9 逃走
「起きてくれ」
酒場から急ぎ足で戻ってきたケースケは、寝ているアーリエを揺り起こす。寝ぼけた目をこすりながら、少女は目を覚ます。
「……どうしたの……? テリーの餌やり?」
まだ寝ぼけているようだ。ちなみにテリーとは、ケースケが彼女と道中に名付けた、ヘキサホーンの名前である。
「テリーの餌は夕方にやっただろ? 敵が来る、急いで出ていかないと」
「……分かった」
ようやく目が覚めたのか、寝起きにも関わらずアーリエはキリキリと支度を始める。ケースケもまた、装備の最終チェックを行っていた。いつ戦闘になるか分からないからだ。
「……くそ、ジェイドのやつ。サービスはいいが、どうせなら明日にしてくれりゃあよかったのに」
装備に異常が無いか点検しつつ、ケースケが愚痴る。ジェイドの性格は良く知っていたから、彼に対する恨みはない。むしろ、自分のプライドを曲げてまで危機を知らせてくれたことに、感謝すらしていた。
だが、それはそれとして、どうせプライドを曲げるなら、自分たちが出発してからにしてくれよ、という思いも当然あったが。まだ、最低限の補給しかできていないのだ。
「出れるか?」
「大丈夫よ」
「よし、じゃあ行くぞ」
荷物を担ぐと、ケースケはアーリエを伴って部屋を出る。同時に、スキルを起動し、周囲に敵が潜んでいないか確認する。今のところ、不審な反応は無い。
「……まだ来てないか。今しかないな……アーリエ、悪いけどちょっと我慢してくれ」
「え? キャア!」
そう判断するや否や、ケースケは少女を横抱きにして抱えると駆けだす。時間的猶予がどれくらいあるかは分からない。だが、宿という閉鎖空間で戦闘になれば、数に押しつぶされる可能性が高い。
彼は急ぎつつ、しかし足音をたてないように宿を下りていく。無用な騒ぎは起こしたくなかった。誰にも気がつかれないまま、宿の入り口を出て、テリーを繋いである厩舎へと急ぐ。
「……ちっ」
ケースケは思わず舌打ちをする。厩舎に二人、不審な反応がある。追手の可能性は高い。
「少し、待っててくれ」
ゆっくりと、アーリエを物陰に下ろす。少女は、神妙な顔で頷いた。
こういった時、彼女の素直さはありがたいと思う。ふっと微笑んだ後で、ケースケは駆け出した。
彼は走りながら直刀を抜き戦闘準備を整え、そのまま突入する。
二人を目視でとらえる。案の定、ゴロツキのような風体だ。待ち伏せでもしていたのだろうか。接近する自分にまだ気が付いていない――いや、ようやく気がついたか。だがもう遅い。
「ふっ……!」
直刀を投げる。刃は円を描きながらゴロツキの喉に吸い込まれ、赤い花を咲かせる。声も上げずに倒れた片割れに気を取られたもう一人も、声を上げる前に蹴り倒し、手早くとどめを刺した。
息を整え、ゴロツキどもの死体を一瞥する。黒装束ではなく、手練れでもない。何より暗い仕事をこなす人間特有の気配もしない。ウルク家の刺客ではなく、もう一つのヤバい組織の構成員だろうか。
「こりゃ、まずいな……」
少数とはいえ、こんなところまで手が回っている。すでにこの町のいたるところに敵が潜り込んでいると可能性が高い。それは、その組織が大規模であることを証左していた。
「アーリエ!」
少女を呼ぶと、アーリエはすぐに走ってくる。
「さすが、ケースケね」
「ああ。けど、手配が早い。すぐに出よう」
そう言葉を交わすと、急ぎ、テリーに荷物をのせ、ケースケもまたがる。そしてアーリエを守るように前に乗せ、彼は勢いよくテリーの腹を蹴った。
「ブモオオオオオ!!!!」
勇ましくいなないて、テリーは通りを駆け始める。だが、夜も更けてきたとはいえいまだに人通りが多く、思うように速度が出ない。
「……すまないな、手荒な出発になった」
四苦八苦しながらテリーを操りつつ、ケースケはアーリエに謝る。少女はそれに首を振り、前を見ながら言った。
「問題ないわ。ケースケは依頼を果たしてる。この調子で、お願いね」
まっすぐな口調だ。だが、その肩がかすかに震えているのをケースケは見逃さなかった。彼は笑顔を作り、少女を落ち着かせるようにポンと肩に手を置く。
「了解だ、お嬢様。娘のために、人肌脱ぎますか」
そのまま、テリーの速度を上げる。テリーの走る音が聞こえていたからか、それとも騒ぎが広がったからか、通りを歩く人々が端に避けていったおかげだ。
テリーがその脚力を存分に発揮し、いよいよ町の出口に差し掛かった時だった。
「いたぞ! 追え!!」
背後からドカドカと音が聞こえる。レーダーの反応を見ずともわかる。追手、それも全員六足獣に乗っている。
「贅沢な組織だ……!」
いかにテリーが健脚とはいえ、他の六足獣に比べ、極端に抜きんでて早いわけではない。加えて、こちらは大人一人、子供一人、荷物まである。振り切るのは現実的ではなかった。
出口を抜け、街道に出る。追手の数はますます増えているようだった。背後から、ひゅんひゅんと風を切って、矢が飛んでくる。狙いはでたらめでまず当たることは無いだろうが、考えることが増える分、面倒だ。
「はっはぁ! 冒険者と娘! 観念しろ、ドンがお呼びだぁ!」
威勢のいい野太い声が響く。ちらりとケースケが後ろを窺うと、装備も気配も違う、ガタイの良い男が加わっている。恐らく、ゴロツキどものリーダーだろう。
「とりあえず、数だけでも減らす……!」
ケースケは懐から袋を取り出すと、その中身をぶちまける。粉のようなものが風に吹かれ、後続のゴロツキたちにふりかかる。
「うェ、ぺっぺっ! んだこりゃあ。鉄粉?」
リーダーは口に入ったそれを吐き出す。他のゴロツキたちも、口や目に入ったそれをぬぐったり、吐き出したりしていた。
「喰らえ……!」
それを確認したケースケは、懐から数枚の手裏剣を取り出し、振り返らずに背後に投げた。
「どこ投げてん……うぉお!?」
見当違いの方向に飛んだと思われた手裏剣は、しかし空中で大きく弧を描き追手へと襲いかかる。日ごろ、スキルを使って鉄粉と手裏剣に磁性を持たせておき引き合わせる、ケースケなりの自動追尾手裏剣だ。
ケースケの耳に、キン、キンと、手裏剣を弾く音が聞こえる。どうやらリーダーは防いだようだ。だが、弾かれた手裏剣が後続を襲い、防げなかった奴らと合わせて、数名の脱落者が出る。
それでも、焼け石に水だ。
「手裏剣が先に無くなりそうだ……ん?」
追加の手裏剣を構えつつ、ケースケはぼやく。その時、ふと自身のレーダーに不審な反応を感知する。数は六、徐々にこちらに距離を詰めてきており、速度を見る限り、六足獣かそれに準ずるアシを使っている。それにしては、そのような音は聞こえない。
「まさか……」
ここにきて、彼は嫌な予感を覚える。ゴロツキ程度の追手なら、いくら数がいたとしても、どうにでもなったかもしれない。だが、ひりつくようなこの感覚は、撒くのが容易でない相手が接近していることを知らせていた。
間違いなく、ウルク家の刺客である。
「うお!? 何だテメェら!!」
レーダーで感知している、追手の最後尾の反応が消える。同時に、背後から騒ぎが聞こえた。どうやら、音無き刺客どもは、こちらを追うと同時に追手の排除に動いたようだ。
どうやら敵も一枚岩ではないらしい。どちらも厄介なことに変わりはないが、双方でつぶし合ってくれる分、まだマシだろう。
スッと、ほんの一瞬、ケースケは目をつぶり、思考を加速させる。行く先を決断するためだ。
敵は多い。ゴロツキにせよ刺客にせよ、追撃を受けるのは確実だろう。この際、ルートの出口はどうでもいい。それよりも、確実に隣国へ入るほうがいいだろう。
街道……ありえない、疲労がある分、敵を振りきれない。荒野……“ヤバい組織”の配下がいる可能性、それに身を隠す場所が無い。山……街道と同じく、振り切れないうえ準備も足りない。
そこまで考えて、彼は目を開け、ため息をついた。
「……しょうがない。一番選びたくない選択肢だったが……アーリエ」
敵と乗馬に集中しながら、ケースケはアーリエに声をかける。
「Dルート……森に入る。悪いけど、ここから先は快適な旅は無しだ」
「……それでたどり着けるのなら、いいわ。信頼してる」
少女は気丈に言った。子供らしからぬ気の強さだ。これも、貴族の教育の賜物だろうか。
「よぉし! スピードを上げるぞ! しっかり捕まってろよ!」
鞭を入れる。テリーはさらに気合を増して、いなないた。
分岐路で、迷わずケースケは森へのルートを取る。小競り合いを続けながら、追手どももそれに続いた。
夕方にも更新します