~人憑きの獣~
大きな錫杖を背負い困っている江戸の人々を嫌々助けているように見えるが本当は心優しい僧侶?
廻船問屋の頼りない若旦那と共に色々な人と触れ合いそして現代で・・・
『で、なんだお前は。』
静かな部屋に響く通る綺麗な声。
目の前には黒く長い地面まで伸びた髪。
鬼のような深紅の瞳。
黒い短い羽織に赤い手ぬぐい。
背中には自分の丈よりも長い金色の錫杖を背負っている。
『あ、いや。・・その、、お前こそ、誰だい?』
勇気を振り絞り廻船問屋の若旦那である【中村伊織】は目の前の人物に問うてみる。
『それはこっちが聞いてるんだ。お前から答えるのが道理だろ。』
『はっ?!いや・・その、あたしは、中村伊織と言って』
『中村いろりだな。最初からそう答えればいいんだ。』
『ちょっっ!!あたしは、い・お・りだよ!いろりじゃないよ!?』
『ふん。』
目の前の綺麗な顔の男は鼻で笑い部屋の中を見回す。
『ところでだ、お前は一体誰なんだい?こっちが答えたんだからそっちも答えてもらうよ?』
『・・・答える義理はない』
『ちょっっ!なんて失礼な男だろうね、大体どっから入ってきたんだい!?ここは廻船問屋の・・』
『おい、ところで私はなんでこんな薄汚い所にいるんだ?』
『うっっ薄ぎたな・・失礼を通り越してお前は礼儀も品ない男だね!』
『・・・あっちの部屋に。』
男が指さした方は伊織の父親である源次郎が寝ている。
『あ。あぁ、あの部屋がどうかしたのかい。なんでもないよ、ほっといてくれ』
その部屋に寝ている源次郎はここ1年ずっと寝たきりの状態が続いている。
最初は体のだるさから始まり徐々に体の自由を奪われるようになり終いには寝付いてしまった。
医者に見せてもどの医者もお手上げ状態だった。
源次郎はこのまま死ぬのを待つだけだと周りからも言われている。
だが、実の息子の伊織だけはその現実を受け入れられず様々な手を尽くしていた。
祈祷師、お百度参り、他にもいろんな事をしてみたが結果はでず今に至る。
伊織は藁にも縋る思いで未来や過去から徳の高い僧侶を呼び父親を助けてくれないかと自室でお祈りをしていたのだ。
祈りをささげる事半刻後、、目の前の男が掛け軸から現れたのだった。
(こんな事・・・それにこの珍妙な恰好な男が徳の高い僧侶だとでも言うのかい)
伊織は訝しげに謎の男を見る。
(だけど、この男。背中にはやたら大きな錫杖を背負っているな)
伊織の目の前の男は自分の丈より少し大きめの錫杖を背負いこの江戸時代には見ない恰好をしている。
現代でいう、黒のライダースジャケットに赤いマフラーを巻いて白いパンツにロングブーツを履いている。江戸の人々にとったらチンドン屋だ。
伊織が様々な事を考えていると男が障子を開け父の寝ている部屋に向かっていく。
『ちょっっちょっと!何をしているんだい!そこには父が寝ているんだよ!やめてくれ!』
男が父が寝ている部屋の障子を開ける。
部屋には行燈の光に照らされた父が静かに寝息をたてている。
(あれ?行燈は消したと思ったんだけどな・・・)
伊織は父が寝ているのを確認し行燈の火を消して自室で祈祷していたので覚えている。
『こいつはお前の父親か?』
『こいつってね、言い方があるだろう!?あぁそうだよ、あたしの父親だよ。もう一年もずーっと寝たきりなんだよ。だからあたしは自室で祈っていたらお前が現れたんじゃないか!』
『デカい声だな。もう少し配慮したらどうなんだ、お前の父親だろう。』
カチンときて伊織は男を部屋から追い出そうとした時、行燈の火が大きく揺れる。
『えっ?なんだい、風も吹いていないのに・・・』
『・・・・。』
男は背中に背負っている錫杖を手に取り遊環を鳴らすと高い金属音が響く。
『は!?いや、今お前が静かにと・・・・』
部屋の明かりが大きく揺れ父の寝ている壁に大きな獣の影が見える。
大きな耳に太く長い尾が黒く壁一面に映し出される。伊織は大きな悲鳴をあげてしまった。
『うるさい男だな、さっきから。』
『いっっいやいやっ!どうしてお前はそんなに落ち着いていられるんだい!?こんな影絵見たことないよ!?』
男が更に錫杖の遊環を2~3回ならすと低い唸り声と共に真っ黒い狐のような獣が姿を現した。
全長六尺ほどある大きな獣である。伊織は夢でも見ているのかと思い拳固で右頬を叩いてみるが痛すぎた。
『・・・なんだ急に、マゾヒストってやつか?お前。』
『えっ・・?マゾ・・なんだって?』
『いやなんでもない。ここではそんな言葉通じなそうだからな。まぁいい。お前の親父さん寝たきりでなくしてやるよ。』
『はっ!?ほっ本当かい!?・・・じゃあお前は本当に徳の高い・・』
『徳が高いかはさておき、私は一応、、、そうだな。霊媒師のような、者だ。』
そういうと男は錫杖を手に黒い獣に向かっていく。
『お前下級ではあるけど人憑きだな。ここで消えてもらうぞ』
『ギャアアアァアアッッッ!!!!』
黒い獣は男に向かって突進するが男はなんなくそれを避ける。
錫杖で黒い獣の前足にを振り払うと体勢が大きく傾く、獣は長い尾で男を振り払おうとしたがなんなく捕まえられてしまう。
『大人しくしろ。』
そう言うと男は獣の尻尾を勢いよく引っ張り引きちぎる。裂かれた部分からは血ではなく真っ黒い墨のようなものが噴き出る。
『ギャアアアァアア!!!』
黒い獣が悲鳴と共にのたうち回る。
男は冷静に錫杖を獣の心の臓めがけ一突きに刺す。
大きな悲鳴をあげ黒い獣は墨のように消えていく。
伊織は二十三年生きてきてこんな光景を見るのは初めてだった。きっとこの広い江戸の中でもこの様な経験をしたものはいないだろう。
『・・・。おい。いろり、これでお前の父親は助かったぞ。』
『ちょっと!いろりじゃくていお・・』
伊織と言おうとしたが恐怖と安堵が一気にのしかかり伊織はその場に座り込んでしまう。
『ふん。腰抜けめ』
『腰抜けで悪かったね。どうせあたしは腰抜けさ。・・・でも本当に父さんは助かったのかい?』
『しつこい奴だ。だったら今すぐに叩き起こしてみたらどうだ?』
『なんて野蛮な奴なんだ。聞いて呆れるよ。こんな病・・にん・・。』
『・・・・・ん。・・伊織かい?』
今まで1年間寝たきりだった父親が布団から身を起こした。しかと伊織と目が合う。
『・・・とっ父さん・・?』
伊織は急いで父親の背中に手をあて支えた。暖かくて血の通っている身体だ。以前は血の凍った生きているのに冷たい身体だったのが嘘のようだ。
『ちっちょっと誰か!!誰か来ておくれ!!父さんが、父さんが目を覚ましたよ!!』
屋敷の中では一斉に驚く声や慌ただしい足音が響き渡る。
伊織は男を涙を浮かべた目で見る。
『お前がやってくれたんだね?本当にありがとう。感謝してもしきれないくらいだ、この後お礼がしたいんだ、だからまだ帰らないでおくれ。』
『帰らないでおくれ、と言われても正直帰り方がわからないからな。呼びだしたお前がどうにかしてくれないと困る。』
『と、確かにそうだったね。あ、父さんこの男の人が父さんを助けてくれんだよ?詳しい事は後で説明するけどお礼を・・』
『・・そうだったのか、この男の方が・・。』
『あ、ひとついいか?』
男が伊織達の会話を遮る。
『ん?なんだい?何でも言っておくれ』
『私は男じゃなくて“女”だ。』
『・・・・・へ?』
『いやだから、私は“女”だ。』
『えええぇえぇぇぇ!!!???』
中村家の広い屋敷に響き渡る程大きな伊織の悲鳴に屋敷の者達全員がかけつけたのは僅か数秒後だった。
中村伊織と知り合ったが現代へ戻れる術を知っているのか、、、疑問に思う。