逃亡者
奴隷の2人を治してから、窓から部屋に戻ると、テレッサが、ハラハラした顔で待っていた。
帰ったソフィアナに、テレッサは、駆け寄り、小声で囁いた。
「ハンス様が、扉の前でお待ちです。どうやら先ほどの奴隷件で泣いている、ソフィアナ様を慰めにみえたようです。今は泣き過ぎて、トイレで吐いている事になってます。すみません…」
『トイレで吐いて…。いくらなんでも、令嬢らしからぬ行動…ま、だから、部屋に入られなくて済んでるんだろけど…』
「わかったわ。」
ソフィアナは、幻影魔法で、目を赤く腫らし今まで泣いていましたという、顔にした。
ハンカチで、口元を覆い、兄ハンスの待つ扉の方へ向かった。
扉を開けると、
「ソフィ、大丈夫かい。すごい鳴咽音が聞こえていたから、ハラハラしてしまったよ…」
と抱きつかれた。
『鳴咽音⁈』テレッサをみると、スッと目をそらされた。
『どうやらごまかす為に、テレッサが、吐いた真似をずっとしていたみたいだ。…令嬢の…私の羞恥心…』
「ハンスお兄様、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。彼らに痛い思いをさせてしまった分、大事にしてあげようと思います。」
と、微笑めば、
「なんて、優しいんだ、僕の可愛い妹は、今日も天使だね。」
父譲りの甘いマスクで、激甘なセリフを吐く激甘兄。
ソフィアナには、2人の兄がいた。
長男の火属性をもつハンス兄と、次男の木属性を持つ、グロスター兄だ。14も離れたハンス兄は、小さな妹が可愛くて仕方がなかった。現在19歳の兄は、剣の達人で、第1王子の近衛騎士だ。
甘いルックスに近衛騎士、公爵家の跡取りだ、モテないわけがないが、妹が、可愛いすぎで、妹より可愛い女性じゃないと、結婚しないと、縁談を断り続けている、変態シスコンであることをソフィアナは、まだ知らない…。
「お兄様、それはそうと、お仕事だったのでは、ありませんか?」
今はいつもの帰る時間より、だいぶ早い時間である。
「今日は、たまたま第1王子が熱を出されてね。寝込んでみえるから、どこかに行かれる事もない。部屋前の近衛以外は、王子が回復するまで、交代で臨時休暇となったんだ。」
「それで、お早いお帰りなんですか?」
「ああ。だから久しぶりにソフィと遊んであげられる」と、高い高いするように持ち上げられた。
『中身29歳、高い高いは、あまり嬉しくありませ…
いや、イケメンの高い高いは、なかなかいいかも…』
「おっお兄様、恥ずかしいです。」
「ああ。ごめんね。ソフィも、もうすぐ6歳だ、立派なレディだった。ついね。」
「今日は、何をして遊ぶ?」
「では、剣術を教えて下さい。」
「ソフィ…⁈」
「私考えたのです。
お父様が、私に護衛を付けようとなさったという事は、今後、護衛が居る必要がでてくるのだと、そうなると、守られる私も、護身術なり、逃げる術なりを心得ていた方が、護衛も守りやすいのではないかと…」
上目遣いで、兄を見上げるソフィアナ。
「本当に、ソフィは賢い子だね。
そうだね。騎士として護衛している、僕から言わせてもらえば、守られる者が、守られ方を知っているか、知らないかで、こちらの負担は、だいぶ違う。
ただね。君は女の子だ。レディは、騎士に守られて居ればいいんだ。守られ方なんて、考えなくても、僕がきっちり守ってあげるから」
激甘スマイルでハンスは、ソフィアナを抱きしめた。
「ですが、お兄様が、ずっといるとは限りません。そんな時のために…ね…。ほらお兄様」
必殺、お願いポーズは、兄にも通用する。
「僕としては、ソフィにそんな、男っぽい事、教えたくないんだが、まあ、身の安全は大事だな。それに、君の頼みなら仕方ない。」
職場では、冷血鬼騎士と呼ばれるほど強く、負け知らず、クールで、笑顔ひとつなく、人情では、動かないハンスなのだが…。
ソフィには、めっぽう弱かった…。
ハンスとは、今日は、夕食後に、少しだけ基礎を教わる約束をした。
着替えと、持ち帰ってきた書類整理に自室へ帰って行くハンスを見送り、ソフィアナはため息をついた。
「ね〜テリー。最近ハンスお兄様、甘やかしが、さらに、加速した気がするのは、気のせいかしら⁈」
「気のせいでは、無いと思います。」
その夜、ハンスとソフィアナが、基礎の練習をしているところに、ジョセフが、グッタリと倒れた奴隷の1人の服を掴み引きずりながら、入って来た。
「ジョセフ⁈それは⁈」
「この者が逃亡を計りましたため、叩きのめしましてございます。」
みれば、あちらこちらに、青アザができている。
先程、治癒魔法を施しているから、そのあとにできた傷という事になる。
「まず、ジョセフ、離してあげて。」
その言葉に、ジョセフは、奴隷を床に投げつけるように離した。
「なぜ逃げたの?」
ソフィアナは、困惑しながら聞いた。
『私だけに言ってくれたら、上手く逃してあげたのに』
「……ま…せん。」
「え⁈」
「オレ、逃げてません。」
奴隷の少年は、小さな声で呟いた。
「門から出ようとしていたところを衛兵に抑えられています。」
ジョセフが、表情を変えずに話す。
「ちっちがう。確かに出ようとしたけど、逃げようなんて思ってない。本当だ…」
少年は、ばっと顔あげ、訴えたが、外に行こうとした事は、本当らしく俯きながら、逃亡は、否定した。
ジョセフに、ふん、と、鼻であしらわれる。
「ジョセフ、今回は、許してあげてくれないかしら、きっと、胸の傷が痛くて、冷静でいられなかったのよ。今回だけ。私が、何がダメとかきちんと教えてるから、お願い、許してあげて…」
「こやつの主人は、ソフィアナ様で、ございます。
ゆえに、今回も勝手に処罰せず、こちらにつれてまいりました。
ソフィアナ様が、お怒りになれば、奴隷は、胸の傷に締め付けられます。長期に締め付けられれば、死亡いたします。
今回逃亡を報告致しましたが、ソフィアナ様は、お怒りではない様子。それは、こやつが苦しんでいない事が、証拠でございます。主人の許している事を、私が、処罰はできません。
これにて、失礼させていただきます。旦那様へのご報告もございますので…」
と、ジョセフは、その場を後にした。
『うん⁈ジョセフ、今なんか怖い事言わなかった?』
「お兄様。私が怒ると、彼は苦しむのですか?」
「ああ。奴隷契約とは、そう言うものだ。だから、奴隷は、主人には逆らえないのだよ。」
『⁈なんてこと…酷い世界…』
「ソフィは優しいから、そんな事聞いて、心が痛んだのかな?大丈夫だよ。君が怒らなければ、彼らは、苦しみはしないんだから。」
優しい笑顔で、頭を撫でられた。
「ところで、君がソフィの奴隷かい?僕は、ハンス。ソフィの兄だよ。魔力持ちらしいね…きみの名前は⁈」
「ハスともうします。」
「ハス、属性は?」
「土でございます。」
「へー珍しいね。どれくらい使えるんだい?」
「軽い鑑定と、簡単な錬金術を少しです。」
「土属性の者は、防御にも優れているはずなんだが…ジョセフにこっぴどくやられたね…。
もしくは、防御に使う魔力をどこか違うところに使っていたか…」
ハンス兄の言葉を聞き、ハスの顔色が、青く変わっていった。
「ソフィが、優しいからって、あまりナメるなよ。奴隷契約なんかなくても、貴様ごとき私が切り捨てやる」
「あの、おっお兄様。そんな怖い顔なさらずに…。きっと何か事情があったのでしょう。今日は、これくらいで…」
『もしかして、私が、傷治しちゃたから、動けるようになって、逃げようとか思ってしまったかな?
とりあえず、お兄様に、力の事バレるわけにはいかないし…』
「もっ申し訳ござ…」
『やばいわ。何を言うつもり…』
ソフィアナは、咄嗟に、
「お兄様。今日は、ありがとうございました。また、教えて下さいませね。疲れたので、お部屋に帰らせていただきます。ハス、先に部屋へ行って、テレッサに、入浴準備をするよう言伝て…」
「え?あ、はい。すぐに…」
ハスはすぐに、部屋から出て行った。
「お兄様。是非また、約束ですよ?」
ソフィアナは、小首を傾げて兄を見上げた。
「ああ、約束だ。明日も休みだから、書類仕事が済んだら、また教えよう。」
「まあ。ありがとうございます。お兄様大好き。
おやすみなさい。」
ソフィアナは、兄に抱きつき、頬におやすみのキスを贈る。
その夜、ソフィアナに大好きと言われて、おやすみのキスをしてもらえたハンスは、近衛騎士の同僚が見たら、医者を呼ぼうとする程、この上なく上機嫌であった…。