63話 甘いものには勝てない
「蓮!」
「ん?っておわ!瑠依か。びっくりした」
学校が終わり、薄い青色の空の下で蓮が家に向かって歩いていると、後ろから瑠依が驚かすように背中を押してきたので、蓮は態勢を崩しかけて前のめりになった。瑠依も学校から帰る途中らしく、セーラー服を着ている。
奈月の事件から数週間が立った。まだ心の傷は完全には癒えていないものの、いつまでも落ち込んでいる訳にもいかない。今はただ、前に進むしかない。そう立ち直り始めていた頃だった。
「蓮、調子はどう?」
「あ、ああ。大丈夫だよ。そろそろ任務も参加出来るよ。ごめんな、心配かけて」
蓮の精神状態を鑑みて、加藍からの指示でここしばらくチーム015の任務は休止状態になっている。チームのリーダーである瑠依は奈月の話を魔光会から聞いたらしく、最近は彼女なりに蓮を元気づけるような素振りを時々見せていた。
「任務もいいけど…その前に楽しいイベントがあるのよ。蓮も行かない?スイーツバイキング!蓮、甘いもの好きでしょ?」
「スイーツ!」
蓮は瑠依の話を聞いた途端、目をキラキラと輝かせた。瑠依は学生鞄の中から四枚の何かのチケットのような紙を取り出し、蓮の目の前でヒラヒラとさせた。
「この前ね、商店街のくじ引きで当てちゃったの。ここ近くで新しくオープンした店のスイーツバイキング無料券!四人分あるから、どう?」
「行く!絶対行く!」
即答した瞬間、瑠依は何やら不敵な笑みを浮かべたので蓮は少しだけ嫌な予感がしたが、さすがに奈月の件もあって立ち直りかけの今の自分に変な事はしないだろう。だが、それは気のせいではなかった。瑠依はニヤリと笑った。
「ただ、条件があるわ」
「条件?」
「スイーツバイキングへ行く日は、私が用意した服を着なさい。もちろん、チョーカーはなし」
瑠依が今まで自分に着せてきた服の事を考えると嫌な予感しかしない。蓮は露骨に嫌な顔をした。
「俺、急用思い出したわ」
「まだ行く日程決めてないけど」
「行く日に急用があるって事で。これは返すから…」
「ここのケーキ、美味しいって評判なのよ?食べ放題なのよ?」
無料券を返そうとする蓮の手がぴたりと止まった。
「いちごタルト、モンブラン、チョコレートケーキ…他にもいっぱいあるのになー!」
瑠依が煽るように言うと、蓮は「ぐぬぬ…」と低く唸った。
☆
結局、スイーツの誘惑に勝てなかった蓮は、瑠依の誘いに乗る事にした。スイーツバイキングは瑠依と蓮の他に、日衣菜も来る事になった。瑠依は夢乃も誘ったが用事があると断られたらしく、無料券が一枚残る形になってしまった。
「来条君…また瑠依ちゃんに言いくるめられたか」
日衣菜は哀れみを帯びつつも楽しそうな口調で言った。
「だって…ケーキいっぱい食べたいから…うう」
蓮は落ち着かない様子で顔を俯いている。瑠依が用意した服は薄いピンク色を基調としたフリル付きのワンピースだった。胸元には大きなリボンが飾られていて、髪は三つ編みで二つに結んでいる。それは西洋人形を想起させるような姿で、蓮は不機嫌そうに呟いた。
「瑠依は俺を何だと思っているんだ…こんなフリフリな衣装、俺に似合う訳ないだろう」
「蓮は自分を過小評価しすぎよ!お人形さんみたいに可愛いわ!私がやってあげた三つ編みもよく似合ってる!」
「そうかなあ…落ち着かないんだが…」
時々すれ違う人が自分を見ている気がする。周囲の視線が気になって仕方ない。瑠依は不安そうにしている蓮の肩をバシバシと叩いて「大丈夫大丈夫!」と言って励ました。
目的の店はメルヘンチックな外装で、店の前には既に何人か並んでいた。蓮達も並ぼうとして店の近くまで歩くと、列から少し離れたところに挙動不審な一人の少女が店を見ている事に気付いた。あまりにも困っているような雰囲気を出していたので、蓮達はその少女に声をかける事にした。
「どうかしました?」
「わっ!あ…えっと」
瑠依が声をかけると、少女の肩は跳ね、驚いた様子で蓮達の方を見た。見た目からして高校生くらいだろうか。その少女は間を置いてから怯えるような目つきで言った。
「あ、あの…私、どうしたらいいのかわからなくて…」
「スイーツバイキングですよね?列に並べばいいと思いますよ」
「あ…そうじゃなくて。私…その…」
どうやらスイーツバイキングが目的ではないようだ。戸惑っている様子の少女を見て、何かただならぬ事情を抱えていそうな気配を察知した瑠依は、声音を柔らかにして再び聞いた。
「何か困っている事があるの?」
「あ…はい。ただ、こんな事言ったって信じてくれないかもしれないんですけど…」
少女は呼吸を整えてから言った。
「私、記憶喪失の影なんです」
蓮達はお互いに顔を見合わせた。




