小西1
ストックなんてない!だけどもう投稿してやる!(ヤケクソ)
マンションから歩いて十五分、駅までの道を一本逸れた所にその廃病院はある。
「それでそれで? そろそろメインの怪談話教えてくれてもいーじゃーん」
隣を歩く筋肉質な青年を覗き込む、目鼻立ちのはっきりした顔が楽しげに笑う。背中の大きく開いたタンクトップから見える綺麗な肌が艶かしい。
「カズ焦らしすぎ。これ話終わる前に着くんじゃね?」
彼女のもう片側を歩く青年が、アッシュグレーの髪をかき上げながら口端を上げる。顔の整った彼にはその嫌味な仕草が様になっていた。
「心霊スポットに関する噂は全部聞いてから行くのが礼儀ってもんだろ!」
日に焼けた腕を振り上げた一樹は何故か得意気だった。
「まー分からなくもないけどー。それよか真凛さんは早く聞きたいでーす」
「んじゃ、みんなちゃんと聞いてろよ? 一番有名な噂なんだからな」
白い腕を真っ直ぐ挙げて主張する真凛に促されて、真面目な顔を作った一樹が声色を幾分か落として語り始めた。
――今から行く城戸内病院だけどな、実は潰れる前から妙な噂があったらしいんだ。救急病院でもないのに、たまに夜中に手術中のランプが点灯している事がある。そしてその翌日には患者が一人行方不明になる、って。当時の院長だった城戸内先生は腕の良い外科医だったけど、人嫌いな癖に何故か人間の部位は愛してやまない変人だったんだってさ。だから、夜中に手術室を使ってるのは院長なんじゃないかって噂だったんだと。気に入った部位を持った患者を解剖してそこを切り取ってるんじゃないか、ってな。この噂が広まったせいで患者が減って、そこそこ歴史のある大きい病院なのに潰れたんだって言われてるらしいぞ。
おい、焦るなって。心霊スポットらしくなるのはここからだぜ? それで城戸内病院が閉院した日に、院長は病院で毒を飲んで自殺したんだそうだ。それも何故か院長室じゃなくて手術室で。それでますます噂の信憑性が増したせいで、閉院した直後から肝試しのために病院に忍び込むヤツが居たんだ。だけどな、そいつらの中にたまに病院に入ったまま戻って来ないヤツが居た。戻って来た方の話では、院内ではぐれたツレを探しまわってたら手術室の手術中ってランプが点いてた。そして中からツレの尋常じゃない悲鳴が聞こえて、怖くなって一人で逃げ帰っちまった。そして、朝になってもツレは戻って来なかったんだってさ。
――だからな、死んだ院長は幽霊になった今でも病院を訪れた人間の中から気に入った部位を持った人を拐って、手術室で解剖を続けてるんだよ――
一樹は、最後の台詞を手に持った懐中電灯で顎の下から顔を照らしながら言った。もう夜も遅い時間とはいえ、街灯が等間隔に照らす道端ではあまり効果が無い演出だ。
「そんじゃ、今日の肝試しのメインは手術室ってことか?」
「そうだけど……いくら翔英がこういうの平気だっつっても、もうちょいノってくれてもいいだろぉ?」
アッシュグレーの頭を掻きながらあっさりと返した翔英に、一樹ががくりと肩を落とした。
「んーでも、そんなガチ目の噂があるんならあたしは凄い楽しみになってきたけどなー。あ、そういやさっきから後ろの二人静かだけど、怖いのダメだったりするー?」
くるりと振り返った真凛が、後ろ歩きをしながら聞いてきた。
喉まで出かかった聞くのが遅い、という言葉を飲み込んでいて不意をつかれた。街灯に白く照らされた大胆に開く胸元に目が行ってしまい、慌てて逸らす。左胸の上にある目立つ黒子のせいで、油断していると視線がそこに吸い寄せられてしまう。
小一時間ほど前まで真凛が羽織っていて、今は彼女の腰に結ばれているテロンとした素材の丈の長い上着を恨めしく見詰めた。
「実は……私怖いのちょっと苦手なの」
おずおずと答えた、右隣の頭一つ分背の低い女の子を見る。真凛とは反対に、露出の殆ど無い彼女は目に優しい。
「ありゃ、みっかはダメだったかぁ。んーどーしよ」
「あ、でもどうしても駄目って訳じゃないから付いて来たんだよ? みんなと一緒なら大丈夫かなって。だから絶対置いてかないでね」
「おーけーおーけー、もちろんだよ! そもそもガチの廃墟らしいし、全員で行動が基本っしょ」
「おう、任せとけよ。女の子置いて逃げるとか、ぜってーしねぇから!」
真凛が後ろ歩きのまま拳を握って力説している。それを見た美加はにこりと笑顔を返していた。
だが、やはり出発前に確認を取ってくれれば良かったのだと思った。美加が苦手そうだということは、少し考えれば分かることだ。
真凛と一樹は勢い任せで行動するきらいがある。それで周りに迷惑をかけることも多いというのに、本人達には全く悪気が無いのだから質が悪い。
気付かれないように細く息を吐き出していると、ほんの少し悪気がある人間が声をかけてきた。
「それで? 結局コニはなんも言わないけど、まさかマジで苦手だったり?」
「え、小西くんも? ちょっと意外だな」
何てことはない顔をした翔英の瞳には、僅かに愉悦が見える。
日本人には珍しい淡い色をした瞳は女性に人気があるものの、此方に向けられた時にはほんのりと侮蔑が混じることが多いために好きではない。
「怖いのは、別に。だけど、病院は苦手で、あんまり……」
行きたくない、とまでは言わなかった。だから出発前に聞いて欲しかったのだ。肝試し先が病院だと知っていたら家で待っていたのに。
昔、子供の頃に腹膜炎の手術をしてから、その経験がトラウマとなって病院が苦手になった。
腹痛にのたうち回り、意識が朦朧とする中で手術室へと運ばれ。全身麻酔はかけられたが、激痛のせいなのか何なのか、意識と感覚がある状態での手術となった。痛みは感じないが、腹を切り開かれて体内をまさぐられる感覚に幼い自分は内心絶叫した。しかし、どれだけ恐怖しても身体は麻酔で動かないし、手術は淡々と進む。
結局手術は無事成功したものの、その時のトラウマが残ってしまった。
お陰で病院に行きたくないあまり健康体ではあるのだが。
「病院が嫌ってのはちょっと分かるなぁ。おれもなるべく行きたくなくてさ、前に足捻挫した時に病院行かずに誤魔化そうとしたんだよ」
――きちんと治して来ないとスタメンから外すぞって監督に脅されて渋々行ったけど、と苦笑する一樹。
サッカー部に所属する一樹はそれなりに上手い選手のようだ。右サイドバックを預かる彼は俊足を売りにしていて、足の怪我は軽いものでも見過ごせないのだろう。本人は見過ごそうとした阿呆のようだが。
「カズ子供かよー! それいつの話ー?」
真凛が一樹を指差して笑う。美加と翔英も呆れた顔で笑っていた。
普段は考えの足りない阿呆だが、野生の勘なのか空気がおかしくなりかけるとこういう風に話題を浚ってくれる。一樹は自覚無くやっているのだが、こういう所は好ましい。口下手な自分には出来ないことだった。
楽しげに話す四人から視線を外して空を見上げる。街灯が少なくなり周囲が幾分か暗くなったおかげで、真円に輝く月が綺麗に見えた。
「お、着いたみたいだな。ここが噂の心霊スポット、城戸内病院だ」
一樹が指し示したアルミ製のフロアゲートの向こうには、腹を空かした化け物の胃袋のようにぽっかりと闇色の空間が広がっていた。
―――
夏休みが始まる二週間前、試験が終わったら皆でたこ焼きパーティーをしないか、と誘いをかけてきたのは、非常に珍しいことに美加だった。従姉の子供の誕生日にたこ焼きを自分で焼きたいと強請られたので、事前に練習しておきたいのだと言う。
小西たち五人は、元々大学一年生の時にランダムで組まれたグループワークのメンバーだった。
一樹は体育会系のお調子者で翔英はモテる洒落者。真凛は賑やかで外見が派手、美加は清楚で大人しいが誰とでも仲良くなれる性格と、地味で口下手を自覚する小西は当初気後れしていたのだが。タイプがバラバラなのにも関わらず皆馬が合ったようで、課題が終わった後も友人関係を続けていた。何故か当然のように小西も加えて。
自分から付き合いを続けようとしたことは無いのだが、彼らと居るのは嫌ではないので誘われれば応じていた。
たこ焼きパーティーの誘いも、珍しく美加からということで快諾し、全員の予定を擦り合わせて日にちを決めた。
そこで一樹が折角なら小西の家で泊まりがけにしないか、と提案してきた。一人暮らしの家の方が迷惑掛けなくて良いだろう、と。翔英だって一人暮らしだというのに、何故家なのか。そもそも家主に先に許可を取るべきではないのかと問い質したかったが、特に不都合も無かったのでそのまま承諾した。
しかしまさか、自分の家を指定した理由が肝試し先の廃病院に一番近いからだとは思わなかった。
「は? 肝試し?」
たこ焼きを食べ終え、酔いも回ってきた所で一樹が言い出した。寛いでいた翔英が訝しげに持っていた紙コップを机に置いた。
「そ。この近くにいい心霊スポットがあってさ。まぁ最近は噂が下火になってるらしいけどな。コニがここに住んでてくれて助かったぜ」
「……もしかして。僕の家で泊りにしようって言ったのは、肝試しのため?」
「バレたか!」
自分の眉根が寄っていくのを感じる。
翔英の反応からして肝試しの事は知らなかったようだし、美加は皆で相談して決めようとするだろう。真凛なら種明かしの時に一緒に騒ぐだろうに、今は目を輝かせて一樹の次の言葉を待っている。
恐らく、一樹が真凛の気を引くために彼女の好きそうなことを一人で計画したのだと推測された。
「そろそろ肝試しにはいい時間だし、今から行こうぜぇ!」
「待てよカズ。酔っ払いを歩かせる気かよ?」
翔英に言われてはた、と止まった一樹は真凛の様子を見てしまった、という顔をした。
頬の赤い真凛は、つい十分程前に着ていた上着を脱ぎ捨てた後、翔英の肩に背中から凭れたまま口しか動かしていない。泊りだということで羽目を外した彼女は何時もより多く酒を飲んでいた。
「それに、小西くんも私たちが食べきれなかった分を全部食べてくれたんだから、すぐに動くのは苦しいんじゃないかな?」
「僕は、別に」
「お前、あれだけ食って何ともないってのもすげぇけどな……」
「コニーのたべっぷりはみててきもち―よねー」
美加が気を回してくれたようだが、自分には要らぬ気遣いだった。胃腸が強靭なことが唯一の自慢だ。
それよりも。
「肝試しって、何処に?」
「ああ、こっから駅の方に行った所に廃墟があってな」
「おー!」
「廃墟」
「そう、廃墟! 詳細は道中のお楽しみだ!」
「おー!」
「やっぱマリンは好きか! マジの心霊スポットらしいから期待しててくれよ! まぁ、霊が見えるってよりも怪奇現象寄りらしいけどな」
「おー!!」
「真凛、行きたいなら今は大人しく水飲んでような」
「あーい、しょーくんお水あんがとー」
話が進まない、と思ったところで翔英が真凛を宥めてくれた。
こういった空気を読んで気遣いが出来るところが、外見だけでなくモテる所以なのだろう。あまり素直に認めたくはないが。
「それで、廃墟なら、明かりは?」
「それなら、じゃじゃーん! 強力懐中電灯を家から持って来たぜ!」
「……一つだけ?」
「あんま多いと肝試しっぽくなくなるだろ?」
廃墟を探索するなら明かりが多くないと危険ではないだろうか。
サプライズにするのではなくきちんと連絡してくれたなら明かりを確保出来たのに、と小さく苛立つ。
「私は出来ればもうちょっと欲しいなぁ。五人いるんだし、足元見えないと危ないよ」
美加も自分と同じことを懸念したようで、不安そうな顔で意見してくれた。
「マジか。まぁ、最悪全員スマホで照らせばいいだろ」
「……何か無いか、探してみる」
家の中を探し回ってみたが、結局明かりに出来そうな物は親指より少し大きい程度のサイズのキーホルダー型の充電式懐中電灯一つだけだった。学生の一人暮らしの家にそんな大層な物は置いていない。
それを電源に挿して少しの時間でも充電に充てた。久しく使用していなかったので使用時間が心許ない。
「今の内に、ある程度片付けよう。せめて、みっかのたこ焼き器だけでも」
「あっありがとう小西くん」
「コニーがしゅふだー」
早く酔いを醒ましてくれ、と皿を重ねながら思った。
みっかがたこ焼きに星形人参(生)を投入して絶不評、というお茶目エピがあったのですが、どこにも入らなかったので割愛。