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本編「不器用lovers」の、光視点で描いた結衣との出会いから別れまでの物語。

 十二月に入ったばかりの火曜日。横浜方面に仕事で来た僕は、時間の都合をつけて、Y大学の正門前にやって来た。ちょうど時間的にも、四時限目が終わったところだった。


 彼女が出て来るのを待っていると、

「あのぉー……」

と、知らない女子学生に声を掛けられた。小柄でややぽっちゃりとした親しみやすい雰囲気の彼女は、僕がそちらを向くと、

「もしかして、結衣を待ってるんですか?」

と、聞いた。


「ええと……あなたは?」

 僕は訝って聞き返した。

「あ、私、ゼミ友達の上山あずさと言います。この前ちょうど話してるところ見たので……」

 ああ、と僕は安堵して頷いた。だがその直後、彼女は、

「でも、今日は結衣いませんよ」

と、気の毒そうに言った。

「一限しかないから、午後からバイトに行ってるはずです」

「そ、そうなんだ……」


 僕は落胆を隠せずに言った。確かに、卒業間近の四年生がそんなに毎日フルで講義に出ているわけがない。


 期待が外れてしまったが、僕はこの上山あずさに話を聞くのも貴重だと頭を切り替えた。

「アルバイトって、みんなそんなにしてるもの?」

「まあ、しますけど、結衣は働き過ぎですね。親から生活費もらえないみたいだから、仕方ないんでしょうけど」

「え……、もらえないって、何故?」

 僕にはとても考えられない衝撃的なことを言われ、食いつくように聞いた。彼女は僕の反応に驚いたように身を引いて、

「た、多分……お家に余裕がないんじゃないかな。奨学金ももらってるみたいだし」

と、考えながら言った。


「そう……。教えてくれてありがとう」

 僕が話を終えようとすると、

「でも、安心しました」

と、彼女はホッと微笑んだ。

「結衣が大人びてるのは、社会人のカレシさんがいたからなんですね」

「……え?」

 僕の事を言っているのだと理解するのに、三秒かかった。

「あれ、違うんですか?」

 彼女が首を傾げると、僕は慌てて、

「あ、いや、……そうだよ」

と、ちょっとした罪悪感と満足感を感じつつ頷いた。


 そして、

「大人びてるかな、彼女?」

と、聞いてみた。

「そうですね。遊びには誘ってもほとんど来ないし、ゼミの飲み会でも私達みたいにバカ騒ぎしないし。何か一応付き合うけど、同級生とか眼中ないって感じで」

「それでこの前も一人だったのか……」

 僕が考え込むように呟くと、

「え、そういう意味じゃないです。結衣はむしろ誰からも好かれてますよ。頭いいし、頼りがいあって優しいんです。友達だけど、お姉さんみたい。だからカレシさんがあなたみたいな人で、すごく納得」

と、上山あずさは人の良い顔で笑った。


 その日、僕は会うのを諦めて帰社した。その道中、先ほど得た様々な情報を頭の中で繰り返し、僕からは見えなかった彼女の現在を勝手に想像した。そして若干の疎外感と、使命感に似た思いを抱いたのだった。



 翌日の水曜夜、僕は渋谷駅近くの洋風居酒屋にこっそりとやって来た。

「いらっしゃいませー!」

 帽子で顔を隠しつつ店に入ると、威勢のいい男の店員が出迎えた。

「一名様ですかぁ?」

 居酒屋という店に今まであまり縁がなく実は緊張していたが、平静を保ってカウンター席の隅に座った。


 昨日、上山あずさからこのアルバイト先も聞いた。本当は来るつもりはなかったのだが、あれからずっと彼女の私生活のことが頭から離れず、遂に好奇心に負けて来てしまった。こんな風にこそこそと観察していると知られたら、間違いなく怒らせてしまうと思うのだが……。


 店内はカウンター以外は半個室になっていた。間接照明で程良い暗さの店内は、通路を往復する店員の様子をさりげなく見るのにちょうど良かった。


 家で食事は済ませたので、最初に頼んだドリンクを少しずつ飲みながら時々軽く振り向いて様子を窺っていると、

「いらっしゃいませ! 三名様ですか?」

と、入口の方で彼女の声がして、僕は顔を隠すように壁際に向いた。


 そっと横目で見ると、彼女が笑顔で客を案内して歩いて行くのが見えた。ホテルの給仕とはまた違った、溌剌としたフレンドリーな態度で、その女性客たちといくつか会話をしながら向こう側の通路へ消えて行った。


 想像していた通り、ここでも彼女は仕事に対して異常なほど真面目だった。と言うのも、彼女は基本的に見知らぬ人に愛想など振りまきはしない。対価に見合う労働として、愛想良く客をもてなしているのだ。そういう強い責任感が、恐らく彼女を大人びて見せているのだろう。


 ただそれがひとえに生活費のためだとすれば、それは少なからず負担のはずだ。金銭的な負担なら、僕はいつでも取り除いてやることが出来るのに、と、昨日から考えていた。


(でも、彼女はきっとそんなことは求めない)

 以前にアルバイト代を代わりに払うと言って酷く怒らせた事を思い出しながら、頬杖をついてぼんやりしていると、

「こちら当店お勧め、ミックスベリーのノンアルコールカクテルです」

と、目の前にドリンクを置かれた。

「いえ、頼んでません……」

 そう振り返ると、悪戯っぽく微笑んでいたのは彼女だった。


「あ……」

 ばれて気まずい表情の僕に、

「どうしたの、今日は」

と、彼女は気安く聞いた。

「いや、ちょっと……暇だったから」

 瞬時に上手い言い訳を思い付かず、手短にそう言うと、彼女は笑って、

「ヒマなんだ? ――ちょっと待ってて」

と、一度奥に引っ込んだ。


 五分ほどしてまた僕の前に現れた時には、店の制服ではなく私服だった。

 そして、

「仕事上がって来た」

と言って僕の隣に座った。

「えっ」

 僕が驚くと、

「遠方から従兄弟が来たって言ったら、店長がもういいって。今日お客さん少ないから、人件費削るのにちょうど良かったのよ」

「でもそれじゃあ君の給料が……」

 嬉しい反面、申し訳ない気持ちで言った。

「じゃ、ここの食事代、おごって」

 彼女は屈託なく笑った。それで僕も釣られて笑った。


「でも、僕がいるっていつ気付いたの」

 感心したように聞くと、

「すぐ分かったよ。だって接客業だよ。お客さんの様子見ながら適度にお世話する仕事」

と、彼女はあっさりと当然のことのように言った。 僕は期待外れもいいところで、

「えーっ、全然こっちなんか見てなかっただろ」

とむしろ非難を込めて言った。が、彼女は呆れて、子供に教育でもするように人差し指を立てた。

「あのね、ジロジロ見たら失礼でしょ。それとなくサラッと見て、空いたお皿下げたりするの」

「何だよ……、隠れて損した」

 僕ががっかりして呟くと、

「隠れてたの? あれで?」

 面白すぎる、と彼女は可笑しそうにお腹を抱えて笑った。


 僕は少し膨れた顔を作りながらも、鈴の音のように軽快な彼女の笑い声に癒されていた。彼女の助けになれないかとさっきまで真剣に考えていた事も忘れ、いつまでもこうしていたいと、気が付くと思っているのだった。



 それまでの僕の休日の楽しみと言えば、車を整備してひたすら遠くへ走るだけだった。ひと時、形だけでも運命から逃れることが、唯一の救いだった。

 高宮という名を背負っているだけで、モノも、ヒトも、求めた覚えもないうちから僕の毎日に勝手に入り込んできた。表面だけは良さそうな顔をして、いたずらに僕を侵食しては通り過ぎていった。


 周囲の人間は、高宮の財や権力を当てにして媚びへつらうか、具体的な理由もなく敵対視するかに大別され、女性は大体は前者だった。

 僕は、女性とはそんなものなのだと、この免れ得ない運命と同じように、多少の軽蔑と共に受け入れるようになった。


 もしかしたらどの時点でか、この運命に抗う意志を示す事が出来たのかもしれない。しかしあまりにも初期から鉄壁の教育を施された深層心理の働きか、または冷静な現状分析による判断か、――それともただの勇気の問題か、僕は今まで一度も不平不満を表面化せずに自分を殺して来た。


 その忍耐の多少の憂さ晴らしに、意味のない散財をすることには罪悪感などまるで無く、むしろ自分に許された僅かな権利を使うのはごく当然のことだと思っていた。


 なのに、彼女と来たら――。

出会った時の、あの攻撃的な視線が頭に浮かんだ。

そして次々と変わる表情。喜ばせようとすれば怒り、笑わせるつもりもない時に大笑いし、涼しい顔で突然驚くようなことをする。

 何一つ、思い通りにならない。

 ――そしていつも、僕が高宮光だということを忘れさせてくれる……。



「おや」

 執事の篠田が声をあげ、僕はふと考え事から現実に返って彼を見た。

 土曜の午後、部屋で過ごしていた僕にちょうどお茶を運んで来たところだった。

「どうしたの」

 僕は聞きながら、窓の向こうに投げられた彼の視線の先に目をやった。

「木蓮に、花が……」

と、彼は首を傾げながら言った。


 そんなはずはなかった。庭のハクモクレンの花の季節は、春なのだ。

 だが確かに、枝にひとつ白い花のようなものが見えた。

と、思った瞬間、それは翼を広げて飛び去ってしまった。

「鳥でございましたか」

 篠田が納得したように言った。

 僕は目の覚めたような気持ちで、その裸の枝を、しばし見つめた。


お読みいただき、ありがとうございました

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