89話 最後の戦い(2)
報告を終え、蓮の部屋に戻ってきた二人はお互いしばらく無言のままだったが、蓮が先に話を切り出した。
「錐野、聞きたいことがあるんだけど…加藍様って結局何者なの?」
「あー、俺も詳しくは知らないが、球体はあくまでも人と接する際の仮の姿で、本体は別の場所にいるって話らしいぞ。特殊魔法の代償と関係しているらしい」
「代償?」
「特殊魔法の中には、使用すると代償が必要になるものが存在する。強力な効果を持つ魔法だと必要になるんだ。加藍様は特殊魔法で未来を視ることができるが、使うと代償を払わないといけない」
「だ、代償ってどんな…?」
代償という重い響きの言葉を聞いて、蓮は息をのんだ。
「詳しいことは俺も知らない。ただ、加藍様の本当の姿を知っているのは加藍様の親族だけで、それ以外の人間とは直接会うことも許されないらしい。加藍様の本体はずっと部屋に閉じこもっていて、他人と顔を合わさないようにしているとか…」
「そんなの酷いじゃないか!そこまでするくらいなら魔法を使わなきゃいいのに」
加藍が普通の人間とはかけ離れた生活を送っていることに、蓮は衝撃を受けた。彼女の穏やかな話し方からはとても想像できない。そんな生活を送っていて、彼女は辛くはないのだろうか。
「俺もそう思うよ。あまりにも気の毒な話だ。だがな、簡単にやめられない理由があるんだよ。蓮、魔視石は知ってるよな?あれがあるのは加藍様の特殊魔法のおかげなんだ」
「え、そうなの?」
「魔視石は目の前にいる影が倒すべき敵かどうかを見極めるための重要な道具だ。あれがないと、魔法使いはまともに影退治ができない。青色の影まで倒さないといけなくなるからな。ただでさえ魔法使いは人手不足なのに、無害な影まで倒していたらキリがない。加藍様の魔法があるから、俺達は効率よく影退治ができているんだ」
蓮もよく使っているから、魔視石の重要性は十分にわかる。あれがなければ影退治の任務がまともに進まないことも。
赤色の影は人間に危害を及ぼす。人の命がかかっている以上、魔法使い達は赤色の影を退治しなければならない。つまり、影が生まれ続ける限り加藍は自由にはなれないのだ。
錐野は帰る支度を始めていた。日はもう沈み、窓の外は暗くなっていた。錐野は部屋のドアを開けると同時に振り返って蓮の方を見た。
「明日から本格的に零を倒すための準備が始まるからな。今日はゆっくり休めよ」
「ああ。色々と付き合ってくれてありがとな、錐野」
錐野はわずかに笑ってから「じゃあな」と言って自分の家へと帰って行った。
★
「なんてことだ…」
五畳の部屋で、零は一人掛けの椅子に座って頭を抱えてそう呟いた。
鏡界のとあるビル街、立ち並ぶビルの中でさほど目立たない高さのビルを零は選び、新たな赤色の影達の拠点としていた。現実世界のビル街とは違い、多くの人が行き交うような賑わいを見せることはない。
以前隠れ家にしていた場所から移動したのは、奈月がアジトの場所を錐野に教えたことで自分達の居場所が魔法使い側に知られる可能性があったからだった。
「魔光会側の動きが少し妙だったので調べていたらわかったのですが……どうします?ボス」
零の正体と影が生まれる仕組みが魔光会側にバレた。その報告をした零の手下である影は、気まずそうに零の前に立っている。
「僕が死ねば、魔法の効果は切れて今後影が生まれなくなる。そこまで知ってしまえば、間違いなく魔光会は今後僕を全力で殺しに来るだろうね」
「そう…ですね。も、もちろん俺達がボスを守りますよ!安心してください!」
影はそう張り切って言っておきながらも、内心零のことはこの際どうでもよかった。影が零の下についているのは、それが一番安全だったからだ。零は身の隠し方を知っていて、彼の傍にいればいつだって魔法使いの目から逃れられた。
しかし、魔光会が零を標的にしたのなら話は別だ。いくら隠れるのが上手い零でも、魔法使いが総力を挙げて探しにかかればどうなるかわからない。正直、影は零をいつでも見捨てる気でいた。おそらく、零の下についている赤色の影は全員同じ考えだろう。結局我が身が可愛いのだ。
零に忠実な者はせいぜい、零が魔法で創り出した生命体…今も零の背後に並んで虚ろな目をしてこちらを見ている不気味な手下達くらいだろう。
影が逃げる算段を考えていると、零が椅子からおもむろに立ち上がった。
「お前ら影はもう信用できない。今までは利害が一致していたから組んでいたが、そのバランスが崩れてしまってはね…それに、夜島の件もある」
「は、はあ……あの、これからどうするおつもりで?」
「教えないよ。君達は逃げればいい。どうせ僕を守るつもりはないんだから」
図星をつかれて返事に戸惑っている影をそのままにして、零は虚ろな目をした手下を連れてビルの外へふらふらとした足取りで出て行った。その時の彼の後ろ姿は、何を仕出かすかわからない危うさがあるようだった。




