翔英2
レイアウト変更機能を見つけたので変えてみました。いかがでしょうか?
――ジリリリリリリリリリリリリリ
ハッとして足が止まる。静かな暗闇で一人きりになった事で思考の海に沈んでいたらしい。
突然の非常ベルに驚いたが、別の事を考えていたお陰か冷静でいられている。
――非常ベル、か。俺たちが肝試しに入ったタイミングでちょうど火事になった? それは考えにくくね? 火元になるような物は誰も持って入ってないし。けど他の異常はあるかもな。それかあいつらの内の誰かがミスって非常ボタン押してたりしてな。まさかまた怪奇現象って事はないよな。
つらつらと原因を考えていたが、そんな知りようもない事よりどうするかを考える方が大切だと思い至った。これがコニならきっと、原因など二の次で即座にどう行動するか決めるに違いない。
「まずは避難か」
わざと口に出して自己嫌悪を振り払い、来た道を戻るべく踵を返した。自分が辿った道筋はちゃんと覚えている。だから、
「すぐ出れるだろ」
俺の声は警告音の荒波に揉まれて消えていったが、それでも構わなかった。
――他の四人はどうするだろう。……たぶんコニとみっかは先に避難してるだろうから、外で合流して真凛とカズを待つ事になるよな。二人がなかなか出てこなければ、その時に探すなり何なり考えればいいか。
病院から脱出した後の算段をつけていると、廊下の先に違和感を覚えてスマホを前方に掲げた。
「は?」
廊下が壁で塞がっている? 俺は、ここを通って来たはずなのに。
呆然と壁を見詰めている内に、唐突に非常ベルが止まった。無意識に周囲を見回したが何か見つかるはずもなく、さっきまでとは打って変わった周囲の静寂に気付くばかり。急速に頭が冷えてきて、自分が非常に動揺していた事を知った。
とにかく退路の確保だ、と突如出現した壁へと近付いて調べる。壁は表面が滑らかな光沢のある金属製で、隅の方には特徴的な取っ手の付いた扉。
「なんだ、防火扉かよ」
乾いた笑いが込み上げる。考えてみれば当たり前の事だったのに、状況のせいで思いっきり狼狽えてしまった。
こんな所あいつらに見られなくて良かった。特に真凛は俺に幻想を抱いているようなので、こんな情けない姿を見られたら幻滅されていたかもしれない。幻滅されなかったら付き合うのかと言われたら、答えられないが……。俺はカズに喧嘩を売る気は、ない。
思考が逸れた、と苦笑いながら防火扉の取っ手を掴む。こんな場所で一人きりだと色々と余計な事を考えてしまうようだ。
押し開こうとして、扉が開かない事に困惑した。ガチャガチャと揺さぶるが、開きそうな気配がない。
――まさか、さっき半端に非常ベルが止まったせいでロックがかかった!?
メンテナンスもされずにずっと放置されていた建物だ。非常装置の一部が故障しているなんて事もあるかもしれない。
この廊下はいくつも病室はあるものの一本道で、俺が引き返した場所より奥は未知の領域だ。スムーズに病院から出られると高を括っていたのに、予想外に事態が悪くなってしまった。
四人にすぐに合流出来そうもないと連絡を、と明かりとして利用していたスマホを覗き込む。画面に廊下がホラーさながらに映っているのを見て一瞬ギクッとしたが、そういえばライトのみの点灯の仕方を咄嗟に思い出せなくてカメラのフラッシュ機能を使っていたのだったか。
一度カメラをバックグラウンドに追いやってメッセージアプリをタップする。
「圏外……? おかしくね?」
一気に全身を嫌な予感が駆け巡り、首の後ろがぞわりとする。バラバラに行動している事、非常ベル、圏外。積み重なって嫌な感じがする。早いところこの病院から立ち去った方が良さそうだ。
画面をカメラに戻して足早にさっき戻ってきた道をもう一度辿る。非常ベルが鳴り響いた時点で連絡する事を思い付かなかった事に対する自己嫌悪には、気付かないふりをして。
俺が引き返した地点を通り過ぎてしばらく進むとT字路に出た。T字の横棒に当たる壁はしかし、元々壁ではなかったらしい。階段のピクトグラムの横にそこだけ他より光沢のある壁、そして隅には扉。防火扉だ。
出来ればここで一階まで下りておきたい、と体重をかけて押した隅の扉は今度はすんなりと開き、その奥に隠されていた階段を目にすることができた。思ったよりは早く出口まで辿り着けそうだと多少安堵しながら扉を潜って階段を下りる。
不意に、気に入っているアッシュグレーの髪が風に揺られて立ち止まった。室内のはずなのに、と視線を向けた先の踊り場には開いた窓。いや、そこだけ窓が無い?
疑問に思って窓の下をスマホで照らしてみたが、鬱蒼と植物が繁っている事しか分からない。
ただ、外の景色が見られて少し気分が解れた。この病院に入ってからそう長い時間は経っていないのに、窓も無い――あっても板張りされている――閉鎖空間に居たからか何だか久しぶりのように感じてしまった。まあ、よく見たら中庭のようだしいまいち外とは言えないかもしれないが。
満月の輝く中庭を眺めていると、生温い風が頬を撫でる。ねっとりとまとわりつかれる感覚を嫌って頭を踊り場に引っ込めた。
階段を二階まで下りた所で、カズが持っていた懐中電灯が落ちているのを発見した。拾い上げると中から電池がこぼれ落ちる。レンズも割れていてもう使えないことは明らかだった。よく見れば今しがた下りてきた階段の所々に破片が落ちており、階段の上から落として壊れてそのまま、という風情である。
カズがここを通ったのは間違いなさそうだ。ということは真凛も。だけど、何故壊れた懐中電灯が放置されているのだろう? カズは壊れたからと廃墟にゴミをほったらかしにするクズじゃない。それどころじゃなかった、と考えるのが妥当な所か。何かあったのか、それとも真凛がまたパニックにでもなって追うのに必死だっただけか。
ため息を吐いた。また考えても分からないことを考えている。
二人の事は気になる所だが、今は俺自身の避難を優先すべきだと先を急ぐことにする。壊れた懐中電灯はどうするか一瞬迷った後、壁際に寄せて置いた。非常事態だと言える今は余計な荷物は増やしたくない。
一階まで下りて恐る恐る防火扉を押したが、ここも問題なく開いてくれて心底ほっとした。
三階で辿った道筋を戻るように廊下を選んで進む。階によってそう大きく構造が違わないだろうという憶測による選択だった。
もう一度防火扉を潜って少し歩いた所で、廊下に面した扉が一か所だけ開いているのが目に入った。これまで目にした扉は全て閉まっていたのにこの扉は全開。これは人が通った痕跡じゃないだろうか?
足を止めて扉周辺の壁を照らして情報を探ってみると、掠れて読みにくくなっているもののそこには『皮膚科』と『診察室』の文字。確か待合ロビーで見つけたフロア案内図には、皮膚科は割と正面出入口の近くにあるように描かれていた。ならば、廊下を塞がれて思うように進めない現状ではそれに苛立って部屋の中を突っ切ろうと考えてもおかしくない。
この先にきっと真凛とカズがいる。こうなると出口への道を探すにしても二人の後を追う方がいいだろう。
――物が多い。
それが診察室の第一印象だった。当たり前だけど廊下よりも物が多くて足が鈍る。倒れた丸椅子を跨いで奥へと通じてそうなカーテンを潜った。
恐らく職員が他の診察室と行き来するためだと思われるスペースに出ると、より足を取られる事になった。書類や小物の類が大量に床に散らばっていたのだ。落ちた透明なプラスチック製の引き出しを避けると、プレハブに設置されるような薄っぺらい扉の前へと何とか辿り着いた。慎重にノブを回す。
キィ、と小さく音を立てて開いた扉は予想以上に軽く、意図したよりも簡単に開いて若干ヒヤリとする。と、開いた勢いに乗った臭いが鼻を掠めた。
――生臭い。なんだ? 嗅いだ事あるような――。
漂ってくる湿度を持った絡み付くような臭いに、中に入るのを躊躇する。部屋はL字型なのか奥の様子は扉からでは見通せない。だが、ここで引き返しても仕方ない、とも思う。迷った末、すぐに出られるように扉を開けたまま中に入る事にした。
息を殺し、足音を立てないよう中腰でゆっくりと歩を進める。前方を満遍なく気にしすぎて、足でコツッと何かに当たった時は心臓が飛び出るかと思った。思わず当たった物を照らすと、それは白ベースの女物のスニーカーだった。
――これ真凛が履いてたやつじゃね?
普段はヒールのあるサンダルやパンプスが多い真凛が今日は珍しいな、と彼女の足下を眺めていたのを思い出す。何かの拍子に靴が脱げたのだとしても、落としたままにするだろうか? 何かあったのだとしか思えず、背筋がぶるりと震える。
友達としては拾って行くのが正解だろう。だけど今は素直にそうする気にはなれなかった。部屋の奥まで確認して問題なさそうなら戻って拾おう、と決めて角を目指す。警戒心だけではなくなったせいで重くなった足を何とか動かした。
最初、それは破れた布かカーテンだと思った。だけどカーテンにしては白く、シーツにしては全体的に黄みがかっている。それに歪な布をピンと張るまで伸ばし、天井まで届きそうな板に貼り付ける目的が分からない。
しかし面積の広い真ん中辺りにシミを二つ見付けて、ソレが何なのか唐突に理解した。
「う゛、え゛っ」
口を抑えて懸命にせり上がってくる胃液を堪える。
――アレは、皮だ。人間の皮。
真ん中の二つのシミの回りは多少皮が余っている。それは、紛れもなく女の乳房だった。全体が歪な形だと思ったがそれも当然だ。長く伸びた四隅は手足に違いないのだから。
見たくないのに、目が離せない。今すぐ逃げ出したいのに視線はソレの表面をじっくりなぞっていく。そして、ある一点に釘付けになった。左胸の上に、目立つ黒子。
頭を殴られたかのような衝撃によろけ、何かに足を引っ掛けて縺れる。
――カシャッ ドッ
尻餅をついた状態で引っ掛かった物を緩慢に照らすと、それは真凛の靴のもう片方だった。何かに導かれるようにそのまま光を横へとずらしていく。そこには、彼女が着ていたタンクトップと、ジーパン。
「う、ああっ」
弾かれたように逃げ出した。開けっぱなしにしていた薄い扉から飛び出した途端、勢い良く転ぶ。俺に蹴飛ばされた透明な引き出しが転がりけたたましい音を立てた。
――っスマホが無い!? どこっあんな所に!
四つん這いのままバタバタと明かりを拾いに行く。
無様だろうがどうでもいい。何よりも早く、とにかく早くアレから遠ざかりたい一心だった。
――ペチャ ペタ
スマホを拾った瞬間背後からの音に気付いて固まる。後ろから、ナニか来ている。濡れた不規則な足音はもう、すぐそこに。
ゆっくりとスマホを背後へと向けた。
「ヒュッ」
「うわ、眩し! ん、あーっ翔くんじゃん! 音がしたから来てみて良かったー、誰にも会えなくて困ってたんよね!」
見上げた光景に息を飲む。照らし出された顔は間違いなく真凛だった。
「ね、ちょい困っててさー翔くんに助けて欲しいんだけど。全身痛いしちゃんと探せなくてさ」
呼吸が上手く出来ない。顔をしかめる彼女はいつも通りだ、顔は。
「ねーあたしの肌どっかで見てない?」
首から下の皮膚が、無い。白く艶かしい皮膚の代わりに赤と白のグロテスクな斑模様が彼女の全身を覆っていた。赤ピンクの筋肉に付着している白っぽい粒々は、脂肪だろうか。その上を薄く滲んだ血がぬらぬらと滴る。
真凛からはあの異臭が漂ってくる。彼女を見て、何の臭いかを思い出した。これは血と、生の肉の臭いだ。
荒い呼吸を繰り返すだけの俺を疑問に思ったのか、真凛の顔をしたバケモノはこてりと首を傾げて口を開いた。
「翔くん?」
「っわああああああ!!」
伸びてきた指先から逃れたくて恥も外聞もなく叫びながら後ずさる。書類に手足を滑らせ小物を弾き飛ばして立ち上がり、必死に逃げ出した。
「えっなんで逃げんのさー!? あたし痛くて死にそーなのにー! 翔くん一緒に探してよー!」
カーテンを弾いて診察室へと戻り、倒れた丸椅子に引っ掛かって再び転けた。が、即座に立ち上がって廊下に出る。
「しョーくんなんでぇ? ねぇタスけて、タすけテよォまッテニゲナイデ」
後ろから追い掛けてくる声を振り切って走る。
――嫌だ嫌だイヤだ、アレは真凛じゃない! あんな、あんなバケモノっ――。
防火扉で阻まれた廊下を見て、急遽角を曲がる。そこで目に付いた扉を開き、中へとまろびながら逃げ込んだ。
翔英の暴走に振り回される作者。増える文字数。
お前はなんでこっちが知らん事まで分かるんだよ!?