表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/13

4

本編「不器用lovers」の、光視点で描いた結衣との出会いから別れまでの物語。

 ともかくも、それ以来僕は、彼女のいない日常にも時折彼女を思い出して、退屈な毎日をそれなりに楽しむようになった。


 そんな僕の心境の変化にいち早く気付いたのは、執事の篠田だった。


 ある月曜、仕事が終わり、僕はいつものように帰宅した。

 普段の通勤には、運転手付きの車を使っていた。だが、その初老の運転手とはそれまでほとんど口を聞いた事はなかった。

 玄関前で篠田にドアを開けてもらって車を降りると、僕はふと動きを止めて、振り返った。

「あの……、いつも安全に送迎してくれて、ありがとう」

 運転手は驚いて、

「と、とんでもございません!」

と、急いで車外に出て頭を下げた。

 表情を崩さなかったものの、篠田もしばし沈黙し、僕を凝視していた。

「それじゃ、明日もよろしくお願いします」

と、もう一声かけて、僕はポーチの階段を登った。


 そのあと、部屋に着くと、篠田は静かに僕に質問を投げかけた。

「光様……、最近何か、心境の変化になるご経験がおありですか」

「何故?」

 僕は聞き返した。

「運転手に労いの言葉など……以前に掛けたのをお見受けした記憶がございませんでした」

 篠田は僕を刺激しないためだろうか、やんわりと理由を告げた。

「そう――だよね」

と、僕は思いを馳せるように窓の外を見て、沈黙した。

 篠田は、辛抱強く答えを待った。


 やがて、僕は静かな声で口を開いた。

「誰にも、絶対に口外しないと約束してくれるなら、話すよ」

 いつもの信頼感に満ちた表情で、即座に彼は頷いた。


 そして、僕は彼女との特別な出会いと、そこから続く関係の事を打ち明けた。

「咎めるかい、僕を」

 僅かな不安と、確固たる意志を秘めた目で、彼を見つめた。

 篠田は必然のように首を振った。

「私は常に、光様のご成長を願い、見守る立場でございます」

「――ありがとう」

 僕は心から感謝して、そう言った。



 それ以降は、僕は時々彼に彼女の話をした。高宮家で唯一、進行形で僕の真実を知る人間は、実の父母でも姉妹でもなく、彼だった。

 有能な彼はもちろん、盲目な忠誠心からそれを認めたわけではなかった。彼の言葉の意味そのままに、この時、彼は彼女が僕にとってプラスだと判断したのだった。


 これまでの僕は――、真面目な振りをして父の方針に従いながら、その実、自分を含む全ての事柄に投げやりだった。当然、他者への気遣いなどしたこともなかった。それが根本的に改善されているのを、運転手の件で認めたのだ。


 幼少期から僕に父母よりも身近で仕えて来た篠田。彼は常に誰よりも僕を理解し、将来を気遣っていた。僕が抱える厭世観をずっと憂えて来た彼は、それが彼女の存在によって消えたことに気付き、彼女を評価した。

 僕が話をすれば、見た事もない彼女に敬意すら表しながら、微笑んで聞いてくれた。


 この時から最後まで、篠田は僕達の味方でいてくれた。時には、彼にとっても脅威である父を欺いてまでも。彼の存在は常に頼もしく、心の支えだった。思えば、それは彼女と出会う以前からそうであったのに、僕は今まで感謝を形にしたことがあったかと、今更のように反省するのだった。



 何はともあれ、内外共に定期的に会う権利を得た僕は、毎週気軽にこの街に通った。


 十一月も終わりに近づいた秋晴れの日曜、僕は彼女のマンション前に着いて車を停めた。

「お待たせ」

 スモークの貼った窓を開けて顔を見せると、彼女も笑顔を浮かべた。実際はともかく、表面は普通の恋人同士のような関係が板に付いて来た。


 例によってまた彼女の本を買いに渋谷に来ると、突然彼女の携帯が鳴った。

「もしもし」

 彼女は電話を取った。横で話を聞いていると、今日これからの仕事の依頼のようだった。

「一時から? ボーナス出すって言われても……。お困りなのは分かりますけどね」

 苦渋の表情で話していた。僕はその様子で、今日は自分は帰ることになるだろうと感じた。


「――はい、じゃあ」

と、彼女が電話を終えて振り向いた。

「待たせてごめんね。――じゃ、行こう」

 僕は訳が分からない様に、

「アルバイトに?」

と聞いた。

 彼女は一瞬ポカンとして、

「何であなたとバイトに行くの? 遊びに行くに決まってるじゃない」

と笑った。

「だって、アルバイトは君にとって大切なんだろ。僕に気を遣ったの?」


 彼女は珍しいものでも見るように僕を少しの間見つめた。

「……。基本、先約が優先だし……、週六で働いてるから、休みも欲しいし」

「ああ、そっか。――良かった、もう帰らなきゃいけないかと思ったよ」

 心底ホッとした様子の僕に、彼女は呆れて、

「相当卑屈ね。私がバイトよりあなたといた方が楽しいって、何で思わないの?」

と言った。


「僕といて……楽しい?」

 僕はその言葉が信じられなくて、不安げに聞いた。

「楽しいよ。じゃなかったら、会う理由ないでしょ?」

「そうかな」

 彼女はごく当たり前のように答えたが、僕は素直に頷けなかった。

 すると彼女は首を傾げて、

「変なの。あなたの方が余程、私なんかに関わる理由ないと思うけど。その甘い顔で、何人もの女の子を泣かせて来たんじゃないの」

と、疑うような視線を投げて笑った。


 僕にはそれも心外だった。

「酷いな。僕は別に好きでこの顔に生まれたわけでも、自分から誰かを求めた事もないよ。皆勝手に僕に近付いて、勝手に幻滅して去って行くのさ」

「ふうん。来る者拒まずってわけね。お優しいこと」

 しかし再び彼女に言い負かされて、僕はまだ何か言おうと考えたけれど、

「さ、今日は何しようか? お腹空いたし、食べながら考えよう」

と手を引かれると、もうそんな事はどうでも良くなって、彼女に従って目の前のファストフード店に向かって歩いた。


 渋谷は雑多な街だった。文化的施設も、ファッションビルも、様々な飲食店も、――やや物騒な所もある、文字通り東京の中心地だった。すれ違う人々も、見た事のない奇抜な服装の若者から、小さな子供をベビーカーに乗せた活動的な母親たち、制服の学生、外国人、とにかく色々だった。


 混み合った歩道を歩いていると、ドン、とすれ違いざまに会社員風の男とぶつかった。彼はまったく謝りも振り向きもしなかった。ぶつかったことに、気づいていないはずはないのに。人混みを歩くのに、多少ぶつかるのは余りにも当然で立ち止まる必要もないと、一瞬で見えなくなった背中が答えたようだった。


「世の中には、こんなに人がいるんだね」

と、僕が呟くと、彼女は笑った。

「そうだよね。東京の人口が何百万人とか数字で知ってたって、これは歩いてみないと分からないよね」


 そうして歩き回った後、僕達は疲れてカフェに入った。そこに至るまでのところどころで、彼女は僕の世間知らずな発言や行動を可笑しそうに笑った。しかし、僕はそれに嫌な気持ちがしなかった。それどころか、奔放な彼女の明るい話し声や、生き生きとした瞳をいつまでも見ていたいと思った。


「ねえ、そもそも、分からないんだけど」

 通りに面した窓際の席に向かい合って座ると、僕は少し前から不思議に思っていた事を口にした。

「最初、あんなに怒っていたのに、どうして急に許してくれたの?」


 頬杖をついて窓の外を眺めていた彼女は、僕の方に顔を向けて、記憶を手繰るように一度目線を落とし、やがて言った。

「反省したの。私、知らずにあなたを随分傷つけちゃったんだなって」

 それを聞いて僕も思い出した。


 思い出して、恥ずかしいような、情けないような気分で薄笑いを浮かべたが、彼女は笑わずに話を続けた。

「何かに行き詰まった時は、外に出て、頭を使わないようにするの。歩き回ったり、景色を眺めたり。いつも、私はそうしてるから」

 僕は少しの間その意味をよく考えてみたが――、つまりは同情だったのだと分かると、微妙に複雑な気分だった。


「――じゃあ、さっき僕といて楽しいって言ってたけど、僕のどこが楽しいの?」

 僕は話を戻して聞いてみた。何しろ僕はいつもただ彼女の案内のままについて回っているだけで、何も気の利いたことはしていない。


 彼女は顎に人差し指を当てて思案顔を作ったが、今度はすぐに、

「世間知らずで、普通の事にいちいち感心するところかな」

と、含み笑いで答えた。

「何だよ、それ……。ただバカにしてるだけじゃないか」

 僕が不快そうに顔をしかめると、

「ゴメン、そうじゃなくて。――子供みたいで、かわいいって言うか。何て言うのかな、……あっ、“癒される”」

と、また笑った。


 僕は内心がっくりと肩を落としながら、

「かわいいって、あのね、僕は君より年上の歴とした社会人なんだからな」

と、一応大人らしく偉そうな態度でたしなめた。

「あはは、そうだったね」

 それでも悪びれない様子の彼女に、結局僕は笑うしかなかった。


「お待たせしました」

 ウエイトレスがドリンクを運んで来た。僕がポットのアールグレイをティーカップに丁寧に注いでいると、彼女はそれを静かに見つめていた。それからやや真面目な口調で、

「多分、お互い様なんじゃない? だってあなたは、私みたいな庶民が珍しいんでしょ? だからきっと、そういう意味では、私達ちょうどいいのかもね」

と言って、アイスコーヒーのストローをくわえた。

 僕は彼女の伏せた瞼を眺めながら、

(――珍しい――のだろうか)

と、自問した。


お読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ