がんばって最高の遺書を書いたら、なぜか "ざまあ" することになりました
それは、夏の終わり。
学校の屋上での出来事だった。
フェンスに寄り掛かって、夕方の気配が漂い始めた空を見上げながら、僕は呟いた。
「……もう楽になりたい。死のう」
昼間は屋上菜園でにぎわっている屋上も、この時間になると誰もいない。
念のため、誰も入って来れないように内鍵をかける。
鞄を地面に置き、フェンスの前で深呼吸すると、僕は金網部分に手をかけた。
フェンスの高さは3m以上。
運動不足でぽっちゃりな僕には辛い高さだけど、ゆっくりゆっくり登る。
そして、頂上まであと少し、と、思った瞬間。
『……君、何してるの?』
突然後ろから聞こえてきた女子の声に、僕は飛び上がった。
そして、
ドスンッ
勢いよく落下して、漫画みたいに見事な尻もちをついた。
あまりの痛さに呻きながらうずくまっていると、男女の焦ったような声が聞こえてきた。
『ああ! うそっ! ごめんなさい!』
『だ、大丈夫でござるか!』
お尻をさすりながら顔を上げると、制服を着た2人の男女が膝をついて僕の顔をのぞき込んでいた。
ポニーテールの女子が、ガバッ、と頭を下げた。
『ごめんなさい! まさか聞こえるとは思わなくて!』
『すごい音がしたでござるよ! 動けるでござるか?』
少し太めの眼鏡の男子が、心配そうに言う。
僕は混乱した。
屋上に誰もいないことは確認したし、鍵もかけた。
この2人、一体どこから湧いてきたんだ?
ていうか、2人の着てる制服って、うちの学校のじゃないよね?
僕の疑うような目に気付いたのか、男子がチラリと女子を見る。
女子は覚悟を決めたように頷くと、何故か黙って立ち上がった。
男子もノロノロと立ち上がる。
その足元を視線を落とし、僕は思わず口を押えた。
「……ッ!!!!!!」
なぜなら、そこには何もなかったからだ。
(ひ、膝から下がない。ゆ、幽霊だ!)
そして、逃げようと立ち上がった瞬間。
急な立ち眩みに襲われた僕は、フラフラと倒れこんで、そのまま気を失ってしまった。
* * *
僕の名前は、及川颯太、中学校2年生。
背は低めで、ややぽっちゃり目。
父はおらず、看護師の母と2人で暮らしている。
この体形のせいか、はっきり言えない性格のせいか、オタク趣味のせいか。
2年生になってすぐ、僕はクラスのみんなからいじめられるようになった。
特にクラスの、酒井、沼田、鈴木、田中の男子4人グループは悪質で、僕は毎日のように学校帰りにお菓子をたかられるようになった。
僕も出来る限り抵抗した。
お金を持って来ていない、お小遣いがなくなった。そんなことを言って断った。
担任の先生に相談したこともある。
しかし、その翌日。
上履きはなくなり、体操着が濡らされ、放課後にはK-1ごっこと称した暴力。
先生も「 ” いじめ “ ではなく “ いじり “ だ」と、取り合ってくれず。
そんな日が続き、僕は抵抗するのを諦めた。
平穏に日々を過ごすために、貯金を切り崩して金品を渡すようになったのだ。
しかし、その要求は徐々にエスカレート。
そして、今日。
僕は、校舎裏に呼び出され、最新のゲーム機とソフトを4セット買うように言われた。
リーダー格の酒井がニヤニヤしながら言った。
「いつも通り、及川君が買って、俺らに貸してくれればいいよ」
正規購入ですら4セット買えば16万円。
もうそんな大金残ってない。
必死に「無理だ」と、断る僕を、柔道部の沼田が胸倉を掴んで持ち上げ、怒鳴りつけた。
「お前んとこ母子家庭だから補助金とか出てんだろ? それって俺らの親が払ってる税金じゃねーか! 返せよ!」
そして、恐怖のあまり何も言えなくなってしまった僕をゴミみたいに放り投げると、4人は馬鹿にしたように笑いながら去って行った。
僕は絶望した。
ここまで酷いことをされても、何も言えないなんて、僕はなんて情けない人間なんだろう。
搾取されるだけの人間なんて生きている価値もないし、生きているのも辛すぎる。
「もう無理だ。死んで楽になろう」
そして、僕は、飛び降りるために学校の屋上に行き、何故か幽霊と出会って気を失う羽目になった、という訳だ。
* * *
屋上で気を失って、我に返って、約10分後。
僕は、なぜか幽霊達と向かい合って座り、自己紹介をし合っていた。
生きている人間と話すのは初めてだ、と、はしゃぐ2人と、顔を引きつらせる僕。
ちなみに、なぜ逃げ出さないかといえば、完璧に腰が抜けて動けないからだ。
生まれて初めて腰が抜けたが、こんなに全身の力が抜けるものだとは思わなかった。
よくぞ失禁しなかったと、自分で自分を褒め称えたい。
そんな僕の状況など露知らず、2人は喜々として自己紹介を始めた。
女子の幽霊の名前は、五十嵐春香(享年17歳)。
目を糸みたいに細めて笑う明るい感じの人で、バスケ部だったらしい。
話してる感じからすると、僕とはあまり縁のない、陽キャだ。
男子の幽霊の名前は、田丸祐樹(享年14)。
眼鏡ぽっちゃりで、趣味はマンガ、アニメ、ラノベ、ラノベ執筆。
趣味から体型まで親近感を覚える陰キャだ。
ちなみに、言葉遣いが “ ござる調 “ なのは、自分の心を守るためらしい。
2人は知り合い同士ではなく、全くの無関係。
3日ほど前に、気が付いたらこの屋上に来ていたらしい。
『誰も私たちのことは見えないし、声も聞こえないみたいだったから、油断してたのよね』
『何度か学校内をウロついてみましたが、多分我々が見えるのは及川殿くらいですな』
話を聞きながら、僕は徐々に落ち着きを取り戻した。
話せば話すほど、彼らが普通の人間と変わらないことが分かってきたからだ。
もちろん、幽霊らしく、膝から下はないし、触ることは出来ない。
でも、それ以外は本当に普通で、怨念とかそういう物騒な感じも全くしない。
話の内容もリアクションも極めて普通。
むしろ、クラスメイト達よりもしゃべりやすい気すらする。
そんなしゃべりやすさも手伝ってか。
誰かに聞いて欲しいと思っていたせいか。
僕は尋ねられるがまま、今まで誰にも言えなかった自分の境遇をぽつりぽつりと話し始めた。
いじめられ、たかられていること。
高いゲームとソフトを買えと脅されたこと。
もう楽になりたいと、死ぬために屋上に上がって来たこと。
話しているうちに、ポロポロと涙がこぼれ、嗚咽が漏れる。
自分がどれだけ悲しくて悔しかったのか、今更ながら実感する。
そして、僕が話し終わると、五十嵐さんが両手を顔に当てて、ワッ、と、泣き出した。
『ひどいっ! ひどすぎるわっ! あんまりよっ!』
『それは辛かったでござるな……。よく今まで耐えてきたでござるよ』
田丸君が、眼鏡を外して涙を袖口でぬぐう。
僕は酷く面食らった。
まさかこの2人がこんな反応をしてくれるとは思わなかったのだ。
半ばポカンとしていると、田丸君が涙を拭きながら口を開いた。
『及川殿が、なぜ拙者達のことが見えるのか、理由が分かったでござる。――――実は、我々2人、いじめられて自殺したのでござる』
まさかの言葉に、僕は思わず目を見張った。
「え! 田丸君は分かるけど、五十嵐さんも!?」
『ちょっ! 失敬ですぞ!』
泣きながら突っ込む田丸君。
五十嵐さんが、涙を拭きながら言った。
『そうよ。私が自殺したのは10年前ね。いじめのきっかけは、両親が離婚して苗字が変わったことと、いじめられている子をかばったこと。しばらく耐えてたんだけど、そのかばった子にもいじめられて、折れちゃったの』
『拙者は6年前。いじめの理由は、オタク趣味と体型ですな。臭い汚いとののしられ、最後はノートに書いていた小説の下書きを皆の前で読まれ、破られ、馬鹿にされて、折れたでござる』
2人の当時の辛さが痛いほど分かり、僕は涙を流した。
きっと、僕のように追い詰められて、どうしようもなくなって死を選んだのだろう。
なんて辛い経験をしてきたんだ。
僕の気持ちが伝わったのか、更に涙をこぼす2人。
3人で一緒に泣きながら、僕は思った。
僕が彼らが見える理由も、しゃべりやすい理由も、今はよく分かる。
僕たちは、同類だったんだ。
そして、そこから空が夕焼けに染まりきるまで。
僕たちは、何も考えず、ただひたすら泣いた。
* * *
しばらくして。
泣き疲れた僕が、赤く染まった空をボーっと眺めていると、田丸君が遠慮がちに尋ねた。
『……それで、及川殿はこれからどうするつもりでござるか?』
僕は黙り込んだ。
これは、自殺するのを止められる流れだろうか。
初めて人?に自分の境遇をぶちまけて、僕は改めて死にたいと考えていた。
考えれば考えるほど、生きている価値のない人生だ。
死ぬのを止められたくない。
考えているのことが伝わったのか、田丸君が苦笑しながら言った。
『大丈夫でござるよ。拙者達もいじめを受けて死を選んだ身。止めようとは思わないでござるよ。及川殿には及川殿の考えや環境がありますし、そこは尊重するでござる。
―――ただ……』
田丸君はここで一旦言い淀むと、少し苦しそうな表情になった。
『死ぬ前に、自殺の先輩のアドバイスとして、我々の残した未練を聞いてもらえませぬか。
我々はそれぞれ未練や後悔があって、ずっとあてもなく彷徨っているでござる。
及川殿には拙者達のようになってほしくないでござるよ』
五十嵐さんも頷いた。
『私も同じように考えているわ。こうやってずっと彷徨うのはとても辛いことよ』
僕は顔を顰めた。
楽になるために死ぬのに、死んだ後も辛いのは絶対に嫌だ。
それと、何に後悔したのか聞いてみたいという好奇心もあり。
僕は殊勝に頷いた。
「分かった。聞くよ」
* * *
田丸君が、真面目な顔で正座をすると、ゆっくりと口を開いた。
『拙者からのアドバイスは、遺書を書くことでござる。
拙者の未練は、恐らく、遺書を書かなかったことですからの』
「え? 遺書?」
『拙者、勢いで自殺したんで、遺書とか思いつかなかったでござるよ。その結果、母親がメチャメチャ苦しんでしまったでござる。死んだ理由が分からないのが、あれほど人を苦しめるなんて全く想像していなかったでござる』
なぜ死んだのか。
どうして自分たちは助けられなかったのか。
感情を何かにぶつけることも出来ず、一生解けない謎を抱えて、6年経った今もお母さんは苦しんでいるらしい。
『拙者、後悔しているでござるよ。ほんのノート半分でも、何か書き残せば良かったと』
俯いて肩を震わせる田丸君。
五十嵐さんは、その肩を慰めるようにポンポンと叩くと、僕の方を向いて言った。
『私は、その遺書の内容に未練がある感じね。――――私の書いた遺書、中途半端だったのよ』
「中途半端?」
『いじめについて書いたんだけど、自分の気持ちばっかり書いて、具体的に何をされたのか全然書いてなかったの。で、結局、『いじめの事実は認められず、本人が大げさに捉えていただけだった』みたいな感じで有耶無耶にされちゃって。
うちの場合は、両親以上に兄が深く傷ついたわ。妹の無念すら晴らしてやれなかった、って』
辛そうに俯く、五十嵐さん。
そして、顔を上げると、すがりつくような目で僕を見た。
『自殺自体は止めないわ。でも、どうか私達みたいにならないで』
2人の真剣な目を見て、僕は理解した。
この人達は、僕の状況を分かった上で、本気で僕のことを心配してくれている。
正直なところ、遺書を書けば未練がなくなるかは分からないけど、最後に親身に話を聞いてくれた2人の意見を聞くのも良いのかもしれない。
そんなことを考えていた、―――その時。
キーンコーンカーンコーン
少し暗くなり始めた空に、最終下校時刻を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。
早く出ないと校門が閉まって、先生が見回りに来てしまう。
僕は立ち上がりながら言った。
「もう時間もないし、今日はとりあえず帰るよ。それで、その、……もしも僕が遺書を書いたら、見てくれる?」
2人は嬉しそうに頷いた。
『もちろんでござるよ! 拙者、趣味でラノベ投稿していたくらいですから、文章には自信があるでござる!』
『私の後悔を踏まえて精一杯アドバイスさせてもらうわ! 任せて!』
――――こうして僕は、放課後屋上に来ては、彼らと一緒にあれこれ言いながら遺書を書いて過ごすようになった。
完璧な遺書を書くのはとても難しく、僕たちは内容を議論し、書き直したり材料を集めたりした。
2人はとても親身になってくれ、様々な面で僕をバックアップしてくれた。
そして、1週間が過ぎ、2週間が過ぎ。
完璧な遺書が出来上がっていくにつれ、僕は考えるようになった。
死ぬのは少し怖いけど、この2人の仲間になるのは悪くないな、と。
――――しかし、物事はそう上手くはいかないもの。
遺書を書き始めてから3週間目の放課後。
僕は、酒井達4人と話し合いをすることになってしまった。
* * *
それは、遺書を書き始めて2週間が過ぎた頃のこと。
想定外の事態が起きた。
なんと、お母さんが僕の遺書を見つけてしまったのだ。
ベッドカバーを洗おうとしたところ、ベッドの下に隠してあった遺書に気付いてしまったらしい。
加えて悪かったのが、その内容。
遺書の内容が未練の五十嵐さんと、ラノベ執筆で鍛えた文章力が自慢の田丸君のアドバイスを受けた遺書は、それはもう、1回読んだら全て理解できるくらい、めちゃめちゃ良く出来ていた。
お陰で誤魔化しようがなく、僕はおかあさんにいじめを告白せざるを得なくなった。
そして、泣かれたり問いただされたり、お母さんが学校に連絡したり、僕が学校に行かなかったりと、すったもんだした結果。
学校側から、加害者の親を交えた話し合いを提案され、それに応じることになってしまった。
僕は、思い切り狼狽えた。
死ぬ準備をすすめていたら、いきなり加害者4人との直接対決。
学校は守ってくれない状況でそんなことをしたら、ひどい報復をされるに違いない。
慌て怯える僕に対し、屋上の友人達は冷静だった。
僕に「死」以外の選択肢が増えたことを喜び、出来る限りのアドバイスをしてくれた。
2人の言葉に従い、僕も出来る限り準備をする。
――――そして迎えた話し合い当日。
僕は、お母さんと弁護士の佐倉さんと一緒に放課後の学校を歩いていた。
佐倉さんは、僕の事情を聞いて同行を申し出てくれた、20歳後半の背が高いイケメン弁護士だ。
誰もいない廊下を移動しながら、佐倉さんが呆れたように小声で言った。
「この学校はどうかしていますね。被害者と加害者の話し合いの後、9割近い子が不登校になっているのを知らないんでしょうか」
お母さんが溜息をついた。
「何度か話をしたのですが、誤魔化すばかりで真面目に取り合ってくれない印象でした。颯太のことを真剣に考えてくれていない気がしています」
「いつの時代もこういった所は変わらないのですね」
こんな話をしながら指定された教室に行くと、そこには酒井、沼田、鈴木、田中の4人と、その親が並んで座っていた。
教頭、校長、担任もいる。
僕たちが入って行くと、いつも僕に暴力をふるう沼田の父親が、僕たちに向かって怒鳴った。
「おい! お前ら! 俺の息子を犯人呼ばわりしてるそうじゃないか!」
あまりの剣幕に、ビクッとする僕とお母さん。
すると、佐倉さんが僕らを庇うように沼田の父親に向かって軽く会釈すると、穏やかに口を開いた。
「こんにちは。はじめまして。わたくし、弁護士の佐倉春樹と申します。今日は及川君の父親代理として参加させて頂くことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「弁護士……?」
沼田の父親が怯んだような顔をする。
佐倉さんは軽く微笑むと、穏やかに話を続けた。
「父親代理ですから、及川君の弁護をするという訳ではありません。双方の話を聞いて、もしも及川君の方が悪ければ、僕から謝罪を促すこともありえますので、ご安心ください」
4人と親達があからさまにホッとした顔をする。
その後、担任の誘導で、僕達は「コ」の字になって座ることになった。
僕たち3人の正面は、4人とその保護者、合わせて8人。
リーダー格の酒井は馬鹿にしたような顔で僕を見ており、眼鏡をかけた母親も馬鹿にしたような顔でお母さんを見る。
沼田の父親は柔道教室の講師らしく、乱暴そうで声が大きい感じだ。
鈴木、田中はどこかオドオドしており、両方の母親たちも居心地が悪そうだ。
全員が座ると、佐倉さんは慣れた口調で話し始めた。
「話し合いの前に、事実確認だけしておきませんか?
いじめがあったのか、なかったのか。
あったとすればどの程度なのか。
ないなら、なぜそういう話になったのか。
この基本事項の共通認識がないと、話が建設的に進まないと思うのです」
校長先生と教頭先生が頷いた。
「そうですね。まずは事実確認からしましょう。皆さんもそれで宜しいですね?」
佐倉さんは、全員が頷くなり賛成するのを確認すると、僕の方を向いた。
「では、まずは及川君の方から「自分が何をされたのか」を話してもらいましょう。その後に、その話が正しいかどうか4人に聞くのはどうでしょうか?」
酒井の母親が、フン、と鼻を鳴らしながら言った。
「いい考えだと思いますわ。一方的に言われたら、こちらもたまったものではありませんからね」
佐倉さんの合図を受け、僕はごくりと生唾を飲み込んだ。
そして、ポケットから、田丸君と五十嵐さんと一緒に2週間かけて作った遺書を取り出すと、ゆっくり読み始めた。
「僕は、2年生になってすぐ、同じクラスの酒井、沼田、田中、鈴木の4人からいじめられるようになりました。最初は……」
みんなの鋭い視線を感じ、声も手もブルブル震える。
幾度となく逃げ出したい衝動に駆られたが、僕は必死に読み進めた。
毎日のようにコンビニでたかられたこと。
「貸してくれ」と言われ、総額10万円近いお金を取られたこと。
限定品の携帯ケースを人数分買わされて、「永久に貸してくれよ」と取り上げられたこと。
従わなければK1ごっこで乱暴されたり、体操着や教科書を濡らされたこと。
ゲーム機を人数分買えと言われ、断ったら暴力を振るわれたこと。
途中、何度も4人や沼田の父親、酒井の母親が遮ろうとしたけれど、その度に佐倉さんが止めてくれる。
そして、読み終わって顔を上げた僕に、8人の怒りに満ちた目が向けられた。
「お前ふざけるなよ! 嘘ばっかり言ってるんじゃねーよ!」
沼田が吠えた。
「いじめられたとか言うけど、それってクラス全員が及川君のこと嫌ってるからそう思ってるだけじゃないの? うざいしオタクだし。嫌われる原因は自分ににあるよね?」
酒井がニヤニヤ笑いながら言う。
佐倉さんは2人に目を向けると、穏やかに尋ねた。
「じゃあ、君達は、及川君の言ってることは全部デタラメだと言うのかな? 奢ってもらったことはないの?」
酒井が首を竦めた。
「ありますけど、せいぜい2,3回くらいです。金額も少なかったし、てっきり普通に奢ってくれてるんだとばかり思ってました」
「そうか。じゃあ、スマホカバーは? 人気歌手の限定品なんだよね?」
すると、田中君の母親が、心配そうに田中君に尋ねた。
「あなた、限定スマホカバー使ってたわよね。あれどうしたの?」
「か、買ったんだ。自分で。なあ、鈴木?」
若干目を泳がせて鈴木に話を振る田中。
慌てたように「4人で買いました」と、頷く鈴木。
その態度に何かを感じたらしく、黙り込む田中、鈴木の母親達。
佐倉さんは穏やかに「なるほど。そうだったんだね」と言うと、酒井に尋ねた。
「じゃあ、ゲーム機は? 4万円するものを4人分買えと言われたって及川君は言ってるけど?」
酒井はさも心外という顔をした。
「確かに、欲しいなあ、とは言いました。でも、買えなんて一言も言ってません。なのに断ったから暴力や嫌がらせを受けたとか言われて、意味不明です」
沼田は、僕を睨みつけると、せせら笑うように言った。
「こいつ、嘘つきなんですよ。すぐ嘘をつく。だから嫌われてるんです。自業自得ですよ」
この後も、僕の言葉を否定し、悪口を言う4人。
僕は、佐倉さんが言っていた「話し合いをした9割の被害者が不登校になる」という意味がようやく分かった。
目の前で、こんなこと言われ続けるなんて、普通は耐えられない。
僕も、五十嵐さんから「悪口とか人格否定で、こっちを折ろうとしてくるわよ」というアドバイスを受けてなければ、ヤバいところだった。
そして、それまでずっと黙って話を聞いていた校長先生が立ち上がって言った。
「今までの話を聞いていると、双方悪いところがあったみたいだね。4人は言い方や態度に反省すべきところがあるだろうし、及川君も勘違いしてしまったところがあると思う。
だから、ここは双方謝って、2度とこういったことがないことを約束するのはどうかな?」
「それがいいですね。公平です」
「喧嘩両成敗ですな」
校長の言葉に賛成する、教頭と担任。
僕は内心溜息をついた。
親が来ようと、話し合おうと、やっぱり「いじめ」はなかったことになるらしい。
学校側から、自分の心がどれだけ軽視されているのかよく分かる。
校長先生に同調するように「それでいいと思いまーす」「時間の無駄だった」などと同意する酒井・沼田親子。
保護者の同意を受け、校長先生がにこやかに佐倉さんに尋ねた。
「これでどうですかな? 佐倉先生?」
佐倉さんが、冷静に尋ねた。
「これでどう、というのは、双方謝って終わりにする、ということですか?」
「そうなります。もちろん、これから担任としても気を配っていきたいと思います」
解決したことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべる担任。
佐倉さんは、ハアッ、と、溜息をついて、眉間を揉みほぐし始めた。
頭が痛い、そう言いたげな雰囲気だ。
そして、鞄からファイルとパソコンを取り出すと、2枚の紙を、8人と先生方の前に置いた。
――――――――
4月10日 2,350円
4月11日 2,008円
4月13日 2,650円
・
・
4月合計 34,350円
5月合計 38,350円
・
・
――――――――
訝し気に紙を見る4人と保護者、先生方に、佐倉さんが静かに説明した。
「これは、4月~9月の6か月間、学校の近くにある個人商店とコンビニエンスストアで、及川君が4人に奢った回数と金額です。防犯カメラと及川君の電子マネーの記録を確認したので間違いありません」
佐倉さんがタブレットを操作して、防犯カメラの画像らしきものを写す。
画像では、嫌がる僕を4人が肩を組むように引きずって入り、後ろから叩いてお金を払わせる現場がばっちり映っている。
「こちらの個人商店のオーナーが言っていましたよ。いつも及川君がお金を払わされているから、かつあげをされているんじゃないかと、ずっと心配していた、と」
色を失う田中と鈴木。
佐倉さんを睨みつける沼田と、顔を歪めて「うわっ、こんなの調べるとかキモっ!」と悪態をつく酒井。
佐倉さんはそんな2人を無視すると、もう2枚の紙を取り出した。
「これは、及川君がオークションで限定スマホケースを4つ落札した時のやりとりです。限定だけあってシリアルナンバーが付いていたようで、これがそのシリアルナンバーです。―――鈴木君と田中君。君達のスマホ見せてくれないか?」
必死な顔でポケットを隠す鈴木と田中。
鈴木の母親が無理矢理スマホを取り上げると、シリアルナンバーを読み上げた。
「……A33212、です」
「ありがとうございます。それは及川君が落札したものに間違いありません」
白い顔で黙り込む、鈴木・佐藤両名の母親達。
「それとね。こんな動画もあるんだよ?」
そう言って佐倉さんが動画を再生すると、僕の声が響き渡った。
『ゲーム機4台とソフトなんて買えないので、自分たちで買って下さい』
『ええー! 困るなあ。僕たち楽しみにしてたんだよ? 自分で言ったことには責任を持たないとね?それに、買わないと色々大変なことになるけど、いいの?』
『……今まで貸してくれって言われて、返してくれたことないじゃないか。お金だって貸してるし、スマホケースだってサッカーボールだって貸してる。返してよ!』
『あれ? 知らないの? 長く貸してくれたら所有権が借りた人に移るんだよ? あれは当然俺らのでしょ。あ、もちろん借りた財布も俺らのだからね』
『このオタク野郎! 金がないなら片親援助金でもなんでもパクッてこいよ! この税金泥棒!』
『暴力はやめてよ!』
『はあ? 自業自得だろ! 自分のやったことに責任持てや!』
僕が突き飛ばされて蹴られるところも、バッチリ映っている。
そして、次に映ったのは、教室でのK1ごっこの様子。
僕が思い切り腰を蹴られ、呻いているのを嘲笑う4人が映り、最後に落書きされた教科書はボロボロになった上履きや体操着が映った。
呆然とする4人と保護者達、先生達に、佐倉さんが1枚の紙を見せた。
「これはこの時の診断書です。体に複数個所あざができていたのと、ねん挫と打撲で全治2週間。もちろん暴力によるものです。それと、教科書も体操着も、暴行を受けた時に着ていた制服も触らないように保管してあるので、指紋を取ろうと思えばすぐに取れます」
佐倉さんはここで一旦言葉を切ると、ゆっくりと言葉を続けた。
「ご覧になって分かる通り、彼ら4人の及川君に対する仕打ちは、悪ふざけの域を超えた立派な犯罪です。加えて本人達に悪いことをしたという自覚も反省もない。学校もまともな対応する気がない。
これらの状況から鑑みて、私は訴訟するべきだと考えています」
誰かの、ヒュッ、と、息を吸う音が聞こえてくる。
沼田の父親が、猫なで声で言った。
「そんな訴訟なんて。子供のやったことじゃないですか。ここで謝っておしまいにしませんか」
「そうですよ。お金なら返しますし、今後二度とやらないように言い聞かせますから」
酒井の母親も媚びを売るように佐倉さんを見る。
「そ、訴訟は困ります!」と慌て始める校長先生。
佐倉さんは溜息をつくと、沼田の父親と酒井の母親に言った。
「未成年だったら、カツアゲも集団暴力も許されるんですか? あの動画をご覧になりましたよね?」
「……い、いじめられた方にも原因があるでしょう!」
逆切れして叫ぶ酒井の母親。
すると、ずっと黙っていたお母さんが口を開いた。
「うちの息子が太っていてオタク趣味だから、カツアゲされても暴力を振るわれても当然だ、とおっしゃるんですか? 世の中に人をいじめても良い理由なんてありませんよ」
佐倉さんが立ち上がった。
「これ以上こちらから話すことはありません。失礼させて頂きます」
「ま、待って下さい!」
追いすがるように言う校長先生。
佐倉さんは、校長先生を睨むように見た。
「今回の学校の対応は実にお粗末なものでした。” いじめ防止対策推進法 “ が全く守られていない上に、転校を申し出た及川さんに、「いじめはないから認められない」と却下したそうですね。
もう学校は信用できません。私の方から教育委員会に連絡することにします」
青ざめる校長先生達。
すると、顔が紙みたいに白くなった田中君と鈴木君が必死に頭を下げてきた。
「ごめんっ!」
「本当にごめんなさい!」
その後ろで、「おい、俺ら友達だろ!」と叫ぶ沼田と、「これからも仲良くするんだろ?」と、脅すような口調で言う酒井。
僕は、呆れ果てて4人を見た。
謝ってももう遅いし、この期に及んでこの態度。
僕は、何故こんな下らない奴らに怯えていたのだろうか。
佐倉さんが、「言ってやれ」という風に、僕の肩に手を置いて頷く。
僕は4人を正面から見ると、こぶしにグッと力を入れて、叫ぶように言った。
「……僕がいじめられた時、酒井君と沼田君はいつも言ってたよね。自分の行ったことには責任取れよ、自業自得だって。それ、そのまま返すよ。こうなったのは、自業自得だよね。ちゃんと責任取ってよ」
「お前っ!」
カッとなった沼田が殴り掛かってくる。
佐倉さんが、何でもないように沼田君を止めると、真っ青な顔の担任に引き渡す。
担任に抑えられて暴れる沼田の横で、般若のように顔を歪める酒井と、泣きじゃくる田中、鈴木。
その光景を見ながら、僕は思った。
ああ、これでようやく地獄の苦しみが終わったんだな。と。
* * *
それから色々なことがあった。
まず、僕は学校に行かなくても良いことになった。
お母さんと佐倉さんが学校側と交渉したらしい。
訴訟の準備は佐倉さんが進めてくれている。
4人の両親と学校は示談したいと言ってきているらしいが、つっぱねてくれているようだ。
証拠が嫌というほど揃っているし、負ける気がしないそうだ。
そして、僕たちは引っ越すことになった。
母親と佐倉さんが話し合って、これ以上ここに残っていても良いことがないという結論を出したらしい。
引っ越し先は隣町。
佐倉さんが学校や教育委員会と話し合い、この学校から隣町で一番遠いところにある中学校に来月から通うことになっている。
――――そして、学校の話し合いから5日後の土曜日、夕方。
僕は、佐倉さんと一緒に残った私物を取りに来ていた。
職員室で荷物を受け取り、念のため教室もチェックする。
そして、全ての荷物を持った僕は、校門の前で、佐倉さんに頭を下げた。
「佐倉さん、本当にありがとうございました。佐倉さんがいなかったら、僕、どうしてたか分からないです」
佐倉さんが目を糸のように細めて微笑んだ。
「君が急に事務所に来た時は本当にびっくりしたけど、役に立てて良かったよ。
―――それに、本当は……」
佐倉さんはここで言葉を切ると、ギュッと唇を噛んだ。
そして、上を向くと、震える声で言った。
「……本当は、お礼を言うのは私の方なんだ。
私は、10年前、妹を自殺でなくしてね。原因がいじめだと分かっているのに、当時高校生だった私は、何もできなかった。
それが悔しくて弁護士になったんだけど、それでもどうしても前に進めなくてね」
佐倉さんは、僕に深々と頭を下げた。
「君を助けさせてくれて、本当にありがとう。……これで私も、やっと前に進めるよ」
* * *
佐倉さんと別れた後、僕はこっそり屋上に上がった。
そして、誰もいないことを確認して内鍵を閉めると、いつも通り呼びかけた。
「おーい、いる?」
『はいはーい』
『いるでござるよ!』
振り向くと、2人が笑って手を振っていた。
以前は本当の人間と変わらないくらいはっきりしていたのに、今は後ろが見えるくらい透き通っている。
『まあ、もともと自殺つながりでしたからな。及川殿に自殺願望がなくなって、見えなくなってきたんでござろうな』
少し悲しそうに言う田丸君。
五十嵐さんが、ぺこりと頭を下げた。
『及川君、ありがとうね。お兄ちゃんを頼ってくれて』
「お礼を言うのは僕の方だよ。五十嵐さんが佐倉さんを紹介してくれなかったら、僕もお母さんも、きっと何もできなかった。お兄さん、かっこよかったよ」
『ふふ。でしょ。両親の離婚で離ればなれになっちゃったけど、自慢のお兄ちゃんだったんだよ。
でも、私が死んでから、すごく悩んで。弁護士になって。でも、辛そうで。見てられなかった。
だから、及川君には感謝してる』
「お兄さんが、遺書のこと褒めてたよ。遺書という名の最高の証拠資料だって」
『ふふふ。こんな姿になっても褒められるって嬉しいもんなんだね』
そう言うと、五十嵐さんが光り出した。
彼女は目を糸みたいに細めて微笑むと、驚く僕たちに言った。
『私ね、成仏するみたい』
「えっ!」
『本当の未練は、遺書じゃなくてお兄ちゃんのことだったのかもしれない』
急な出来事に、呆然とする僕と田丸君の前で、五十嵐さんの光がどんどん強くなる。
そして、
『及川君、田丸君、今までありがとう! 及川君、がんばってね!』
という声を残し、五十嵐さんの姿が消え失せた。
同時に光も消え、周囲が急に暗くなる。
そして、そこから何秒も経たないうちに、今度は田丸君が薄っすら光り始めた。
目を見張る僕に、田丸君が悲しそうに言った。
『……どうやら拙者も成仏するようでござる。及川殿の逆転劇を見ていて、気が済んだみたいでござる。拙者の未練は、ざまぁ、だったのかもしれませんな』
僕は顔を歪めた。
やっと出来た話の合う同年代の友達なのに、ここでお別れなんて。
僕は叫んだ。
「本当にありがとう! 田丸君がスマホ撮影してくれなかったら、証拠が全然足りないところだった」
『ははは。最後に役に立てて何よりでござる』
「なにか、なにか僕に出来ることない? お母さんに連絡取ろうか?」
田丸君は笑って首を横に振った。
『親には穏やかに過ごしていって欲しいと思っているでござるよ。もう悩ませないように、謎の死のままで終わるでござる。――――ただ、もしも1つ頼まれてくれるなら……』
口早に頼みごとをする田丸君。
ノートを取り出して、必死にメモをとる僕。
そして、もうほとんど見えなくなった田丸君が、僕を見て微笑んだ。
『さらばでござる! 我が心友! 最後に会えて嬉しかったでござる!』
僕は夢中になって叫んだ。
「会えて良かったよ! ありがとう! 楽しかった!」
田丸君を包む光はどんどん明るさを増していきーーー
気が付くと、僕は1人、涙を流しながら屋上に立ち尽くしていた。
* * *
それから半年経ち。
僕は新しい学校で毎日楽しく過ごしている。
この学校にはアニメ研究部という部があり、そこに入ることで同じ趣味の仲間も出来た。
クラスでもぎこちないながらも普通にやれていると思う。
裁判については、証拠が揃っているので、負けようがないと佐倉さんが言ってくれたお陰で、あまり気にせずに生活している。
ただ、どこから漏れたのか、マスコミがこの裁判のことを取り上げたお陰で、4人とその家族は街に居られなくなり、バラバラに引っ越していったらしい。
これについて、特に感情は湧かない。
それよりも、あんなことは早く忘れて前を向きたいと思っている。
お母さんとはよく話すようになり、僕も出来る家事を手伝うようになった。
色々辛かったけど、いい方向に向いて来ていると思う。
――――そして、色々落ち着いた、ある日曜日。
僕はパソコンを起動すると、とある小説投稿サイトを開いた。
メモを見ながらログインすると、” 正義の丸太 “ のページが開く。
田丸君のページだ。
投稿作品は全部で3つあり、2つが完結済みで、1つが連載中。
連載中の作品の最終更新日は6年前だ。
ブックマーク数を見ると、24。
6年経った今も、待っていてくれているかもしれない人達がいることに、胸が熱くなる。
僕はメモを取り出すと、田丸君から託された最終話を打ち込み始めた。
なるべく田丸君っぽく、丁寧に書く。
書き上がった文章の後書きに、「これにて完結! ありがとうございました!」と、入力すると、物語設定を 【 完結済み 】 にして保存。
そして、息を、フウッ、と吐くと、涙でぼやけた画面を見ながら、僕は小さく呟いた。
完結させたよ。田丸君。
本当に、お疲れさまでした。