82話 決意(11)
復讐。一人の影が廃墟ビルの中で目覚めると、その二文字が頭を支配した。
零という男を殺す事が、自分の使命らしい。生まれてまだ間もない影は何も疑問も持たず、ただ目的を果たすために零を探す事にした。
一人の人間を探すのは骨が折れるだろう―――そう思っていた影だったが、思ったよりも早く彼は見つかった。
記憶に残る男の顔と一致したその男は、赤色の影を集めた組織のリーダーを務めていた。零は多くの手下を従えていて、常に守られている。彼自身はそこまで強くないはずだが、とにかく手下の数が多い。あの手この手を使って何度も零を暗殺しようと試みるが、その度に零の手下たちに阻止されて影は殺されかけた。
幸か不幸か、影は不死の魔法を持っていた。死に関わるダメージを与えられても、死の一歩手前で瞬時に回復する。死なないのはいいが、それ以外の手札がないのでいまいち決め手に欠ける。
何度も零を殺す計画を立てては失敗して、そうしているうちに十年の月日が流れていた。
零がどうしても殺せない。どうしたら記憶の主の願いを叶えられるのだろうか。
ある日、打つ手がなくなった影が呆然とした顔で夕日を眺めながら石垣の端に座っていると、黒コート姿の男が隣に許可もなく座ってきた。
「よう、兄ちゃん。懲りないねえアンタも」
「お前、零の仲間か。何の用だ」
いかにも怪しい雰囲気を放つその男を、影は知っていた。零が夜島と呼んでいたその男は、嫌悪感を露わにしている影を前にしてヘラヘラと笑った。
「怖い顔すんなよ。俺はアドバイスをしにきたんだ」
「アドバイス?お前、零の仲間なのにそんな事をしていいのか」
「ハハ。仲間っていっても形だけだ。それにアイツ、俺達を騙しているしな。自分を影だとか言ってるけど、本当は違う。アイツは影じゃない。人間か、それ以外の何かだ」
影は夜島の予想外の返答に驚いた。何故騙されているとわかっていて零の仲間でい続けているのかは疑問だったが、不思議と興味がわいた影は、夜島の話に耳を傾けてみる事にした。
「…で、アドバイスっていうのは」
「そうだな。その前に聞きたい事があるんだが…零を殺したいってのは、お前の記憶の主の本当の願いなのか?」
「当たり前だ。何が言いたい」
「お前の記憶の主は、零に殺されたんだろう?記憶の主はさぞ復讐したい気持ちに駆られただろうな。だがもし、その過去を変えられるとしたら話は別だと思わないか?」
「…過去を変える?」
夜島の話がいまいち呑み込めない影は、眉をひそめた。
「そうだ。過去を変える―――お前の記憶の主が零に殺される前の段階まで、時間を戻すんだ」
「まさか。そんな事出来るはずがない。百年以上前の話なんだぞ」
「それが出来る魔法がある、と言ったら?」
「…あるのか?」
夜島は話に食いついてきた影に対して薄ら笑いを浮かべながら頷いた。
「俺も人づてに聞いた話だがな、この世には…あらゆる事実をなかった事に出来る魔法を持つ人間がいるらしい。もし、そんな魔法を手に入れられたら、お前ならどうする?」
予想外の問いに戸惑った影は、黙って俯いた。もしそんな事ができるなら、記憶の主が殺された事、村がめちゃくちゃにされた事、零がやった悪行全てをなかった事にしてやりたい。
そして、今度こそ全ての元凶である零を殺す―――記憶の主にとってもそれを望んでいるはずだ。
「ま、頑張りな」
影の考えている事を全て見透かしたような顔で、夜島は影の肩に軽く手を置き、すれ違いざまにそう言った。
影は夜島の方を一瞥した後、何も言わずに踵を返してふらりとどこかへ行ってしまった。
「これでよかったのか?零」
影の後ろ姿が見えなくなった後に夜島がそう呼びかけると、零が音もなく姿を現した。
「ありがとう、夜島。嘘を吹き込んでくれて。これで彼の矛先が僕に向かわなくなる。鬱陶しいったらありゃしない」
「でもよ、事実をなかった事に出来る魔法が本当にあったらどうするんだよ。アイツがもしそれを見つけたら、お前が一番やばいんじゃないの?」
「もしあったとしても、そんな珍しい魔法はそう簡単に見つけられないさ。奴が魔法探しに夢中になっている間に、彼を消す手立てを考えておけばいいだけの話。さて、不死の影をどうやって殺そうか…ところで夜島」
「何?」
零を纏う空気が一気に冷たくなる。
「僕が影以外の何かって話…まさか本気で言ってる訳じゃないよね?」
夜島は少し間を置いてから「まさか」と言って笑った。
☆
その後、夜島の話を信じた影は魔法探しに没頭した。まずは魔法使いの中で例の魔法を持っている人間がいないか調べようと考えたが、魔法使いの前に姿を現すのはリスクが高い。そうなると、やはり魔法使い以外の人間から探す事になる。魔法使いではない人間から特定の特殊魔法を持った者を探すのはかなり難しい…というよりも無謀に近かったが、それでも影は必死になって探した。
影は特殊魔法の能力を調べるために、沢山の人間を殺した。もし事実をなかった事に出来る魔法を持つ者なら、魔法使いではない人間でも命の危機となれば火事場の馬鹿力で特殊魔法を発動できる事もあるはずだ。彼はそんな風に考えていたが、実際は魔法使い以外の人間が魔法を発動する事は殆どない。それは可能性の低い賭けだった。影は焦っていた。
人を刃物で刺して致命傷を与えては、その後の様子を観察し、何も起きなければ放置してその場を去る―――そのような非道な行為を影は繰り返した。
ある日、影は灰茶色の髪を持った赤い瞳の女性に目をつけ、今日の標的にしようと考えた。彼女からは、普通の人間とは違う何かがある気がしたからだ。
影は女性が人の少ない裏通りの道に入っていったのを確認すると、慣れた手つきで女性の背後からナイフを突き刺し、致命傷を与えた。背中に血を滲ませて倒れた女性の姿をしばらく観察していたが、何も起きない。
今回もハズレ。そう思った影がその場を離れた後、突然尋常じゃない量の魔力が肌に伝わってきた。
異変に気付いた影が急いで女性のいた場所へ戻って顔を覗かせると、驚いた事に女性はまるで何事もなかったかのように、元に戻っていた。背中にあったはずの刺し傷は消え、服に滲んでいたはずの血はなくなっていた。地面に付着していたはずの血痕すら綺麗に消えている。
影が使う不死の魔法では、自分の体が元に戻っても周りに散らばった血はそのままだったが、この女性が使った魔法はそうではなく、その事実を全てまるごと消したようだった。
影は確信した。この女性は自分が求めていた魔法を持っている。
ようやく探し求めていたものが見つかり、影の心拍数は緊張と興奮によりドッと上がった。
★
その後、灰茶色の髪持つ女性、来条やなぎの事を調べ、彼女には息子が二人いる事がわかった。他人の特殊魔法を使うには、まず体を乗っ取る必要がある。しかし、影は同姓の体しか乗っ取れない。影は男なので、やなぎの体は乗っ取れない。
特殊魔法は親から子に受け継がれる。子供が男だった場合は母親、女だった場合は父親の特殊魔法の能力が受け継がれる。
影は標的をやなぎの息子二人に絞った。二人ともやなぎの魔法を継いでいるはずなので、影はどちらでもよかったが、問題はどうやって体を乗っ取るかだった。
体を乗っ取るには、相手から許可を得なければならない。話しかけて一度怪しまれてしまえば終わりだ。チャンスを逃さないために、確実な方法で標的に接近する必要があった。
何かいい方法はないか考えていた時、やなぎの息子のうちの一人である蓮の友人・笹村紫夜が不治の病を患っている事がわかった。これを上手く利用できないか―――紫夜の事情を知った影は、ある計画を思いついた。




