37 エピローグ
木漏れ日の中を、一人の男が歩いていた。
整備された道を彩るように両端には色とりどりの花が咲き、まだ少し冷たい風にそよそよと揺れている。少し離れたところには清流が木漏れ日を受けてきらきらと輝いている、そんなのどかな風景。だが、その男が纏うのは、そんな穏やかなものではない。
ボロボロの、もはや外套としての能力を失ったマント。その下に見える、至るところに傷の入った軽鎧。顔にも大小さまざまな傷がある。何より、気配と眼光が、あまりにも殺伐としていた。
やがて、彼が進んでいくと一軒の家が見えた。泉のほとりに建てられた、小さな家だ。
彼は立ち尽くす。この家に用があったのだが、しかし、彼はドアをノックすることを躊躇する。
そのまま、時間が経った。どのくらいかは分からない。一時間かもしれないし、一分かもしれない。ただ、時間も忘れて彼は立ち尽くしていた。
不意に。
ガチャリ、と家のドアが開いた。
「カナデったら……! これじゃ遅刻ね……!」
そんなことを呟きながら、一人の少女が出てきた。その姿に、男はハッと目を奪われる。つややかな春色の髪に深い海色の瞳、その表情は明るく、以前にあった険はすっかりなくなっていた。纏う服は、上等ではないが仕立てのしっかりした実用的なもので、今の彼女にはそれが良く似合っていた。
その少女は駆けだそうとし、そして呆然と立ち止まる。
「……ケイスケ、おとう……さん?」
ポツリと少女――アーリエはそう呟いた。
男ははにかむも、口を開けないでいた。すると、アーリエは髪をたなびかせながら走ってくる。男は、一発殴られることを覚悟した。
だが、それは杞憂に終わった。
「お父さん! お父さん!!」
少女は端正な顔を涙でグシャグシャにしながら、男の胸に飛び込んでくる。思いのほか強いその衝撃を、男は喜びを持って受け止める。そして背中に腕を回そうとして、だが途中で止める。
己の汚れた手で少女を抱き留めても良いのか。男の思いは今更ではあるが、だが、強い決意を持った今でもそんな思いが彼の頭をよぎるのだ。
そんな男の葛藤を察してか、どうか。少女は顔を上げて、泣き顔のまま満面の笑顔を浮かる。
「……お帰りなさい……!!」
ふっと、男は肩の力が抜けたような気がした。彼は恐る恐る、しかし愛おしそうに少女を抱きしめた。
「……ただいま」
京助は、胸に温かなものが沸き上がるのを感じながら、万感の思いを込めてそう言った。
剛はこの世界を夢だといった。なら、いいじゃないか。俺が、娘を持ったという夢を見ても。十五年間の放浪の先に、意味を見つけられたという夢を見ても。これまでも、そしてこれからも、この人生は俺だけのものだ。ただ、これからは一つ、守るべきものができた。たったそれだけで、世界はこんなにも色づいて見える。
一度、アーリエを負ぶった時にずっしりと重さを感じた。そして今、少女を抱きしめると同時に、その重さが両肩にかかってくるような感覚を覚えた。けれど――
「……いいもんだな」
そっと、京助は呟いた。
始まりは偽物だった。だが、今確かに、父は娘を、娘は父を認めていた。そのまま、新しい父娘はずっと抱き合っていた。
木漏れ日がきらめき、小鳥がさえずる。花は柔らかな風に揺られ、二人を祝福するかの如く舞った。
春はもうすぐだ。
お付き合いいただきありがとうございました。
後で割烹にあとがきを載せるので興味のある方はどうぞ。




