11話 奈月癒枝
錐野には妹がいる。名前は赤崎瑠依。瑠依は蓮と同じ学校に通う中学2年生で、錐野よりも少し濃い赤色の髪が特徴的な少女である。
瑠依は自宅のリビングで、ソファーで横になりながら錐野に話しかけた。
「どう?蓮の調子は。魔法使いになれそう?」
「アイツなら大丈夫だよ。多分な」
「ところで、蓮って女の子になったらどんな感じ?可愛い?」
赤崎兄妹は、家が隣合わせという事もあり、蓮と幼い頃から仲が良かった。昔は近くの公園で、蓮の兄も含めて4人でよく遊んでいた。瑠依は幼馴染みである蓮が女の姿になったと聞いて、気の毒だと思ったが、同時に、少しどんな姿になったのか興味があった。
「可愛い。めっちゃ美少女」
「やっぱりね。蓮は元の姿の顔が良いからそうなんだろうと思った」
「本人はそれどころじゃないがな」
「何でいきなり女の姿になったのかな。しかも、3年後に影に殺されるってやつ?加藍様が言ってた事だし本当なんだろうけど、何で蓮が?」
「わからない。俺も今色々調べてる。お前も何かわかったら教えろ。とにかく、蓮は俺たちが支えないと。アイツの親は魔法使いじゃないからな」
赤崎兄妹の家は魔法使いの家系である。錐野と瑠依は、物心がついた時から魔法使いになるために親から教育されてきた。赤崎家だけでなく、基本的に魔法使いの仕事は代々親から子に受け継がれるもので、親が一般人なのに魔法使い修行を始める蓮のようなケースは、極めて稀であった。
通常、魔法使いは親から魔法の使い方を学ぶが、蓮にはそれが出来ない。錐野は、彼が抱える問題が片付くまで面倒を見るつもりだ。その気持ちは瑠依も同じだった。
「蓮は大事な幼馴染みだしね。私も頑張って手掛かりを探してみるよ」
「ああ、頼むよ」
「……ネットで調べたら出てくるかな」
それで出てきたら苦労しないだろうが、と錐野は心の中でツッコミを入れた。
瑠依にも協力の意思はあるようだが、どうにもこの妹は気分屋というか、天然なところがある。一見しっかりしているように見えて、実は何も考えていない時もある。俺がしっかりしなくては…そう心に誓った錐野であった。
☆
錬ノ間に通い続けてもう3日が経った。学校が終わった後、蓮はすぐ家に帰り、自分の部屋から鍵を用いて鏡界への扉を開く。
錐野は影退治の任務で忙しく、中々練習に顔を出せずにいた。申し訳なく思っているのか、錐野から毎日練習の進み具合を聞くメールが届く。蓮がわからない事を聞くと的確に答えてくれる為、それを頼りにこの数日間は練習をしていた。
最初は錐野がいないと怖いと思っていた鏡界だが、慣れれば1人で行く事も平気になってしまった。少し前まではこんな非現実的な世界とは無縁だったというのに、慣れとは恐ろしいものだ。そんな事を考えながら蓮は錬ノ間の扉を開ける。
「あれ、君もここで練習してるの?」
そこには先客がいた。影を木の棒で軽くつっついている。蓮と同い年くらいの見た目の、ショートヘアの少女は、気の抜けた活気のない笑顔で蓮に話しかけた。蓮がこくりと頷くと、少女は影を足で踏まないように避けながら近寄ってきた。
「私、奈月癒枝。君は?」
「来条蓮だ。奈月さんも魔法使いになるの?」
「ははっ、奈月でいいよ。私はね、元々魔法使いだったんだけど、ちょっとブランクがあってね。初歩からやり直してんの。来条君は?」
「俺はマジの初心者。まだ一回もここにいる影を倒せてない」
「あらま。じゃあ私が教えてあげようか」
それから、癒枝は影の倒し方について話し始めた。癒枝は常に眠たげな目つきをしていて、生気の感じられない話し方をするが、教え方は上手かった。その上、彼女には洞察力もあり、蓮が何故魔力を制御出来ないのかも見抜いた。
「来条君はさ、木の棒を木の棒だと思ってるでしょ」
「え、実際そうだよな」
「そうだけど、その意識じゃ駄目。木の棒は自分の体の一部だと思わないと、魔力は流れないよ。木の棒も手の延長線だと思ってみて」
実際は癒枝の言う通りで、蓮が木の棒に向ける意識を変えてみると、魔力の流れがより感じられるようになった。そのまま近くにいた影を木の棒で軽く叩くと、影は塵になって消えた。初めて影を倒せた蓮は、歓喜の声を上げる。
「やった!出来た」
「いいね。今の感覚を忘れないで」
「ありがとう奈月。でも本当にいいのかな」
「何が?」
蓮の表情が少し暗くなったので、癒枝は首を傾げた。
「こいつら、特に何もしてこないし、無害じゃん。それなのに一方的に叩いたら可哀想な気もしないか」
「ここにいる影はね、今は弱いから無害だけど放っておいたら人間を害する恐ろしい怪物になるの。だから、簡単に倒せるうちに倒す。そういうものだよ」
「そうなのか…」
あまり納得いっていない様子の蓮を見て、癒枝は柔らかな笑みを浮かべる。
「来条君は優しいね」
「そうか?俺からしたら奈月の方が優しいと思うけど…そういや、奈月に話してない事あったよな。実は俺…」
「中身は男なんでしょ?」
「えっ、何でそれを知ってんの?俺、まだ奈月に言ってないのに」
蓮はまだ、癒枝には諸々の事情を話していない。今の自分は、誰が見ても少女だと思われる姿のはずなのに、一体どうして気づいたのだろうか。蓮は動揺して目をぱちくりさせる。
すると、癒枝は口元に人差し指をそっとあてて、片目を瞑りながら言った。
「ま、そういう事で」
「いや、どういう事?」
曖昧な言い方で癒枝が誤魔化してきたので、蓮は聞き返してしまった。
☆
「うー。さすがに今日は頑張りすぎたかな」
蓮は特訓を切りのいいところで終え、錬ノ間から自分の部屋に戻ると、大きく伸びをした。もっと練習をしたかったが、魔法使いが鏡界にいられる限界時間は5日程度。それ以上は命に関わる。さらに言えば、蓮はまだ魔法使いの修行中の身なので、鏡界への耐性が十分ではない為、半日が限界である。
「こんな調子で大丈夫なのかなあ…」
錐野からは焦っても意味はないと言われたが、そうは言っても今のままでは3年後には死が待っている。不安にもなるし、気持ちも中々落ち着かない。
「いやいや、こんな時こそ冷静に、明るく元気よく、だよな!」
落ち込んでも仕方がない、蓮はそう自分に言い聞かせた。
 




