4話 鏡界と影
日本には、2つの世界が存在する。
1つは人間が暮らす現実世界。魔法使いの間では現界と呼ばれている。
もう1つは鏡界と呼ばれる、現界とは異なる世界である。
鏡界には、『影』と呼ばれる魔力生命体が多く生息している。影の中には、無害なタイプもいるが、人に危害を加える攻撃性の高いタイプも存在する。
影は基本的に鏡界でしか生きる事が出来ない。影にとって、現界の環境は毒だからだ。
しかし、稀に成長して強い力を持った影が現界に対する耐性を獲得し、侵入する事がある。そうなると、影は現界で暮らす人間達に危害を及ぼす可能性がある。
魔法使いの使命は、人間に危害を及ぼそうとする影を探し出して退治する事。魔法使いの主な活動場所は影が多く生息する鏡界である。
鏡界の存在は、魔法使いのみが知っている。鏡界へ行くには特別な魔法を帯びた鍵を使う必要があり、魔法使いとその関係者しか入ることができないため、一般人には知られていない。
「…つまり、魔法使いは現実世界の人々の安全を守っていると。そういう事か?錐野」
「まあ、そういう事になるな」
「なんだかスケールの大きい話だなあ…。それで、その影?ってのが、俺に何か悪さをしたって、錐野は考えているわけだ」
「ああ。朝起きたら突然女になっていました…なんて事、普通はありえないだろ?ありえない事は大抵、影の仕業だ」
「でも何でそんな事を…俺を女の体にして影側にメリットがあるのか?」
「俺も正直そこがわからない。ただ、昨日のお前との会話で引っかかる事があった」
「昨日?昨日は確か…ああ、あれか」
錐野に言われて、蓮は昨日あった不思議な出来事をふと思い出した。
帰り道に出会った顔の見えないフード姿の少女。彼女が見せたスケッチブックに書かれていた『影に気を付けて』というメッセージ。
「そう言えば昨日会った女の子も、影の事を知っているようだったな」
「お前が昨日、影について聞いてきた時は驚いたよ。影の存在を一般人は知らないはずだからな。お前が会った子はおそらく魔法使いか、もしくは影だ。俺は嫌な予感がした。だから…」
そう言って錐野は学習机の隣にある本棚に視線を移す。その本棚の2段目左端には、昨日、錐野からもらったお手製のぬいぐるみが置いてある。錐野はそのぬいぐるみを手に取り、「ほら」と言って軽く投げて渡してきたので、蓮は慌てて両手で受けとめた。
「このぬいぐるみがどうかしたのか」
「これには特別な魔法がかかっている。瑠依の魔法だ」
瑠依とは、錐野の妹の名前である。錐野だけが魔法使いだと思っていた蓮は驚きの声をあげる。
「瑠依も魔法使いなのか?!」
「そうだ。このぬいぐるみには、影の気配を察知したら俺か瑠依に危険を知らせてくれる細工がしてあった。そのおかげでお前も助ける事が出来た」
「助ける?何の事だ」
「お前、影の魔法攻撃にあってたんだよ。お前の家の屋根上に影がいたんだ。心当たりは?」
「……凄く嫌な夢は見た」
「やはりそうか。夢に干渉するタイプの魔法だな。お前の命を狙っていたようだ。影は追い払う事は出来たが…何で蓮が狙われるんだ?」
錐野がそう言うと、蓮は不安な表情を浮かべた。
―――自分は正体もわからない誰かに命を狙われた。
蓮は今まで、何も不自由なく人生を送ってきた。命の危機に遭遇した事がなく、それに対する耐性もない。
それが、突然訳もわからない事に巻き込まれていると知り、これからの事を考えると彼は恐ろしくなった。血の気が引いて顔色が悪くなった蓮の様子を見て錐野は心配したが、説明を続けた。
「昨日、お前が会ったという女の子が今回の件に深く関わっている…俺はそう考えている」
「錐野、俺はこれからどうなるんだ」
「……お前は何か危険な事に巻き込まれている可能性が高い。だが安心しろ。どうにかする」
錐野は、力なく床に座り込んでいる蓮と目線を合わせるようにしゃがんで両肩に手を置き、安心させるように落ち着いた声でそう言った。
錐野は親身になって自分の力になろうとしてくれている、それを改めて感じ取った蓮は、感謝をしてもしきれなかった。そして、友人の頼もしさを目の前にして安堵したせいか、目頭がじわりと熱くなり、涙が零れた。
泣き始めた蓮を見て、錐野は一瞬ぎょっとした顔をして動揺する。
「お前、泣いてる?」
「うっうっ…きりのぉ…ありがとうなあ…」
「待て、俺が泣かせたみたいじゃないか、やめろ」
見た目は可憐な少女である蓮の泣き姿を見た錐野は、謎の罪悪感を感じた。