72話 決意(1)
「へえ、そんな事があったんだ。蓮の水着姿、見たかったなあ」
「紫夜、お前までそんな事言うのか」
昼下がりの公園、二人で木製のベンチに座りながら海での任務の事を紫夜に話すと彼がからかってきたので、蓮は呆れた口調でそう言った。
七月の終わり頃、まだ暑さの続く中でも紫夜は決まってこの公園で本を読んでいる。ベンチは木の下にあるので日光はある程度避けられるが、それでも暑い事には変わりはない。何故そこまでしてこの公園にこだわるのだろうか。
蓮は少しでも涼しくしようと、手をうちわ代わりにしてパタパタと扇いだ。
「暑いなあ。紫夜、読書するならエアコン効いた部屋の方がよくない?
「まあ、暑いけどね。ここが好きなんだ」
紫夜は公園の広場で遊んでいる子供達に目を向ける。紫夜はいつも琥珀の首飾りを身に着けている。綺麗な飴色をした琥珀が光に当たると、思わず惹きつけられるような輝きを放つ。蓮がしばらく首飾りに視線を向けていると、それに気付いた紫夜が優しく微笑んだ。
「蓮はこの首飾りが好きなんだね。僕もさ。これはね、大切な人から貰った宝物なんだ」
「そうなんだ。大切な人って誰?」
「それは内緒。でも、凄く大切な人」
琥珀を見つめる紫夜の目はどこか寂しげだった。内緒と言われたからにはこれ以上の言及はできないだろう。そう思った蓮はそれ以上その話をすることはなかった。
しばらく紫夜と談笑していると、話に割って入るようにして蓮の携帯から軽快なメロディの着信音が流れ始めた。携帯を開いて画面を確認すると、着信相手は日衣菜だった。
「もしもし、日衣菜?」
『蓮、久しぶりだな』
電話から聞こえた声の主は日衣菜ではなく、四岐だった。予想と反した低い男の声が聞こえてきたので蓮は一瞬驚き、間を置いてから言った。
「…四岐か。何でお前が?」
『ちょっとお前に聞きたい事があってな…明日空いてるか?』
四岐はいつもの軽い調子の声ではなく珍しく真面目な様子だ。不思議に思いながらも、一体どんな用事が気になった蓮はその頼みを断る事が出来なかった。
☆
四岐が待ち合わせに指定した駅は、家の最寄り駅から電車で三時間程かかるような、蓮にとっては馴染みのない場所だった。電車に揺られる中、車窓から見える景気は目的の駅に近付くにつれて豊かな緑に染まっていく。
駅に着き、外へ出ると遠くの方に山が見えた。待ち合わせの時間から五分が経ったがまだ四岐は来ない。これがもし蒸し暑い日だったらもっと怒りで頭に血が上っていただろうが、幸い今日は七月にしては涼しい気候だ。澄み切った青空の下、山の方をぼんやり眺めていると、後ろから馴染みのある男の声が聞こえた。
「蓮!待たせたな!」
淡い水色のTシャツにジーンズの姿で現れた四岐は手を振っているが、蓮は不機嫌な表情をしている。
「遅刻。お前が呼んだのに。一体何の用事なんだ」
「まあいいから。歩くぞ」
なだめるような口調で四岐が言った。目的地への移動手段が徒歩と聞いて、蓮は苦虫を噛み潰したような顔をした。
☆
「どこだよ、ここ」
蓮が連れてこられたのは建物一つない開けた土地だった。周りは森に囲まれていて、下には一面雑草が生えている。人の気配はなく、いるのは四岐と蓮だけだった。この何もない場所に連れてきて、一体何をしようと言うのか。
「四岐、まさかここが目的地なのか?」
「ああ。今は何もない場所だけどな。俺の故郷だ」
「故郷って…」
以前日衣菜に言われた話を思い出す。今はこうやって普通に会話しているが、四岐は百年以上前に自分の故郷である村の人間達を殺した殺人鬼だ。四岐の話が本当なら、今立っているこの地はかつてその惨劇が起こった村のあった場所という事になる。そんな場所に自分を連れてきた意図が全くわからない。
風が吹くと、草木がざわめいて乾いた音が響く。四岐の表情が暗くなる。この地を見て何かを思い出しているのだろうか。辛そうな様子だった。
考えてみれば、いつの間にか四岐が殺人鬼であるという事実を頭の隅に閉じ込めていた。それは彼の態度があまりにも殺人鬼の残虐なイメージとかけ離れていたからだが、それだけではなかったのかもしれない。短い時間ではあったが、四岐と今まで接してきて、彼から悪意のようなものは微塵も感じられなかったのだ。四岐の笑顔には裏表がないし、彼に悪人という言葉は似合わない。彼は本当に殺人鬼なのか…そういった疑問が、蓮の心の底のどこかにあった。
しばらく口を閉ざしていた四岐は、いつになく静かな口調で言った。
「蓮、お前に頼みがあるんだ」
「…何だ?」
「日衣菜から聞いたんだが、お前、あらゆる事実をなかった事に出来るんだってな。事実に干渉出来るってのは、お前の特殊魔法…小雪ちゃんだっけか。その子はこの世界で起こった全ての事実を知っているって事なんじゃないのか?」
「それは…本人に聞いてみないとわからない。小雪、いるか?」
未だに四岐が言いたい事が見えてこない。蓮はとりあえず話を進めるために小雪の名前を呼ぶと、彼女は蓮の後ろからひょこっと姿を現した。小雪は今までの話を聞いていたようで、すぐに答えた。
「知ってるよ。この世界で起きた全ての事実。事実をなかった事にするなら、そもそもその事実を知っていないと話にならないでしょ?干渉するには事実を知っている事が大前提。お兄さんは何をお望み?」
「俺は…事実を知りたい。なかった事にしたいんじゃない。今いるこの地―――かつて俺が住んでいた村だったこの地で起きた惨劇、その真相を知りたい。それだけだ」
四岐の表情は真剣で、その目の奥にはわずかな悲しみの色が見えた。小雪は銀色の瞳で真っ直ぐ四岐を見据える。
「出来るよ。いくつか条件があるけどね。まず一つ目、知りたい事実が起こった地に立っている事。これは今クリアしているね」
「もう一つは?」
「事実の真相を知りたい場合は、私自身の口からは告げる事は出来ないの。そんな簡単に教えてあげられないから、ある方法で知ってもらう。簡単に言うと、過去に起きた事を体験してもらうの。蓮に」
「お、俺が!?」
二人のやりとりについていけず呆然としている時に急に名前を出されたので、蓮は反射的に聞き返した。
「私は蓮の特殊魔法だから、蓮じゃないと駄目。だから、四岐さんが知りたいこの村で起こった過去の出来事を、蓮自身が見て、それを四岐に伝える。そういう形になるけど、それでもいい?」
「それは…」
四岐は返事に迷っている様子で、後ろめたそうな目で蓮を見た。
「蓮…すまない。頼まれてくれるか」
「待て、ちょっと待ってくれ。話が見えない。惨劇って、お前が村の人たちをその…殺した事だろ?それなら、真相も何も、お前が一番よく知ってるんじゃ…」
「…そうだな。俺はここで沢山の人を殺した。俺は人殺しだ。最悪の人間だ。ただ、どうしても納得できない事があるんだ。あの時、村で何かが起こった。その何かが、俺にはわからないんだ。蓮、頼む。お前にとっては酷なのもわかってる。だけど―――」
四岐の苦しそうな表情を見ていると、蓮はいたたまれなくなった。今にも泣きだしそうなその男の過去に何があったのか。真相とは何の事なのか。最初は困惑していた蓮も、四岐の反応を見るうちに気になり始めていた。
「……わかった。わかったよ。お前の言う真相ってやつを、俺が探せばいいんだろ?」
「蓮…!」
「よくわかんないけど、俺がここで起こった過去の出来事を魔法を使って見ればいいんだよな?どうすればいいんだ?」
蓮が小雪の方を見ると、彼女はいつも通りの無表情のまま答えた。
「説明するより行った方が早い。行ってから説明する。蓮、目を閉じて」
「え、行ってって…?どこに?」
小雪の言っている事の意味がよくわからなかったが、言われた通り蓮は目を瞑った。しばらくすると、全身の力がフッとなくなるような感覚があり―――蓮の意識は一瞬途絶えた。




