37話 人形が住む洋館(9)
「迷もこの洋館に来ているのかな…」
地下室にある木製のクローゼットの中で縮こまりながらサキはそう呟いた。彼女と最後に会ったのは一年くらい前か。迷は洋館に訪れる度にサキに会いに来てくれた。
迷と一緒にいる時だけは、寂しさを紛らわせる事ができた。だが、そんな日々も長くは続かないだろう。いつかまた一人になる…サキがそんな事を考えていると、クローゼットの扉が軋んだ音と共にゆっくりと開き、見覚えのある顔がひょっこりと顔を覗かせた。
「迷…?」
「やっぱりここにいた!何でいつもここにいるのよ」
迷は体育座りをしているサキの手を掴み、半ば強引にクローゼットの中から引っ張り出す。サキが目を伏せると、その視線の先に迷にそっくりな少女、明の姿があった。明は澄んだ目でじっとサキを見つめている。
「迷、この子は?」
「この子は私の記憶からできた影。アンタを地下室から連れ出したいんだって」
「……それってつまり、迷が僕を連れ出したいって事なんじゃないか」
「アハハ、バレた」
昔、迷はサキを地下室から連れ出すと言っていた事を思い出す。その気持ちは今もまだ変わっていないのだろう。だから現に今、こうやって地下室に迷が来てくれている。それはサキもわかっていた。だが、これ以上自分のせいで人形師の未来を壊すわけにはいかない。サキは気まずそうな顔で彼女達から目を逸らした。
そんなサキの様子を見た迷は、頭をかきながらため息をついた後、アスを呼んだ。開きっぱなしの地下室のドアからアスの顔が見える。サキを前にして、アスは軽くお辞儀をして挨拶をした。
「はじめまして。自立型人形のアスです」
「僕はサキ。君の話は蓮から聞いたよ。機械音痴なんだってね」
サキはいたずらっぽく笑った。軽くからかわれ、アスは顔を赤くする。迷は「こら!アスをからかわないの!」と言いながらもその顔は笑っている。
「アスはね、サキのおかげで作る事ができたんだよ」
「僕のおかげ…?何で?」
「子供の頃、最初にサキを見た時、いつか私もこんな凄いお人形を作れたらなって思ったの。ずっとそれが、私の人形製作における原動力だった」
迷は懐かしむように語りながら、近くにあった小さな木箱に腰かけて足を組んだ。
「自立型人形は作るのが難しかったし、何度も諦めそうになったけど、そんな時はサキの事思い出すと、頑張るぞって思えた。アナタの存在が私の支えになったの」
「…そんな話、初めて聞いたよ」
迷とは友達のように接していたので、自分の事をそんな風に思っていたとは知らなかった。サキは目を丸くして意外そうな顔をした。
「迷はさ、その…僕を見て悲しくなったりしないの?」
「するわけないでしょ。知ってるわよ。昔アナタを見て挫折した人形師がいるんですってね。それを負い目に感じているんでしょ?」
迷の話を聞いて辛い過去の事を思い出したサキは、ぎゅっと口をつぐんで目を伏せる。そんなサキの手を迷は優しく握って彼の目をまっすぐ見つめた。
「その人は気の毒だったと思う。でも、サキのせいじゃないよ」
「でも…また同じ事が起きるかもしれないじゃないか」
「もう起きないよ。私がそうはさせない」
何故そう断言できるのか、サキにはわからなかった。だが、迷がそう言うと何故か本当に大丈夫なんじゃないかと思えてしまうような、不思議な説得力がある。
「大きな目標があったとして、たとえそれに辿りつけなかったとしても、私はそれを悪い事だとは思わない。目標に向かって頑張る、その過程自体が尊いものだから」
「過程…?」
「人を惹きつけるほどの大きな存在を目にした時、それが自分にとっての力になる。私にとってサキはそんな存在だよ。そしてこれからも、サキには糸形家の目標であり続けてほしいの」
迷の話を聞いて、サキはある事を思い出す。昔、自分を作ってくれた糸形進が同じ事を言っていた。
―――お前は皆の目標になるような存在になりなさい。
何故今まで忘れていたのだろう。長い間、記憶の底に眠っていた彼の言葉を思い出し、サキはハッとする。
「……でも、僕を見て苦しむ人もいるかもしれないじゃないか」
「その時は、周りの人が支えるようにすればいい。一人で抱え込まないようにすればいい。だから、サキは地下室から出ていいんだよ」
「ほ、本当に…出ていいのかな」
「いいのよ!ほら!」
迷はサキの手をぐいと引っ張った。目の前には扉があって、そこから差し込む光が少し眩しい。迷はサキに優しく微笑む。そのどこか懐かしく思える笑みは、彼に勇気を与えた。
―――そういえば、昔もこうやって僕の手を引っ張ってくれたんだっけ。
迷に手を引かれ、サキは扉へ向かって歩き始めた。




