8 情報屋
夜。
この町には眠るという言葉は存在しない。そう思えるほど、夜の町は活気に満ちていた。そこかしこで客引きが声をかけ、酔っ払いがそれに連れられ店へと消えていく。
そんな中を、ケースケは一人で歩いていた。アーリエは宿で就寝中だ。高い金を出して、この世界基準ではしっかりとしたセキュリティのある宿に泊まり、スキルを使って見張ってもいる。大きな問題は無いだろうと彼は考えていた。
客引きや立ちんぼを避け、酔っ払いの波をかき分け、やがて大通りから少し外れた場所にある、一軒の酒場に入る。酒と、そして煙草のにおいがケースケの全身を包んだ。
「……いらっしゃい」
不愛想な主人が、低い声で言った。それに手を上げて答えると、ケースケはカウンターの一番端に座る。そして、火酒をオーダーした。
少しすると、カップに注がれた火酒が出てきたので、それを舐めるようにして飲む。
今日彼がこの酒場に来たのは、なにも酒を飲むためではない。彼はある人物を待っていた。
「さすが、早いな」
しばらくすると、彼の背後から声がかかる。聞きなじみのある、男の声。ようやく待ち人が来たらしい。そちらを一瞥もせずに、ケースケは軽口を叩いた。
「お前が遅いのさ」
「そういうなよ。いろいろあったんだ、しょうがないだろう?」
そう言いながら、その男は、ケースケの隣に座る。そしてパイプを取り出す。それに火を着けようとする彼を、ケースケは手で制した。
「手土産だ」
ケースケは懐から銀色のケースを取り出す。そして、トンとカウンターの上に置いた。そして開く。中には茶色い紙で巻かれた煙草が三十本ほど並んでいる。
「おお、紙巻煙草じゃん! 高かっただろ!」
男は興奮しながらパイプを納めると、紙巻煙草を手に取り咥える。ケースケが気を利かせてスキルで着火してやると、男は嬉しそうに煙草をくゆらせ始める。
旨そうに煙草を堪能する、胡散臭い風貌のこの男をジェイドといった。ケースケの古い馴染みで情報屋だ。ここ数日、この町に滞在したのは、物資の補給もあるが、彼にとある情報を依頼していたからだ。町に到着した当日に依頼をし、今日がその報告日であった。
「で、お前から依頼されたのは――」
「ああ。“ウルク家”の現状について知りたい」
ケースケの依頼。それは魔法の名家にして貴族、ウルク家の情報であった。
彼は、先の山賊――大地の言葉や、アーリエのしていたネックレスから、彼女をウルク家の人間だと判断。この依頼の裏を知るため、アーリエが内情を話してくれないため、信頼できる情報屋を頼ったのだった。それに、気になっていたこともあった。
「さて、何から入ろうか……」
ジェイドはふぅと紫煙を吐き出すと、少し考え始める。そして口を開いた。
「ま、結論から言おうか。ウルク家は現在、借金で首が回らなくなっている」
「借金? あのウルク家が?」
ケースケは驚きを隠せない。ウルク家といえば、この国では五本の指に入る大貴族だ。とても借金で首が回らなくなるなど考えられない。
「そう。数年前に当主が代替わりしたのは知ってるだろ? 今の当主……息子だな、そいつが、まーダメ息子だったのさ。何をやらかしたのか、デカい借金をこさえて、てんてこまい。噂じゃ、ヤバい組織からも金を借りてるらしい」
「…………それで?」
「これははっきりとした裏は取れなかったが……あの家には代々始末屋みたいなのがいるらしくてな……。そいつらが動いているそうだ。目的は、とある要人の確保。ま、それが誰なのかは分からないけどな」
灰皿に煙草を押し付けて、ジェイドは首をすくめた。
「それと、そのヤバい組織も何かを探し始めていると聞いた。ここ十年の新興勢力だが、かなりの力をつけてる連中だ。敵にだけは回したくないな」
「……なるほど、な」
二日という短期間で、よくこれだけ調べたものだ。ジェイドの報告を、ケースケは咀嚼しつつ考えをまとめていく。
目的は分からないが、アーリエを狙う勢力は二つ。一つはウルク家の刺客連中、これは恐らく、最初の町で襲ってきた黒装束どもだろう。そして、どこぞの組織の連中。こちらは、正体が知れない。そんな組織、これまで話に聞いたこともない。
どちらにせよ、最初の町を出てこれまで襲撃が無いことを考えると、そいつらはまだ自分たちを発見していないと考えられる。だが、追手の数は想像以上に多そうだ。となれば、ルートはB。荒野を行くルートが最適か? 視界が広いから、奇襲も受けにくいはずだ。
アーリエが隣国に行く理由には、目星がついている。予想が外れていないなら、荒野を行くルートでも、大きな問題はないだろう。
「そうそう、それともう一つの依頼のほうだが、こっちはすぐに手に入った」
ジェイドのその言葉に、思考の海に沈んでいたケースケの意識は引っ張り上げられる。彼はもう一つ、依頼をしていた。
「十年ほど前にウルク家に嫁いでいった貴族の女、ナターシャだったか。彼女は数年前に亡くなったそうだ。死因は心労からくる病、だそうだ。ホントかは分からねぇけどな」
「……そう、か」
もう一つの依頼。それは、十年前のとある依頼で関わった、貴族の女性の安否確認だ。
彼女は自分のことを覚えていないだろう。だが、ケースケは今でも忘れることができない。彼にとって初めての、そして唯一の、恋をした女性であった。
だからこそ、死んだ、という事実に、ケースケは頭を横からぶん殴られたような衝撃を覚える。なんとなく、そんな気はしていた。自分の子供を一人にするような人では無い、少なくとも、ケースケが覚えている彼女ならばありえない。
グイと、火酒をあおる。現在の状況で酔うつもりはない。それでも、一杯だけでも、酒を飲みたい気分であった。
そうして、そっと目をつむり、その女性――ナターシャの冥福を祈った。ジェイドもその空気を察したのか、黙って隣で新たな煙草に火を着け、くゆらせる。
少しの間、沈黙が流れる。
やがて、スイッチを切り替えたケースケは、懐から皮袋を取り出し、言った。
「すまない。急な依頼で悪かった。これは残りの報酬だ」
情報料だ。情報屋にもよるが、ジェイドの場合、手付金として報酬の三分の一を前金で受け取った後、残りの報酬は後で払うシステムになっている。
だが、ジェイドは首を振って、それを受け取らなかった。
「ツケにしとくよ。友達だからな」
「……いいのか? 払いに来れないかもしれないぞ?」
「ケースケなら信用できる。ま、サービスだな」
「そうか」と、困惑しながらケースケは皮袋を懐にしまう。正直なところ、手持ちの金が怪しいためありがたいことだ。だが、ジェイドのその態度に、ケースケは違和感を覚える。
「さ、お前は酒に弱かったろ? とっとと宿に帰るんだな」
ジェイドは無理やりケースケを立たせると、シッシと手を振った。
「……どうしたんだ? 俺が酒に弱くないのは、お前――」
「ほら帰れ帰れ」
まるで聞く耳を持たない。
困惑しながら店を出ようとするケースケに、ジェイドは声をかけた。
「お前、ファンが多いらしいな! こないだも知り合いなのかって声をかけられたんだ! 気をつけろよ!」
「……どうも。また会おう」
手を上げてそれに答え、ケースケは店を出ていった。
・ ・ ・
「で、兄ちゃん。情報はまだかい?」
ケースケとジェイドが会った三十分後。
ジェイドは一人の客と会っていた。その見上げるほどの巨漢は、服装こそ野卑ではあるが、ただの荒くれものとは違う、独特の風格を漂わせている。
「この町にいるのは、ほぼ確実なんだ。管轄の服屋で一悶着起こしてたらしいからな。それを、なんでいまだに見つけられねぇんだい? えぇ?」
「慌てなさんな。俺もプロだ、金をもらっただけの仕事はするさ」
ジェイドはため息をつきながら、答える。
彼がその男から依頼を受けたのは、つい数日前。ある二人組を探してほしいと頼まれた。破格の報酬ということもあり引き受けたが、その標的が自分の古い友人であると気がついたのはすぐだ。
とある少女と、その護衛の冒険者。ジェイドからすれば、発見は容易いものだった。だが、彼はその報告を今日まで遅らせた。
「まったく、探すのには苦労したよ。怪物退治専門だからか、気配を隠すのが上手かった」
彼はプロだ。仕事を引き受けたからには、それをこなさないといけない。たとえかつての友人が狙われていようと。それは一種のプライドでもあった。
「悪りぃがな、あんたの苦労話を聞く時間はねぇのさ。この町一番の情報屋だっていうから頼んだんだぜ? それとも、俺はほら吹きに一杯食わされたってのか?」
「すまないすまない、悪かった、本題に入ろう。で、その二人組だけどね……店を出てまっすぐ、徒歩十五分くらいのところにある宿屋『サウスロック』の三階、二号室に泊まってるそうだ。ま、時間がかかった分、情報は正確だぜ」
だが、かといってジェイドに、その友人を見捨てようという気持ちも起きなかった。
かつて、とある真面目な冒険者が、ジェイドに依頼をした。その時、まだ駆け出しだった彼はそれに応え、精一杯の情報を集め提供した。すると、その冒険者は、大げさなくらいに喜び、当初に提示した以上の報酬を彼に渡した。
何が琴線に触れたのは分からない。ただ、その冒険者はそれ以降、ことあるごとにジェイドに依頼をし、ジェイドはそれに応えていった。すると、ジェイドの客はだんだんと増えていった。
その冒険者が大げさに話したのか、実績のある冒険者がよく利用することが広がったのか、それは分からない。ただ、彼がこの町一番の情報屋だと言われるようになるのに、さほどの時間はかからなかった。
だから、ジェイドは自分のできる精一杯のサービスをした。友人を失いたくなかったからではない。ただ、自分が最も信頼している友人の信頼を、裏切りたくなかっただけだ。
「……たく。ほら残りの金だ」
悪態をつきながら、皮袋を放り、男は去っていく。その後ろ姿を見送った後で、ジェイドは紫煙を深く吸い込み、そして吐き出した。
「ま、大出血サービスだ。ツケ、ちゃんと払いに来てくれよ、ケースケ……」
呟きは、紫煙とともに溶けていった。
火酒と書くとウイスキーを連想するのは私だけでしょうか