本の家 08
本。それは人類の英知の結晶にして、長く親しまれている記録媒体。文字によって紡がれる言葉はその時代の歴史、学問、物語、土地の記録から人々の流行り廃り、果ては書かれている文字自体ですら情報となって保存されている。
そして多くの場合、古くから慕われている本には確かな裏付けがある。
どういうことかと言われれば、その本に読む価値がある証左ということだ。
「うん。好き。」
俺は夫人に向かって力ずよく頷いた。
「うんうん。やっぱり二人は姉妹だねぇ。よし、おばあちゃんについてきなさい。」
「はいっ」
俺は夫人について部屋を出る。この部屋に通された時とは反対方向へと進み、二階への階段を上る。さらに廊下を奥へ進むと一つの扉の前に着いた。
「ここは?」
「ここかい?まあ入ってみなさい。」
夫人は答えを教える気がないようだ。俺は入ってみろという言葉に従って、3歳児の身長ではまだ少し高いところにあるノブをひねり、その扉を開けた。
「ッ」
そこに広がっていたのは大量の本。本。本。部屋のあちらからこちらまで所狭しと本棚が並んでいて、そこには広辞苑や六法全書に迫る厚さの本から内容は分からないがとにかく薄い本まで、多様な種類の本が置いてあった。
数年間まともな娯楽に触れず、毎日同じことばかり繰り返しす生活。前世で数多の娯楽に囲まれていた俺にとって、ここでの生活はだんだんと退屈になっていた。勿論、母さんに親父、それからルビア姉と暮らすのは楽しいが、それとこれとでは訳が違う。
とにかく俺はこれと言ってすることもない、代り映えしない日常に辟易していたのだ。だからそこは、まるで娯楽の宝物庫に見えた。
「どうだい。すごいだろう。」
「…っうん!すごいっ!これ全部おばあちゃんのなの!?」
言ってから、少し失礼だったかもしれないと思った。だが夫人はそんなことを気に留めた素振りも見せず、ただただ自慢げに「その通りだよ。」と答えた。
「ルビアとは仲良くしているかい?」
なんの脈略もなしに突然尋ねられる。
はて、なにか気になることでもあったのだろうか?今にも俺は飛び出しそうになっていたが、顎に手を当て上手を向いて考える。
俺と姉はいたって普通の姉妹。目立った喧嘩もしたことがないし、悪いうわさが立つようなこともないはずだ。
…あいや、確かに俺は異物かもしれませんねすみません。
「うん。なかよしだよ。」
「それは良かった。」
夫人は深く頷いた後、なぜか視線を鋭くした。
「昼間はいつもなにをしているんだい?」
「いつも?いつもは母さんのお手伝いしてる。」
「そうかそうか。それで?」
夫人は顔をズイっと寄せてきた。
「そ、それでえっと、たまに本を読んでます。」
「ほおぅ。一体どんな本を読んでいるんだい。」
「お、おおお姉ぇが家に持ってきた本です!」
夫人の目が光った!ピカって!まるで獲物を絶対に逃がさない猛禽類の目っ!
「先週ルビアが持ち帰った本の中に、他より大きい本があったと思うんだけどねぇ、それも読んだのかい?」
「は、はい!読みましたぁ!」
ヤバい、なんか面接でも受けてる気分になってきた。
俺の意思とは関係なく背筋が伸びていき、返答はわかりやすく簡潔に。反射的になるべく賢く見せようという心理が働いて、子供っぽさはなくなり、言葉は形式ばっていく。
「ルビアが持って行った本ねぇ。実はアレ、あんたのお姉ちゃんがここから借りていったものなんだよ。」
えっそうなのですかぁ!
あーでも言われてみれば、この村で本のある家なんてここしか無さそうなものだけど!
それで、なにか本に問題でもあったのか?あれか?もしかして姉の野郎ジュースでも溢して、その罪を擦り付けるために、わざわざ俺を連れてきたのか!?
クソっ汚いぜ。
「そ、そうだったのですね。いや、読み切るのに苦労しましたが、たいへん興味深かったです。」
「おおそうかいそうかい。嬉しいこと言ってくれるじゃないか。」
そこまで言うと、夫人は顔を引いて元の柔和な笑みに戻った。なんだったんだ一体。
「さあ、ここにはあんたの好きな本がいっぱいあるよ。なんでも読んでいいからね。それから分からない文字があったらおばあちゃんをよびな。」
夫人はそれだけ言い残して部屋を出て行った。
俺はそれを見送ると、とりあえず片っ端から見て回ることにした。すると、すぐに面白そうな本を見つけた。
それは題名からして教科書のようだが、これまでに、これほどまでに興味の惹かれる教科書があっただろうか?
【初級基礎魔術教本】
俺はなんの躊躇いもなくその本を開いた。瞬間目に入るのは文字、文字、文字の山。気後れしそうになった心を奮い立たせてその本の解読を開始する。
「えーなになに、この世界には魔素という物質が存在し、魔術とはこの魔素を使って引き起こす現象のことである。と。」
なるほど、この最初の方のページには大前提となる知識がまとめて書かれているらしい。しかもその内容は前世の知識と似たり寄ったり。
これもしかして読まなくてもいいのでは?そんな考えが頭を過るが、こういうところで見落としがあると後々取り返しのつかないことになりかねない。だから流し読みでもよむことが大切だ。
知ってることを永遠と読んでいくのは退屈だが、ここにきて前世で培った説明書や規約を読む力が生かされた。
まさかの活躍に少し嬉しくなりつつ、やっとのことで全文を読み終えたタイミングで姉が俺を迎えに来た。
「ルエラー、そろそろお昼ごはんの時間だから帰るよ!」
「はーい。」
ちょうど切りはいいが、今からが本番なんだよなあ。
名残惜しそうに魔術教本を見ていると、姉の後ろから夫人がやってきた。
「ふじ…おばあちゃん!この本借りてもいい?」
「ああ。もちろ…。」
夫人は許可を出そうとしたっぽいが、俺が手にしている本を見つけるとその顔に僅かばかり驚きの色を滲ませた。
「その本、どこまで読んだんだい?」
「最初の方だけ。」
「そうかい。ちょっとこっち来な。」
夫人はその目を先ほど詰問してきた時のように光らせると、ちょいちょいと手招きした。
…魔術教本って読んだらダメな本だったのだろうか?いや、それならこんなところに置いといた方が悪い!好きなの読んだらええって言ってたもん!俺は悪くないぞッ。
そう自分を奮い立たせた俺は、小刻みに震えながら夫人のもとにむかう。
「ルエラ。あんたはああしが、そしてエスティアやレイル坊が思っていたよりもずっと聡明なようだねぇ。」
「えっ?」
「実はね、2年くらい前からエスティアに相談を受けてたんだよ。あんまりにもルエラが子供らしい元気さがないから、もしかしたらおかしな病気なんじゃないかってねぇ。」
2年前……俺がこの世界に来た頃……。
「それで、いろいろ考えたんだけど原因はわからなくてねぇ。一先ず、普段の生活に問題がないから様子をみようってなったのさ。」
そんなことがあったなんて全く知らなかった。
「あの時のエスティアはかなり驚いていたねぇ。なにせ、この村のモルガンと呼ばれるああしが分からないと言ったんだ。」
「モルガン?」
「そうだよ。【知恵の神・モルガン】。ちょうどこの村の教会でもモルガン様を祀ってるからねぇ、ルエラも聞いたことはあるだろう。昔から特に知識のある人のことを、モルガン様にあやかってモルガンと呼ぶんだよ。」
「そうなんだ。」
夫人は真っ直ぐに俺の目を見据えたまま言葉を続ける。
「やっぱりお前は賢い子だ。3歳で今の話を理解できる子なんてそういない。」
そんなに何度も賢いと言われると、本当に天才になった気分だ。だが実際は違う。俺が賢いと言われる理由は、俺が前世の記憶を持っているからに過ぎない。
「お前は言葉を話し始めるのは他とそう変わらなかったが、言葉を文とするまでが異様に早かった。だがそれも今なら分かる。お前が聡明だったからだ。そう分かってからは全てに合点がいったねぇ。あの時子供っぽくないと相談された時は本気で頭を抱えたが、今となっちゃあの時間を返して欲しいよ。」
夫人はそこまで言うと、ひと仕事終えたあとのように大きく息を吐き、再び力強い目線を向けてきた。
「毎日に、退屈してないかい?」
「……」
俺はそれに、答えることができなかった。
俺は決して夫人から目を逸らさなかった。だが、隣から感じる気配が、俺がそれに答えることを躊躇わせた。
姉はまだ7歳。前世の小学1年生に当たる歳で先の会話を完璧に理解できるのかと言われれば、答えはNOだろう。
しかし、姉がこちらを見る気配には確かな理解が伴っていた。あぁ、きっと彼女の方こそが聡明と呼ばれるに相応しいのに。
だから返答次第では。きっと。
その可能性を捨てきれなかった俺は、他に何を言うでもなくただ無言を貫き通した。
10秒くらいだったか、もしくは1分近く続いたかもしれない無言は夫人によって破られた。
まるで何かを悟ったかのようにフッと笑った夫人は「まぁ、いい。」と告げると、ハッキリとした声でこう言った。
「その本はもともと、師が弟子に教える時の補助の為に作られたもの。1人じゃまともに分からないよ。」
俺は本をまじまじと見つめ、ではどうしたらいいのかと夫人に聞こうとした。
だが、既に答えはあったようだ。夫人は片方の腕を腰に当てて、もう一方の手で自らを指さした。
「だから明日から毎日ここに来な。ああしが教えてやるさ、魔法ってのをねぇ!」
この日から、俺には魔法の師匠ができた。
今年も残すところあと3日。大掃除は終わってますか?まだならパパっと終わらせて、ぜひスッキリした部屋で新年を迎えてくださいね。
次の投稿は大晦日です!