91話 最後の戦い(4)
「ハハ、大したことねえな…」
三十分後、夜島の周囲には零の手下の死体が転がっていた。大勢を相手に戦ったからか、さすがに息が少しあがっていた。返り血を浴びて赤黒く濡れた黒コートのまま、夜島は辺りを見渡す。
「アイツ、どこに行きやがった…」
零がいない。手下達と戦っている最中にどさくさに紛れて姿を消したのだろう。魔法の書き換えにはそれ相応の準備と時間が必要だ。まだ間に合う―――夜島が焦る気持ちを抑えながら一歩足を動かしたその時だった。
「夜島」
後ろから誰かが夜島の名前を呼んだ。その声は聞き覚えのある、懐かしい声だった。かつて自分が殺したはずの少女の声。
「―――奈月?」
奈月の声がした―――そう思った瞬間、背中に激しい痛みが走った。刃物で刺された。そう気付いた時には既に遅かった。夜島が痛みに耐えながら後ろを見ると、そこには奈月癒枝と同じ姿をした少女が無表情で血に塗れた刃物を握って立っていた。
姿と声は彼女そのものだが、この少女は奈月癒枝ではない。偽物だ。直感的にそう気付いた夜島は、よろめきながら少女から距離をとる。
出血が止まらない。背中の傷を治す必要がある。治癒系の魔法を使うためにコート裏の採血管に手を伸ばそうとしたその時、右腕が切り落とされた。地面に腕がぼとりと落ちる。奈月の偽物に気を取られて気付かなかったが、斧を持った零の手下が横に立っていた。
夜島はいつの間にか数人の零の手下に囲まれていた。全て殺したはずだが、人数が増えている。既に重傷を負っている状態、逃げ道もなし。こうなるともう勝ち目はない。夜島は自分の終わりを悟った。視界の隅に零の姿が見えた。遠くから眺めている彼は、夜島と目線が合うと悪魔のようににっこりと笑った。
★
しばらく時間が経ったが、夜島は既に虫の息だった。指一本動かすこともできないほどの傷を負い、後は死を待つのみの状態になったことを確認した零の手下達は、彼にとどめをさすこともなくその場を去って行ってしまった。これは、楽には死なせないという零の暗黙のメッセージなのだろう。
最初は全身が焼けるような痛みがあったが、今ではもう体の感覚がない。自分はこれから徐々に死へと向かう。一人きりで。これでは記憶の主と同じ結末だ。
夜島は考えた。結局、自分は何がしたかったのだろう。記憶の主は人間を恨んでいた。だから記憶に宿る殺意に従って夜島は沢山人間を殺した。なのに、一向に満たされることがない。殺しても殺しても自分は解放されない。自分が真に求めているものが何なのか、夜島はわからなかった。そして、わからないままこれから死ぬ。それが怖い。
これは、人間を殺し続けた報いだ。
「……はは…」
夜島は恐怖を紛らわすように、自嘲気味に笑った。
仰向けになって血だらけで倒れている夜島に誰かが近付いてきた。
「まだ生きてますか?」
顔を覗き込んできた少女に夜島は見覚えがあった。海の近くで出会った、灯理と名乗っていた少女。零の手下達を殺してきたのか、手に持っていた小型ナイフには血が付着している。
灯理は夜島の様子を見て苦笑した。
「馬鹿だなあ。後悔するくらいなら殺さなきゃよかったのに」
灯理が言っているのは、奈月のことだろう。
さっき奈月の声が聞こえた時、明らかに隙ができた。そうなる事を零はわかっていたから、あえて奈月の偽物を創って夜島へと向かわせた。他人の心の弱点を突くのは彼の得意技だ。
夜島も正直驚いていた。奈月の声が聞こえた時、ひょっとしたら本当はまだ生きているのかもしれないと一瞬だけ期待した自分がいたことに。裏切られた時に彼女を見限って殺したのは自分だというのに、おかしな話だ。
灯理は夜島の隣に座って、彼の血に塗れた頭を撫でた。
「貴方を独りにしない。それが私の使命ですから」
灯理がそう言って優しい笑みを浮かべた時、夜島は気付いた。灯理は奈月が遺した影だ。笑った時の顔が奈月に似ている。
「……お前…奈月の……」
かつて、奈月が殺される前に言っていた言葉を思い出す。
『……夜島は、私が救う』
奈月は気付いていたのかもしれない。夜島がどんな最期を迎えるのか、その時に彼は独りであることにも。だからこうやって傍にいる。彼女の献身を目の当たりにした夜島は力なく笑った。それを見て、灯理も笑った。
「私の記憶の主はそれだけ一途だったってことです」
「……そうだな…」
意識が遠くなっていく。夜島は死の間際にようやく自分が求めていたものが理解できた。
「……寝ちゃいましたか」
記憶の主の想いを届けた灯理はそう言ってから、清々しい気分で星が綺麗な夜空を見上げた。
やがて二人の体は黒い霧となり、冷たい夜風と共に消えていった。




