉快そうに微笑んだ。

「ランダムな要素で出来上がったものなのに、まるで人間みたいに、それぞれの顔や性格があって。お洒落だったり、ハイソだったり、ここみたいにちょっと独特だったり……」

「そんな風に考えたことなかったな」

 僕は驚いて言った。街は、土地と建物で出来上がった風景程度にしか思っていなかった。


「ただ目的地に向かうだけより、そう考えながら歩くと楽しいよ」

「確かに……」

と、僕が頷きかけると、

「あ、ごめん」

と、彼女は携帯を手にした。画面を確認して、

「学校の子だ」

と呟いて電話に出た。彼女が歩道の端に寄って話し始めたので、僕もそれに倣った。


 自然、会話が耳に入った。

「――うん。あの本もう読んだの、早いね。――わざわざ、今から? いいよ、今、外だし」

 どうやら、彼女が貸した本を返しに来るという用件らしい。

「ごめんね、ありがとう。――うん、じゃあまた、学校で」


 電話を終えると、彼女は僕の方を向いて、

「えっと、何の話してたっけ」

と首を傾げた。

 僕はもうその話よりも、電話の相手の方が気になっていた。

「随分、律儀な友達だね。休みの日に、わざわざ返しに来ようなんて」

 僕がそう言うと、

「うん、でもちょうどうちの方に来る用事があったんだって」

と、彼女は何のこだわりも無く答えた。


 それを聞いて、

「――『彼』は、君が日曜日だけはアルバイトをしてないって知ってたんだね」

 僕は汚いやり方で、電話の相手を探った。

「さあ、偶然じゃないかな」

 その答えに、僕は相手が男だと確認して、また不快感を覚えた。しかしそれを内に抑え込んで、

「――少し冷えて来たね」

と、話を変えた。


 日没が訪れて、僕達は通りを一本脇に入ったインドカレー屋に入った。今日歩いて来た通りの付近のあちこちでカレー屋を見かけたが、彼女はそう迷わずにこの店に決めた。

「こんな店、よく知ってるね」

 古びたビルの地下一階にある入口を入ると、外見からは予想しなかった清潔でモダンな内装が広がっていた。ダークブラウンの天然木とシルバーのペンダントライトがセンスよく使われ、高級感を醸し出していた。


「ここは、よく来るから」

 彼女は何でもない事のように言った。

「この店に?」

 それが不思議で、僕がそう聞くと、

「ううん、神保町に」

と、彼女は答え、僕が更に何か質問する前に、続けて言った。


「この店ならインドカレーでも癖が少なくて食べやすいし、インテリアも綺麗だから入りやすいんじゃないかなって。――はい、メニュー」

「あ、ありがとう」

 僕はオーダーを考える振りをしながら、僕の知らない彼女の生活に気を取られた。


「いらっしゃい、フルヤさん」

 テーブルに水を二つ置きながら、インド人らしい店員が彼女に笑いかけた。

「誰かと来るなんて、めずらしいネ」

「たまにはね」

 店員がオーダーを取って引き上げると、

「本当によく来るんだね」

と、僕は感心して言った。とりあえず普段は一人なのだと分かってホッとして、気持ちに余裕が出来た。


「この近くでバイトしてるから。お昼ごはんを済ませて、出勤するの」

 僕は上山あずさに会った日の事を思い出した。あの日のアルバイト先は、神保町だったに違いない。

 そのうちに料理が来て、僕は彼女の真似をしてナンにカレーを付けて食べた。

「へえ、美味しいね」

 新しい発見をしたように僕が言うと、

「あなたって、普段一体何食べてるの」

と、彼女は面白そうに言った。


 そんな彼女に、僕はいつものように軽く膨れて反論した。

「君の方が余程謎だよ。学生なのに、アルバイトばかりしてるし……」

 だが、つい余計な事を喋りそうになって口を噤んだ。

「……し、何?」

 有無を言わせない視線で、彼女は僕に先を促した。


「……」

 僕は一瞬目を泳がせたが、決心して言った。

「人に好かれることを、自分から避けてる」

 彼女は口にしていたものを飲み込むと、

「そんなことないけど」

と、少し不快そうに言った。


 それは想像通りの反応だった。だからもう、これでやめるべきだったのに、僕は追及せずにはいられなくなった。

「学校で君は、誰にでもいい顔をしながら、本当には仲間に入らずに当たり障りのない生活をしてるんだろ? ――周りは君に、関わろうとしているのに」


 上山あずさに、自分と会った事を伏せるよう約束させた事も自ら無駄にして、僕が感じていた、彼女の深層にある厚い壁に触れた。


「……それの、何が問題なの」

 半ば開き直ったように彼女は認めた。もはや後戻りは出来なかった。

「思わせぶりで、罪作りだ」

「ただ社交的に生きる事が?」

「さっきの電話だってそうさ。彼は――」

 君に会いたかったんじゃないのか、という言葉を飲み込んで、僕は一度深呼吸して質問を変えた。


「君だって、学校やアルバイト先で自分が好意を持たれているって思うことあるだろ?」

「――ない」

 可能性すら迷惑だと言わんばかりに、彼女は切り捨てるように言った。

「そんなつもりで接した事もないし。そもそも、言葉にされない気持ちには興味がないな。察して、なんて期待されても困るし、言わないで分からせようなんて、卑怯じゃないかな」


 僕の事を言っているのかと、一瞬ドキリとした。


 そのせいで、それでは割り切れない気持ちのあることが、僕にも分かってしまった。

 人気の恋愛映画を無感動に観ていた彼女。ジャンル無差別な読書家のくせに、恋愛作品だけは読まない……。


 つまり彼女は生活から意図的に恋愛を排除している。あの日それに気付いた僕は、気持ちを知られて拒否されるくらいなら、遊び感覚で付き合える今の方がマシだ――そう思った。

 しかしその一方で、やはり彼女からの見返りを期待する気持ちも、こうして捨てられずにいる……。


 その消化出来ない感情に任せ、僕は更に彼女を責めた。

「それは自分を正当化しようとしてるだけだ。卑怯なのは君も同じじゃないか。この前も、言われる前に言わせないようにしてた」

 映画を見た後の出来事を持ち出した。片山というあの男は気に入らなかったが、もしかしたら逆の立場になっていたかもしれないのだ。


「……」

 彼女は口を噤んだ。

「仕事には誠実だけど、こと恋愛に関しては随分乱暴だね」

 僕がそう続けると、彼女は明らかに怒った顔で僕を睨んだ。

「あなたにそんなこと言えるの? 結婚を道具にして、婚約者に対して誠実さのカケラも持たないくせに」


「――」

 僕は無言で立ち上がった。彼女の僕を見る目は、最初に会った日と同じくらい冷たかった。

「……帰る」

 そして店を出た。


 早足でパーキングに向かいながら、頭の中で彼女の言葉が繰り返し響いた。

 確かにその通りだった。言い返す余地もない。

 ――だが、それを彼女に責められたくなかった。僕は意外にも誠実で、その全ては君に向けられているのだと……言ったらまた怒らせてしまうのだろう。


「……しゅ、主任?」

 パーキング前の歩道で、僕は入江とバッタリ会った。

「ああ……偶然だね」

 彼女は驚きながらも、

「私、この近くに住んでいるんです。買い物から帰る途中で、主任の車に似ているなぁって、つい眺めていて……。本当に主任のだったんですね」

と、喜びを滲ませた。


 僕はどう返事していいか思い付かず、目を逸らした。突然の部下との遭遇を、歓迎できる気分ではなかった。

「――お帰りですか?」

 入江は僕の様子を察して言った。

「ああ」

と、いつでも忠犬の如く僕を気遣う彼女を見て、何となく同情心が湧いた。

「君も帰るなら、送ろうか」

「えっ⁈ い、いいんですか」

 ほとんど狼狽するように、入江は喜んだ。

(ただの親切でも、連れなくされるよりいいだろう)

 半ば投げやりにそう思いつき、彼女を促して車のそばまで来ると、パーキングの歩道際にあった人影が僕の目に止まった。


 その瞬間、人影は身を翻して元来た通りの人混みに向かった。


 その時、僕の心臓が大きな音を立てて警鐘を鳴らした。

 僕は入江に急いで言った。

「ごめん、急用を思い出した。――また今度」


 そして走り出した。すぐ目の前の靖国通りに出ると、左右を見回し、人混みに紛れるその姿を探した。見つけた後ろ姿に向かって、僕は人の隙間を縫うように早足で追い掛けた。その少し先には交差点。僕がそこに着く頃には、大きな道路が二人を隔ててしまう。


「待って! ――結衣!!」

 僕は大声で呼んだ。呼びたくてもずっとうまく呼べなかった彼女の名前を。


 信号機の下で彼女は立ち止まって、振り向いた。歩行者信号が青になって、たくさんの通行人が横断歩道を渡って行っても、そのままで足を止めていてくれた。

 やがて信号は赤になり、道路では待ち構えていたように車が走り出した。


「今のは……会社の部下で、たまたまそこで会っただけで……」

 彼女の前に辿り着いた僕は、息を切らしながら言い訳のように言って、そしてそれが彼女には必要のない説明だと気が付いてやめた。

「――追いかけてくれたんだろ、僕を」

 少し息が整うと、僕は言った。


「また私、あなたを傷つけちゃったんだなって思って」

 彼女は困ったように小さく笑った。

「ごめんなさい」

「いいんだ。僕も、悪かったんだ」

と、僕は彼女の手を取った。


 恋愛でなくても、少なくとも彼女はこうして僕の前に留まっていてくれる……。

「行こう」

 本当は抱きしめたかったけれど、人混みに紛れながらこうして手を繋いで歩けるだけで、今僕は十分、満たされていた。


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