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本編「不器用lovers」の、光視点で描いた結衣との出会いから別れまでの物語。


 春、庭のハクモクレンが一つ二つと花を付けると、僕は必ず思い出す。

 僕の人生を変えてくれた、愛しい君のことを。


 今でも考えてみることがある。もしも、あのパーティーで君が僕にジュースをこぼすことが無かったら……、きっと僕は今も仕方なくこの人生を、会社と家の従僕として死んだように送っていたことだろう、と。


   *


 四年前の秋――。


 銀座の一流老舗ホテルを会場として、あるパーティーが催されていた。

 ゲストは著名人や相当の肩書きを持った人々ばかりだった。グラスを片手に数人が集って談笑する様があちらこちらで見られ、煌びやかなホールはあたかも彼らの社交場のようだった。


 その中で、白いセレモニースーツを着用した僕は、会場奥の明るい窓際に配された席に姿勢良く立ち、そのゲスト達とひたすら挨拶を交わしていた。


「この度は、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「これで高宮グループの将来も更に明るいものになりますね」

「これからもご指導よろしくお願いします」


 個人的にはほとんど知りもしない、どこかの会社の重役や、ある分野で権威と呼ばれる人物などが、次々と現れては親し気に僕に挨拶して行く。

 その後で、彼らは他にもっと話すべき相手を見つけて懇談し、お互いのメリットを確認するのだ。


 僕の父・高宮登もまた、銀行頭取の城之内紘介氏と共に、様々な交流を広げることに余念がない。


 僕は内心飽き飽きしながら、この時間が過ぎ去るのを待っているのだった。

 隣を見ると、婚約者・城之内雪菜は、時々母親と小声でクスクスと雑談しながら終始にこやかにしていた。

 知り合いの者が来れば、いちいち両手で握手をし、

「わざわざお運びいただいてありがとうございます」

と歓迎を態度で表現した。

 その様子はいかにも楽しそうであった。


 僕はその無邪気な様子をひどく白けた心持ちで眺めた。

 実のところ、この少女と会うのは今日が二度目だった。今年十九歳になり、清修女学院大学というお嬢様学校の一年生だそうだ。

 二十五歳の僕からすればやっと子供を抜け出た位の年齢だが、彼女はそれ以上に幼い印象で、まだまだ結婚などおとぎ話と思っているように見えた。

 今こうして楽し気にはしゃいでいるのも、現実が分からず、綺麗な衣装に包まれてお姫様気分で浮かれているだけなのだろうと思った。


(全く、皆いい気なものだ)


 だが僕はそんな気持ちは微塵も見せずに、他の毎日と同じように、このくだらないパーティーで与えられた役割をこなしている。

 金、権力、地位、仕事……。

 人々の欲望にはきりがない。その欲望は何かを得るごとに怪物のように膨れ上がり、更なる食餌を要求する。無論、そのためなら、多少の犠牲など物ともしない。


 それが例え――誰かの人生でも。


 パーティーは中盤に差し掛かった。

 炎を上げてその場で調理される派手な肉料理が振る舞われ、僕も着座を許されて目の前には料理が並んだ。

 しかしホスト側という立場上、当然手を付けずに、いつまた声をかけてくるやもしれぬゲスト達に備え、時折飲み物を口にするだけだ。


 ーーと、半ば上の空だった僕の肩に、突然ポツポツと、雨の様な感触がした。

「……?」

 何だろう、と思って見ると、白い服の上にワインの様な深紅の雫の跡が付いていた。


 そして周囲を見回すと、近くにいた人々は皆一様に、恐ろしいものを見る様に僕を見ていた。

 そう気付くやいなや、蒼白な顔で給仕のチーフが現れた。

「大変申し訳ございません!」

 それはもう頭が床に付きそうな勢いだった。僕がまだ何も言わないうちに、彼は僕を丁重に控室に連れて行った。


 控室でソファを勧められて座ると、支配人まで現れて、

「大変失礼致しました」

と、改めて頭を下げた。

「こちらの給仕の不手際で、お衣装がその様なことに……」


 そこで僕はやっと状況を理解した。

 隣席の雪菜がオーダーした葡萄ジュースをテーブルに置く際に、給仕が誤ってそのしぶきをここまで飛ばしてしまったらしい。

 それにしても大仰な扱われ方で、逆に閉口するしかなかったのだが、それは無理のないことだった。


 何故なら僕は不動産業界屈指の大企業・高宮エステートグループの御曹司で、今日は僕の婚約披露パーティーだからだ。しかも相手は都市銀行頭取の愛娘と来ている。

 金融界に影響すること必至のビッグカップルの大切な会に、ホテル側としては僅かな失敗も許されない状況なのだろう。


 頭を上げた支配人は、振り向いてチーフとその隣の女性給仕――僕にジュースの飛沫を飛ばした当人――にまた何か言おうとした。

「あの、別にいいですよ」

 僕はやや面倒になって言った。

「いいえ、我々の教育が至りませんで……」


 支配人がそう言ううちに、替えの衣装が続々と届いた。

「お気に召すものがあると良いのですが……」

 衣装掛けに幾つも掛かった白いスーツに不安そうに目をやりながら、支配人は言った。

 給仕のチーフは、

「お時間を取らせてしまって、申し訳ありません」

と、今度は飲み物や食事をローテーブルに運んで、下にも置かないもてなしぶりだった。


(僕が『高宮光』じゃなかったら、こんなに大騒ぎしないくせに)

と、卑屈な内心を隠して彼らを見ていると、へりくだる支配人とチーフの背後、失敗を犯した当の女性給仕は、ただ黙って控えていた。


 彼女は最初に会場でチーフと揃って頭を下げた以降は、大袈裟なことは何もせずに、成り行きを眺めるようにただそこにいた。

 その様子は、自分の失敗に呆然としているわけでもなく、時々イヤホンでホールの状況を聞いているようにちらちらと目線を動かし、随分と落ち着いたものだった。


(見たところ若そうだ。きっと僕や会社の事を知らないんだろう)

 そう思うと、僕の頭に面白いアイデアが浮かんだ。

 この退屈なパーティーを正当に不在にし、楽しく暇つぶしをする素晴らしい案だ。


「――いや、いいです」

 僕は支配人に言った。

 彼は一瞬間を置いて、怪訝そうに聞き返した。


「いい、とおっしゃいますと……?」

「僕、自分でその辺りで買ってきますから。その彼女を、お借りしてもいいですか」

 支配人達は驚いて彼女を振り返り、当の本人もポカンとした表情になった。

「まあ、せっかくなので責任取ってもらいましょう」

 そう言うと、僕は早速彼女を促して控え室を後にした。




「はい、乗って」

 地下駐車場に停めた911カレラの助手席のドアを、僕は彼女のために開けた。

 彼女は確かめるように僕を見た。僕が頷くと、

「どうも……」

と、ホテルスタッフの制服のまま、ゆっくりと乗り込んだ。


 僕は籠から出る事に成功した鳥のように、颯爽と車を出した。


 ひとまず、ここからごく近くにあるブランドショップに向かった。先にこの外出の正当な目的を果たすためと、その後の着替えを手に入れるためだ。


 いつもそうするように、店の前で車を降り、ドアスタッフにキーを渡して中に入った。適当に店内を見て回る間に、

「光様、ご来店ありがとうございます。本日はどの様なものをお探しで?」

と、ショップのトップアドバイザーが挨拶に来て背後に控えた。


「うん、まずはこれの着替えを。それから……」

 彼は迅速に僕の要望に合った服を用意した。


 その間、給仕の彼女はほとんど何も喋らずに僕の後を付いて来ていた。そしてフィッティングルームで支度を終えた僕を目にして、少し怪訝な表情を浮かべた。

 それは、彼女が見せた初めての表情らしい表情だった。


 それもそのはず、僕は白ではなく、ダークブラウンのスリムスーツを着用していたからだ。

 僕はそんな彼女に笑いかけると、そばにいたスタッフ達に目配せをした。


「どうぞ、こちらへ」

 彼らはやんわりと彼女に声を掛けた。

「は……?」

 彼女は更に不可解な顔付きになって、一度僕に視線を投げたが、僕の表情が変わらないのを見ると、仕方なさそうに彼らに連れられて行った。


 数分後、彼女は美しくドレスアップした姿で僕の前に戻って来た。

 少し光沢のあるボルドーのノースリーブワンピースは、僕のスーツに合わせてスタッフが選んだものだ。小物もメイクも、フルコーディネイトされている。さっきまでのシンプルなまとめ髪も華やかなアップスタイルになり、彼女は見違えるように変身していた。


「じゃあ行こう」

と、手を引くと、

「このまま行くんですか?」

 彼女は顔をしかめた。

「当然だろ」

「……」

 僕の言葉に、依然彼女は納得行かない顔つきだったが、

「制服を返して下さい。借り物なので」

とだけ言った。

 それで、そのホテルの制服は店の上質な紙袋に入れられ、彼女に手渡された。



 店を出て、僕は上機嫌だった。これで暇つぶしの準備は整った。

「さっきよりいいんじゃない」

 彼女に声を掛けると、

「どういうおつもりですか」

と、酷く不機嫌そうだった。

 僕はその問いには答えずに、いたずらっぽく笑い返した。



 また車に乗ると、会場のあるホテルとは全く違う方向へ進路を取った。

「あの……戻らないんですか」

 彼女は助手席から不安げに訊いた。

「戻るよ。もう少ししてからね」

 僕は種を明かすように答えた。

「正直なところ、君には感謝してるんだ。あんな退屈な仕事はそうそうない。抜け出したくてたまらなかった」


「仕事、って……」

 彼女は呆れたように呟いた。

「皆さんはあなた方を祝福しに見えてるんですよね?」

 僕はその言葉を即座に冷笑した。

「そんなわけないさ。彼らの頭の中はビジネスの事だけだからね。婚約パーティーなんて集まる口実みたいなものだよ。僕なんかいなくたって成り立つんだ」


 至極当然の事なのに、彼女は僕を非難するように横目でチラリと見ると、肩で息をついた。

「ならお一人でどうぞ。私は仕事中の身ですので、降ろしてください」

 その反応は、なかなか意外だった。


 僕は晴海通りを日比谷方面に向かっていた。

 休日の道路は、それなりに混んでいた。赤信号で停止すると、僕は改めて彼女の方を向いた。

「おかしなことを言うね。君は今まさにその職務を全うしている最中だ。パーティーで主役の、僕の衣装を汚した失態の責任を取るために、今ここにいるんだろ?」


 彼女はその言葉に無言で視線を返した。

 言い返したくても、返す言葉が見つからない……そんな視線だった。

 僕は勝ち誇って口元で笑った。

「大丈夫、少しの間、退屈しのぎに付き合ってもらうだけさ。きっと君もそれなりに楽しめるよ」


 そう言われ、彼女は更に悔しそうに眉を絞り、唇を噛んだ。

「あんな失敗、今まで一度もした事なかったのに……。あのレベルのパーティーで、ゲストが給仕に衝突するほど混み合うなんて。そもそも、ゲストの数が事前情報を遥かに上回っていました。あれは企画側のミスです」

「――言い訳だね」

 僕が余裕の態度で言うと、

「もちろん責任は取ります」

と、かなり反抗的な口調でそう言って、彼女はそれ以降沈黙した。


 僕は日比谷にある劇場へとやって来た。

「とりあえず、オペラでもどう?」

 そこでは、海外の劇団を招致した特別公演が先程始まったところだった。前売りチケットは既に完売、当日券も出ない人気の公演だが、僕には関係ない。

 受付に声を掛け、特別席へ通してもらった。


 しばし座って観劇したが、隣の彼女はそれほど楽しんでいないように見えた。

(少し難しすぎたかな?)

 一応、彼女も楽しめると保証した手前、退屈させているならば時間の無駄だ。

「やっぱり気分じゃないね」

と席を立ち、彼女を促した。


 受付前で、

「悪い、またにするよ」

と軽く手を挙げた。

 その後ろで、彼女は何故かわざわざ立ち止まってお辞儀をして行った。


 次は青山のカフェに行ってみた。僕達は入り口に出来ている行列の前を軽くスルーして、煙草が苦手だからと個室に通してもらった。

「こんな事、いいんですか。皆並んでいるのに……」

「いいんだよ、このカフェはウチの会社の管理物件なんだ。それと、さっきの劇場もね」

 当然のように僕が答えると、彼女はとても険しい表情になって、また沈黙した。


(普通、みんな大喜びするんだけどな)

 逆に新鮮だった。

 それから僕は、彼女を喜ばせようと行動する反面、苛立ったその反応も楽しんだ。


 限定品のケーキを彼女のために無理を言って注文すると、さっきよりずっと不機嫌が増したようだった。

「すみません、このケーキ、本来のお客さんに差し上げて下さい」

 ウェイトレスがそれを前に置こうと皿を持った瞬間、彼女は言った。

「え……」

 戸惑ったようにウェイトレスが僕に視線を送ったので、僕は、

「じゃ、そうして」

と頷いた。


 カフェを出た後は、ジュエリーショップを訪れた。

「いらっしゃいませ、高宮様」

 いつもの女性店長が恭しく頭を下げた。

「何か良さそうなアクセサリーはあるかな?」

 僕は聞いた。

「そうですね、こちらなどいかがでしょう。この秋の新作なんですよ」

 彼女はガラスケースから、繊細なデザインの台に大小のダイヤが配置された、美しいネックレスを取り出して見せた。


「へえ、綺麗だね。彼女に、どうかな」

と、僕は後ろを目で店長に示して聞いた。

「もちろん、お似合いだと思いますよ。お付けになってみますか?」

 店長が上品な微笑みを浮かべて聞くと、彼女はとても驚いたように目を見張って、

「と、とんでもありません!」

と、拒否するようにカウンターから離れた。


「遠慮しなくていいのに。これくらい」

 僕は言ったが、最早聞いてもいない様に、

「すみません。失礼します」

と、勝手に店長に頭を下げて店を出てしまった。

 肩をすくめながら、僕もそれに付いて外に出た。


 駐車場まで来て、

「次は、戻りますよね?」

 彼女は明らかに苛立った様子で聞いた。

 もう十五時に近かった。パーティーの終了予定時刻は十六時だ。ここから真っ直ぐホテルに戻っても、残り時間はそう長くはない。


 僕自身もそろそろ潮時と思ったが、わざとらしく腕時計を確認して、

「それはどうかな」

と、あえて彼女をからかうように言った。


 すると、今まで苛立ちに耐えていた彼女は、僕の挑発に乗るように感情を露にした。

「あなたが戻らないなら、私はここで失礼します。これ以上は、仕事と認めません」


 その言葉を僕はあざ笑った。

「君に選択権なんかないんだ。もう分かっただろう? 僕がどういう地位の人間か。僕が一言文句を付けるだけで、君はこの先ずっと職にあぶれる事になるんだよ」

 勝者の態度で、僕は完全に彼女をねじ伏せたつもりだった。

 気の強そうな彼女が、どんなに悔しそうな顔をするかと、内心楽しみにしていた。


「――それなら、やってみたらどうですか」


 ところが、聞こえて来たのは予想外の言葉だった。

 僕は驚いて、しばし何も言えなかった。

 そして彼女は諦めたように息をつくと、真っ直ぐに僕を見据えた。

「あなたは、人々の暮らしの事を何も分かってはいません。あなたみたいな二世三世の甘ったれた経営者が、どんなに財や権力を振りかざしても、私一人社会から抹消する事なんて出来ません。――ましてや、大切な会社を守って行く事など」


 僕はその言葉を聞いた自分の耳を、疑いたいほどの衝撃を受けた。

(二世三世の……甘ったれた……?)

(いや、バカ言うな、僕が今まで一体どれだけ……)


 投げられた言葉に半ば混乱し、呆然としていると、彼女はおもむろに助手席からホテルの制服の入った紙袋を掴み取り、

「ドレスは、ホテルを通して後日お返しします」

と言い捨てて去って行った。


 僕はその時、侮辱されたことに怒る事すら忘れて、去って行くその堂々とした後ろ姿を、車の前でただ立ち尽くして、見えなくなるまで見つめていた。


 その後ホテルに戻っても、最後まで彼女はホールには出て来なかった。

 僕自身も後で父に注意を受けたから、ひょっとすると彼女もペナルティを受けて裏に回されたのかもしれない。

 僕は彼女がチーフや支配人にひどく叱られて頭を下げている様を想像して、少し胸が痛んだ。



お読みいただき、ありがとうございました。

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