小西4/翔英1
「――コニ?」
聞き覚えのある声に、吹き抜けを見上げる。
「翔英……?」
「ああ、一緒に居るのはみっかか?」
「うん」
翔英が上の階に居るのは確かなのだが、その姿は確認出来ない。此処から丁度見えない位置に居るのかもしれない。
「なあ、ちょっと上がって来てくんね?」
「え?」
「頼むよ」
何時も自分にだけは微妙に悪意のある言動をする翔英が、下手に頼んできた事に違和感を覚えた。戸惑いが強く、言葉に詰まる。
そう言えば、階上に光源が全く見えない。もしや、翔英は明かりが無くなって自分に頼る程に本気で困っているのだろうか。
「小西くん、早く行こうよ。私もう大丈夫、だから」
美加に声を掛けられてハッとした。自分が無言で立ち尽くしていたのを彼女は自身のせいだと思ったようだ。
大丈夫だと美加は言うが、月光による見間違いでなければ彼女の顔色は頗る悪いように見える。ただ、気分がましになったのは本当なのか、先程まで半泣きで取り乱していたのがきちんと話が出来る程には落ち着いていた。
何より早く合流を果たしたいのだろう。自分を急かすような雰囲気を強く醸し出している。
「……近くに、上がれる所がある筈」
こくりと頷いた彼女を伴って吹き抜け全体を見渡せそうな場所へと移動した。その間、彼女は自分の服を摘ままなかった。
「小西くん、あれ見て。エスカレーターじゃない?」
懐中電灯で照らした場所の奥を美加が指差した。確かに、休憩所から階上まで斜めに黒い物で繋がっている。現代的で重量感のある自動階段は、稼働していた時はさぞかし患者達に重宝されたに違いない。
見付けたエスカレーターを、美加を先導しながら慎重に登る。動いていないそれは一般的な階段よりも段差が大きく、足が震えてしまっている美加は登るのに苦労していた。
彼女が転けないようにとゆっくり時間をかけて登りきると、エスカレーターの脇、吹き抜けの手摺辺りに人影があった。どうやら翔英が近くまで移動して来ていたらしい。呼び掛けると彼も口を開いた。
「翔英?」
「ああ、上がって来てくれて助かったよコニ。みっかも居るか?」
翔英の言葉が訝しい。自分に素直に感謝するなんて。それに美加は自分の真横に立っている。案の定明かりを持っていないようだが、彼を気遣って懐中電灯を自分の足元に向けているのでそれで彼女の存在は視認出来る筈だ。
「翔英くん、居るよ?」
美加も同じように思ったのか、彼女の答える声には疑問が乗っていた。
「良かった。二人に聞きたいことがあってさ――」
「――此方も。カズと真凛は?」
何故か咄嗟に翔英の言葉を遮ってしまった。いやしかし、大事な事だ。翔英は二人を迎えに行ったのに、見た所近くには居ないようなのだから。
「あー、カズは知らね。見てないわ。真凛ってバケモノからは逃げ切ってるから安心しろよ」
返ってきた答えの意味が分からなかった。いや、一樹の事は分かった。だが、真凛の方は何だって?
「え、ばけもの? 逃げき……?」
美加が翔英の言葉を噛み砕けず、困惑している。
自分も理解が追い付いていないが、一つだけはっきりと言える。翔英は自身が請け負った事を、それも友人を探す役割を買って出たのにこうやって軽く流すような責任感の無い人間ではない。明らかに何か変だ。
まさか別人かと、思わず彼の顔に懐中電灯を当てた。浮かび上がった顔は、翔英に間違いはない、が。
「目が……」
閉じた両目からは、涙のように血が伝った跡が残っている。その上眩しそうな素振りも見られない。
「そう、今見えなくてな。聞きたいことってのはそれなんだよ。さっき下から二人の声が聞こえて下を覗こうとしたら、せっかく死守した片方なのに落としちゃって。すぐ床を探し回ったけどこんな目じゃ見付かんなくてさ。二人とも見てね?」
急に捲し立てるように話し始めた翔英の勢いに一歩下がる。
「な、何? 落としたって何を?」
たじろぎながらも、美加は質問を返した。
答えを聞きたくない。彼女は翔英の異変に気付いていないのか? 整っている筈の顔立ちまで何処か変わっているような気がするのに――。
「――だから俺の眼だって」
翔英の、眼。女性に人気のある、日本人には珍しい淡い色の瞳を持つ、眼。その瞬間頭の中で何かが繋がった。
「――あ。さっき、僕が、踏み潰した……」
呆然と口に出してしまってから、慌てて手で口を塞いだが遅かった。
「踏み、潰した……? お前が、俺の眼を……?」
翔英の眉間に皺が寄る。
彼を注視しながら、無意識に息を潜めて数歩後ずさった。
「返せっ! 返せよこの野郎!!」
「グッ」
勢い良く掴みかかって来た翔英を避けられず踏鞴を踏む。そのまま首を絞められ、引き剥がそうと必死でもがいても緩まる様子はない。
「翔英くんっやめて! 小西くんが、おねがいやめてええ!!」
美加の悲痛な声が聞こえる。翔英を止めようとしてくれている。
一歩下がる。苦しい。開いた口からは何も音が出ない。憤怒の表情の翔英。
一歩下がる。苦しい。頚から何か音が聞こえる。前がよく見えない。
がくりと膝から力が抜けた途端、首の絞まりが緩んで一気に酸素が肺に回る。後ろ向きに倒れていく身体は受け身を取ろうと丸まる。覚悟した床との衝突の代わりに、浮遊感。
「小西くんっ!!」
目を瞑り身体を固く縮める。自分は転がり落ちている? 背中を打った。上下も分からないまま目の前のものを必死で手繰り寄せる。
大きな衝撃を最後に身体の回転が止まった。痛みで呼吸が浅い。酸素不足でクラクラする。
「小西くんっ」
金属の上を慌ただしく駆け下りる美加の高い靴音が聞こえる。
痛みを逃がそうと呼吸を繰り返しながら先程起こった事を思い返した。恐らく、自分はエスカレーターを転がり落ちたのだ。だとすれば、最悪死んでもおかしくなかった。今自分の下にあるものがクッションになってくれなければ危なかったかもしれない。
待て、この温かいモノが下敷きに?
慌てて固く閉じていた目を開けて身を起こす。身体中痛んだが構っていられない。自分の下にあるものを見下ろす。床に突いた掌がぬるりと滑った。
「二人ともっ大丈夫!?」
近くまで辿り着いた美加が、自分が何時の間にか手放していたらしい懐中電灯で自分達を照らした。
「しょう、えい?」
震える唇で何とか名前を呼ぶ。動揺を色濃く反映した声は、自分のものではないように聞こえた。
掌を滑らせた血は翔英から広がっている。至近距離で見る閉じられた瞼は落ち窪んでいて、やはり中身は無いのだと思わされた。
反応の無い翔英の容態を診るために一先ず離れようと手と膝を突く位置を変える。と、翔英の手が自分の前腕を掴んだ。
「っ翔英?」
「翔英くんっ」
再度顔を見ると、翔英の目がカッと見開かれた。
目が合った。
至近距離で覗き込んでしまった暗い眼窩には何も、無い。中にはただただ闇が詰まっていた。闇と目が合った。言葉が、出ない。
目の前の顔が、口をぽかりと開けた。
「コォニィ」
「ぅ、ゎ、ぁ」
咄嗟に跳ね起きて、引き寄せようとする手を振り払う。自分を掴んでいた翔英の手は、手首があらぬ方向を向いていた。
「ゴォオニ゛ィィイ゛」
「ひぇっ」
血が絡んだような地を這う声に、美加が持つ光が震えた。彼女は完全に竦んでいる。
「みっか!」
彼女の手から懐中電灯を奪い、強引に手首を掴む。身体の痛みも、美加の足が縺れるのも、後ろから自分を呼ぶ悍ましい声も全て無視して走り出した。
――― ―――
まずい。
足早に歩を進めるが、さっきから俺自身の足音しか聞こえない。
内心ではかなり焦りが募っているが、きっとそれは表には出ていないだろう。周りに誰も居なくとも余裕を顔に貼り付ける事が最早癖になっている。要するに見栄っ張りなのだ。
さすがに見栄ばかり気にするような男にはなりたくなくて直そうと努力はしているものの、プライドが邪魔をしていつも上手くいかない。
「カズっ! 真凛!! おーい、どこだ!!」
呼び掛けた廊下はしんと静まりかえり、俺への返事が返る事はない。
さっき前方から男女の叫ぶような声と物音が聞こえたのを最後に、二人の痕跡は消えてしまった。
「はああぁー」
この状況は俺が無駄な見栄を張った結果の失敗だ。ため息と共に乾いた笑いが漏れる。見栄を張った相手――コニ――は俺の見栄など、露程も気付いていないだろうに。
真凛の様子がおかしくなった時、彼女の様子の異様さに普段のコニへの対抗心を忘れてあいつに判断を仰いだ。コニよりもカズや真凛の近くに居たのだから、そんな事してる間に俺自身が真凛に駆け寄って様子を確かめれば良かったのに。本当に、判断力が無い。
コニは怖がってあいつの傍に居たがるみっかを気にしていたし、コニは気付いていないがカズは真凛に簡単には触れられない。だからあの時俺がコニに頼らず迅速に判断して動いていれば、真凛が走って逃げ出すような事態にはなっていなかった。
二人が走り去ってすぐにその事に思い至った俺は挽回しようと焦って、俺一人が追い掛ける選択をした。止めようとしたコニを振り切り、懐中電灯もいらないと格好までつけた。そしてこんな風に自嘲する羽目になっている。
俺のプライドなんて押さえ付けて、判断力に優れるコニの意見を聞いておけば良かったのに。
自分で言うのも何だけど、俺はモテる。男女問わず友達も多い。それは見た目もあるだろうが、気配りが出来る、ともすれば八方美人とも言えるような性格だからだと思っている。
他人の意見を良く聞き、空気を読むのが上手く相手の意思を汲む。周囲の俺に対する評価はこんなものだろう。だけど、俺の内実は違う。優柔不断で自分で判断がしづらいために、周りの求めに応じて行動しているだけなのだ。ずっとそのままで構わないと思っていた。コニに会うまでは。
一年生の時に学科の授業でランダムで組まれたグループワークのメンバーの中にコニは居た。地味で無口な生徒であるコニの存在を俺はその時に初めて知った。
意見を出す事を苦手とする俺は、いつものようにまとめ役を買って出て解決案を模索する役を残りの四人に丸投げした。そして真凛を筆頭にカズとみっかは様々な意見を出してくれた。コニだけは意見も出さず無言で俺達の話を聞いているだけだったので、俺は使えない奴と断じて放置していた。
だが意見がなかなかまとまらず、俺が内心焦り出した所でコニはボソッと小さく意見を出した。それは三人の意見を考慮し、尚且つ盲点を突いた解決案だった。俺は絶句した。使えないと見下した相手が、誰よりも有能だった。結局何もしていないのは俺だけ。誰よりも有能だったコニは、しかし当然のように俺に最終的なまとめを求めた。
その時、俺はコニに強烈な憧れと嫉妬心を抱いた。だけどそれは俺のプライドが許さなかった。それから、自身に判断力をつける事で憧れを無かった事にしようとしたがそう簡単につくはずもなく。今日までコニには妙な態度を取り続けている。
コニも鈍いなりに俺の悪意は感じているようだ。あいつには、嫌いなら関わらなければいいのに、とでも思われていそうだ。だけどあいつも俺には刺のある言動をとる癖に、同時に感謝の念も感じたりするのでおあいこだと思っている。
その時のグループワークを終えてから、冷静で的確な判断を下すコニは俺達五人の影のリーダーとなっている。全員が最終判断をコニに委ねているのだ。コニ本人だけがそれに気付いていない。
真凛がアイデアマン、カズがムードメーカー、みっかがサポーター、俺はマネージャー。そしてコニがアナライザ―と見せかけたリーダーだ。限りなく素でいられるこの五人で居ることが俺はずっと心地好かった。
――ジリリリリリリリリリリリリリ
耳をつんざく音に、ハッとして足を止めた。
主人公によるダイナミック床ドン()
長くなったので半端な所で切る羽目になりました。翔英、お前くどいなぁ