小西2
城戸内病院の正面玄関は元から一枚硝子であったかのように閉ざされ、かつて自動で開閉していたのが疑わしい有り様だった。
白く曇り天然の磨り硝子と化した自動ドアは、内部の様子を探るのを妨害している。
「カズーこれ鍵閉まってっけどどっから入んのさー?」
「っかしいなぁ、正面から入れるって書いてたんだけどな」
そもそも不法侵入だから、そんな大っぴらに出入口が開いてるはずないだろう、とは言わない。廃墟と聞いていたのに此処まで共に来たのだから自分も共犯である。
「あ、開いた。ここじゃね?」
一人正面から少し横に外れていた翔英が入口を発見した。
玄関脇にある窓口に常駐していた職員用の通用口だったのだろう。扉の鍵が壊れているようだった。
「よっしゃ、肝試し開始だぜ!」
「おー!」
元気良く扉を潜った一樹と真凛の後を、小型懐中電灯の電源を入れて続いた。
窓口から出た先は、案の定待合室だった。放置された椅子がいくつも乱雑に転がって埃を被っている。
懐中電灯の光を左右に動かすと、カウンターの前に「総合受付」と書かれた吊り看板が落ちているのが見えた。
「お、公衆電話だ」
「ほんとだー」
受付カウンターから死角になった目立たない位置に、緑色の機械が二つ強い光に照らされて浮かび上がっている。
「これ、古い方の機種だね」
自分の後ろから顔を覗かせた美加が呟く。先程からやたらと距離が近い。
「これも噂があるとか言ってたっけ。急にこの公衆電話に電話がかかってくる、だっけ?」
公衆電話を軽く叩いた翔英は、掌を見て嫌そうに払っていた。
公衆電話に着信があるのは確かに珍しいが、電話が掛かってきて急だと感じないことの方が少ないのではないだろうか。
「そそ。うーん、ちょっと試してみるか」
一樹がポケットから十円玉を取り出してコイン投入口に入れ、受話器を取って耳に当てた。
「んっ? 電源入ってる。ほら」
耳から離した受話器を今度は真凛の耳に当てた。
「あーガチでツーー、っていってる」
「つか、カズお前お金持ってきてたのかよ」
「おう。帰りにコンビニでアイスでも買おうかと思って小銭だけな」
受話器を置いて戻ってきた十円玉を回収しながら一樹が答える。
――自分も一応発信音を聞いておきたかったのだが。
多少残念に思いながら、真凛の髪に付いた埃を取ってやっている翔英を見やった。
「普通に電源入ってんなら、たまたまそこに間違い電話がかかってきただけってオチなんじゃね?」
「えぇ、ロマンねぇなぁ……」
「まーけど、七不思議解決したみたいで楽しいじゃん!」
ふと疑問に思って口を開く。
「……閉院したの、何時?」
「え? えーっと、たしか十年ちょっと前だったと思うぞ」
だとしたらそれだけの間電気が通い続けていたことになるが、果たして。
「何でそれだけの間この病院放っとかれたのかな? 物もそのままみたいだし」
「ああ、なんか土地とか建物の権利で揉めてるらしい」
「あーめんどぅいやつだーね」
「めんどぅいって。ふふっ」
「なぁ、フロア案内っぽいもん見つけた」
女子二人が戯れ始めたところで翔英が指差した壁には、色褪せて薄汚れた看板が貼り付いていた。「1F、2F」と表記されていることから彼の言う通りフロア案内板だろう。
小骨が喉奥に引っ掛かったように先程の話が気になる。考えながらぼんやりと、案内板を読み取ろうと四苦八苦する四人の様子を眺めた。
何とか文字の読み取りに成功し、肝試しの順路が決まったようだ。今日の主菜である二階の手術室を後に回し、まずは三階の一般病棟を見に行くべく歩き出した。
―――
受付の近くにあった階段で三階まで上がって一般病棟を目指す。
待合室は長椅子が散乱していただけだったが、懐中電灯の光に照らされた廊下は様々なものが転がっていた。丸椅子や医療用ワゴン、金属製の容器やガラス片等々。
何も落ちていない場所もあったものの、足元に注意しながら進むと思ったよりも歩みに時間がかかっていた。
「もー! なんか肝試しってより学祭準備中の廊下歩いてるみたい!」
痺れを切らした真凛が左手を上下に振っている。右手に握られたスマートフォンは、彼女の足元を照らしていた。
「確かに似てるかもなぁ。あれも色々踏まないように気ぃ使うよな」
「真凛は歩くのに意識取られすぎて肝試しのスリルとかどっか行ったって言いたいんだろ」
「そー! 翔くんのそれだよ!」
一番張り切っていた真凛は相当に不満らしい。
やはり明かりは複数あった方が良かったのだ。ここはお化け屋敷ではなく、周囲に光源も満足に無い廃墟なのだから。
「っ!? ごめん、小西くん。でも何で急に止まったの?」
足を止めた自分の背に、すぐ後ろを歩いていた美加がぶつかって何やら謝っている。
いや、そんな事より。三人が騒ぐ声に紛れて先程から何か聞こえないか。
「どうした、コニ?」
いち早く気付いた翔英に続いて一樹と真凛も立ち止まったようだ。
「何か、聞こえる」
小型懐中電灯の光を先へと向ける。全員が口を閉ざしたら、闇の中からはっきりと何かが聞こえてきた。
何か、電子音が。そう、クラシック音楽のような――
「――メヌエット。これメヌエットだよ」
美加がハッとしたように口にした。
「それって曲名か? よく分かったなぁ」
「子どもの頃にピアノで練習した曲だったから」
感心したように言う一樹に答えた美加の声には照れが含まれているようだった。
「これさー噂にあった怪奇現象だよね?」
「誰も居ないはずなのにナースコールが鳴る、ってのがあるってさっきカズが言ってたな。どこの病院でもありそうな怪談――」
「なら行くっきゃないっしょ! ほらカズ早く早く、進めー!」
「いてっいてぇって、やめろマリン。分かったから急かすなって。ほら、危ねぇから!」
一気にはしゃぎ出した真凛が一樹の肩を何度も強く叩いている。急かされた一樹は早歩きで奥へと進んでいく。翔英もすぐにそれに続いた。
呆れながら自分もそれに続こうとして、止まる。先程ぶつかった位置から殆ど動いていない美加が、付いて来ていないのが気配で分かった。
振り返って見ると彼女の表情は硬く、腰が引けているようだった。
美加を促そうと口を開きかけて、気付いた。
闇が広がる廊下の向こうから響く、電子音が奏でる虚ろなメヌエット。
その音源の方へと、楽しげに向かう三人はおかしい。疑問も恐怖も感じていない様子の三人が闇に飲まれていく光景に、嫌な予感がする。
「二人ともどうした? 早く来なよ」
振り返った翔英が催促してきた。
嫌な予感は止まらないが、それよりも。
「みっか、行こう。逸れる」
三人と逸れてしまうことの方が、良くない気がした。
電子音の源は病棟入り口のナースステーションで見つかった。壁に設置された機器のランプが点滅している。
「これがナースコールってヤツか? 使い方さっぱり分かんねぇな」
「んー303って所が光ってるね。じゃー303号室にれっつごー!」
止める間もなく真凛がさっさと行ってしまった。未だに鳴り続けるメヌエットが不安を煽る。
間もなく303号室を探し当てた真凛は、豪快に扉を開けて入室した。
「はーい! 呼ばれて飛び出た真凛さんだよー!」
大きな声で堂々と宣言した途端、メヌエットが途切れた。
「さーてどれかなー」
躊躇無く奥へと進んだ真凛の向かう先を、一樹が慌てて照らす。
彼の肩越しに見た303号室は大部屋で、一度に四人程が入院出来そうな広さだった。ベッドや棚等の家具は本来の位置から移動しているようだったが、中は案外綺麗な状態にあった。
「んー違う、違う……ここかな!」
病室の最奥、扉から最も遠い位置を前にして真凛が腰に手を当てる。
他の本来ベッドがあっただろう位置のカーテンは破れたりレールごと床に落ちたりしている中、そこだけはぐるりとベッドを囲むようにカーテンが引かれていた。カーテン内の様子は伺えない。
「はいこんばんわー! ……え」
カーテンを人一人分開いて内側を覗いた真凛が絶句した。
「なんでアンタがここにいんの」
「マリン? どうしたんだ?」
心配したように一樹が真凛の元へと近づいて行く。扉の側に立つ自分達の周囲の光量が落ちた。
「はっ惨めな奴。こんなとこで一人で」
「マリン? お前どうしたんだよ?」
一樹が心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。
カーテンを握る真凛の手が小刻みに震えているのが目に入った。
「なんか言ったらどーよ? っ、ニヤニヤすんな!」
「マリン、マリン?」
一人で動揺したように話し続ける真凛には、一樹の呼び掛けが聞こえている様子が無い。何時もふざけたような話し方をする彼女が声を荒げる所を初めて見た。
「おい、最初は真凛の冗談かと思ったけど、なんかマジで様子おかしくね?」
「うん、連れ出した方が良い」
真凛に注視したまま翔英に答えた。
一歩踏み出そうとした所で、Tシャツの背が軽く引っ張られるのを感じる。ちらりと視線を向けると、美加が不安げに自分の服を摘まんでいるのが目に入った。
「はぁ? 近寄って来んなし! 来んな、くんなってっ!」
真凛の怯えを含んだ声に慌てて視線を戻す。彼女は一点を見詰めながらゆっくりと後ずさっているところだった。
いよいよ様子がおかしい。
「マリン! こっち見――」
「い、や……こないでよぉ!!」
躊躇いがちに伸ばされた一樹の手が弾き飛ばされた。衝撃で飛んだらしき懐中電灯の光が滅茶苦茶に部屋を照らす。
不意打ちで受けた眩しさに思わず目を庇うと、すぐ隣を荒々しい足音と風が勢い良く通り抜けて行った。
「マリンっ!!」
一樹が床に転がった懐中電灯を走り出しながら拾い、扉に向かって来る。
「――カズ、待て!」
咄嗟に一樹の服を掴もうとした手は空を切る。制止に構わず、大きな足音が廊下の闇に消えて行った。
「くそ」
こんな所で自分の反射神経の悪さを恨むことになるとは思わなかった。咄嗟に止められなかった今、運動に自信の無い自分では一樹に追い付くことは不可能だ。
「……あー。カズならすぐ真凛に追いつくだろ。アイツなら絶対帰り道とか考えずに走ってるから、俺迎えに行ってくるわ」
スマートフォンを操作しながら言う翔英の意見に一瞬納得してしまった。だが。
「別行動取るのは、不味い」
「けどアイツら、合流したらその場でじっとなんてしないだろ。とにかく急いで行ってくる!」
スマートフォンのライトを点した翔英が小走りで303号室を出た。慌てて扉の縁に手をかけ、せめてと左手に持った小型懐中電灯を振る。
「持って行け!」
「懐中電灯はコニが持っとけ! 二人はナースステーションで待ってな!」
翔英の軽い足音と小さな明かりが遠ざかって行く。
翔英なら卒なく二人を見付けて来るだろう。小さく溜め息を吐いた。
入口から振り返って、真凛が立っていた辺りを照らす。此処からでは角度的にカーテンの内側は窺えない。
彼女はカーテンの中の何かに話し掛けて、怯えていた。中を見ようとカーテンへ向かって踏み出したら、今度は強めに服の背が引かれた。
「小西くん、やめよう? このままナースステーションで待ってようよ」
美加は恐怖を抱き始めているらしい。
確かにあまり良い予感はしない。が、怖い物見たさなのかどうしても気になる。
「みっかは、そこで待ってて」
再び歩き出すと、美加が背中に張り付いてきた。Tシャツを摘まんでいたはずが、今は握り締めているようだった。
慎重にカーテンの前まで歩く。すぐに逃げられるよう真凛が居た奥までは行かず、手前で足を止める。
美加が恐る恐る自分の背中から顔を出したのが気配で分かった。
カーテンを掴み、手汗で滑る懐中電灯を握り直す。そして、一気に引いた。
真凛さんは酔っ払いなので許してあげて欲しい。