36 断ち切るのは
某所、とある屋敷。
その一室で、ツヨシは書類を眺めていた。最近は金の回りが悪い。その原因は分かっているのだが、排除できないでいた。おかげでアーリエ捜索もままならない。
トントン、と書類を整えると、ツヨシはパイプに火を着けふかす。うまくいっていない現状に思うところはあるが、それを含めて彼は楽しんでいた。全てが順調であればあるほど、それに満足できなくなってしまうのは彼の悪い癖だ。ツヨシ自身も、それは理解しているため、努めて表には出さないようにはしている。
だが、明確な困難が目の前に現れると、ワクワクせずにはいられない。
紫煙を吐き出しながらふとツヨシは窓の外を眺める。どんよりとした灰色の雲が、落し蓋のように空を覆っている。植木の葉はすでに散り、こんこんと降る雪が白く化粧をしていた。そんな外の寒さも、この部屋では無縁だ。暖炉にくべられた薪は時折パチリとはぜながら、この部屋を暖めている。
こんな景色も、元の世界ではそうそうお目にかかれなかっただろう。そんな感慨に浸っていると、ドアの向こうからドサリ、ドサリと人が倒れる音がした。
「……来たか」
ぼそりと呟いて、ツヨシはドアへと向き直る。直後、ドアがけ破られ、ボロボロのマントを羽織った傷だらけの男が一人、入ってきた。
「やあ京助。久しぶりだな」
「久しぶりというには、隠れすぎだな。おかげで、俺の親友をこき使う羽目になった」
ツヨシの明るい言葉とは対照的に、ケースケが吐き捨てた言葉には殺伐とした色が含まれていた。
金回りが悪くなった最大の原因が、ケースケによる複数箇所の拠点の襲撃である。この結果、組織のネットワークがマヒし、混乱を引き起こすことになった。たかが単独の襲撃であったにもかかわらず、いくつも拠点が破壊されたことを考えると、ツヨシはいっそケースケの強さを賞賛したい気分にでもなるのだった。
「まあ座れよ。俺はお前を待っていたんだ。積もる話もあるだろう?」
そんな気分のまま、ツヨシはケースケに座るよう促す。
だが、ケースケはその誘いには応じず、立ち尽くしたままだった。と、不意に彼の右腕が動いた。懐へと入ったその手は次の瞬間には手裏剣を握っており、そのままツヨシへと投げられる。
一直線にツヨシの喉元へ迫る手裏剣は、だが標的の皮膚を貫くことすらできずに地面に落ちた。
それを見たケースケは即座に二投、三投目の手裏剣を投げる。それらは心臓、肩口を狙ったものであったが、いずれもツヨシには刺さらず、カランカランと音を立てて落ちる。
「なまくらじゃ俺のスキルは抜けないさ。俺の『筋肉操作』なんて脳のないスキルでもな」
「……チッ」
「そう焦るな。お前に話は無くても、俺はあるんだ」
ケースケがソファに座りはせずとも、ひとまずは戦意を抑えたのを見てツヨシは話し始める。
「話ってのは簡単だ。京助、俺の部下になれ」
ツヨシは端的に言った。
「……」
ケースケはそれを顔色一つ変えずに聞く。
「大地はともかくとして、祥子を失ったのは痛かった。あいつは有能だったし、身の程もわきまえていた。だが、彼女に代わる逸材が現れた。それがお前だ」
ツヨシはパイプに口をやると、口いっぱいに煙を吸い込み、フーッとケースケへと吹きかける。
「今入れば、幹部の席を用意してやる。実働部隊として出てもらうが、その分報酬も用意する。あのクソみたいなギルドとは天と地の差の待遇だぞ」
「……今になって、それを言うのか?」
初めて、ケースケは口を開いた。その、ともすれば恨み節ともとれる言葉を、ツヨシは鼻で笑う。
「あの時のお前は価値が無かった。だが、今のお前には価値がある。たったそれだけの話だ」
悪びれもせず言うツヨシに、ケースケはスッと目を細める。
「俺がお前の組織に入ったとして、何かメリットはあるのか? お前はアーリエを捕らえるのを諦めるのか?」
「いいや」
ただの一瞬も迷うことなく、ツヨシは断言した。
「アレはいい素材だ。俺の子供を生ませて捌けばいい商売になるし、音の魔導具は人気なんだ。随分先の話だというのに、もう多くの注文が来ている。今更はいそうですかと諦めるわけにはいかない」
ツヨシはさも当たり前のことのように語る。一片の罪悪感も、その顔には浮かんでいない。
「なら交渉決裂だな」
「まあ、そうすぐに結論をだすな。京助、なんでお前はあのガキにこだわる?」
「アーリエは、俺の娘だからだ」
そこでツヨシはブッと噴き出した。
「む、娘ぇ!? ブフッ……ブハッハッハ!!」
そしてゲラゲラと笑い始める。そうしてひとしきり笑った後で、なおも笑いをこらえながらツヨシは言葉を継ぐ。
「な、なあ京助! ブフ……この世界について、考えたことはあるか!?」
「なに?」
「この世界はなぁ、夢なんだよ。交通事故で死んだ俺たちに与えられた夢なのさ。元の世界の因縁断ち切って、特別な力を与えられて、好き放題できる、そんなパラダイスのような夢だ! そ、それをお前……血も繋がってないのに……ブフ……娘って……ブハッハッハッハ!!」
そこまで一気に言い切って、再度ツヨシは笑い始める。
そんな彼をケースケは冷ややかな目で見る。
「なら、その夢を覚まさせてやるよ」
同時に、場の空気が雪降る外よりもなお凍りつく。
「ブハハ……ふぅ。なら交渉は決裂、でいいんだな」
余裕たっぷりにツヨシは立ち上がる。ケースケは両手に手裏剣を出し、構える。
「……俺は確かに現場に出ることは少ないが……」
戦意を高めるケースケを前に、なおもツヨシは笑う。
「俺は祥子より強いんだぜ?」
と、ツヨシの体が膨張する。巨大化した体についていけずにはじけ飛んだ服の下から、筋肉の鎧のごとき異様な肉体が現れる。
「おらぁ!!」
先ほどまで自分が座っていたソファを掴むと、ツヨシはケースケへと投げつける。素早くそれを躱しながら、ケースケはまた手裏剣を投げつける。だが、当たり前の如く筋肉に弾かれる。
「無駄ぁ!!」
自らの筋肉を誇示するように、ツヨシはゆっくりと歩みを進める。ケースケはジリジリと下がっていたが、決して広い部屋ではない。すぐに背中に壁が当たる。そんなケースケを追い詰めるようにツヨシは悠然と歩くのだ。
これこそが、ツヨシにとってたまらない瞬間なのだ。困難は好きではあるが、それはこの瞬間を味わうためといっても過言ではない。もっといえば、乗り越えられる困難こそが、大好きなのである。
「さあ、もう逃げ場はないぞ……」
久しく感じていなかった高揚感を胸に、ツヨシは勝ち誇る。一たび拳が当たってしまえば、人ひとり肉塊に変えることなどわけ無いことである。願わくば、より楽しめる困難であってくれと思いながら、ツヨシは全力で拳を振るう。
ドガァン!!
その拳はケースケの代わりに壁を粉砕した。ケースケは壁を蹴り、三角飛びの要領で宙を飛ぶことで攻撃を回避する。そのまま、ツヨシの背後に回り込んだ。
「逃げ回るのだけは一人前だな!」
凶悪な笑みを浮かべながらツヨシは振り向く。その眼に入ったのは、全力で何かを振りかぶるケースケの姿であった。
トン
ケースケの投擲したのは、自身最大の武器である直刀であった。手裏剣とは一線を画す切れ味を誇るその刃は、ツヨシの胸に突き刺さった。
「ブ……」
だが――
「ハッハッハッハッハ!! 何をするのかと思えば芸のない! お前がどれだけ頑張ったところで、俺の血の一滴すら流させることはできないのさ!!」
確かに直刀は突き刺さった。だが、肉に多少食い込んだだけで、ツヨシにダメージを与えることは無かった。
ツヨシの嘲笑を受けながら、ケースケはそんな彼に冷笑を返す。
「所詮、お山の大将だなお前は」
「は?」
ケースケの言葉は、ツヨシには負け惜しみにしか聞こえなかった。だがふと、ケースケが何かを握っていることにツヨシは気がつく。
目を眇めねば見えぬほどに細く時折きらめくそれは、ケースケの手から一直線延びている。その端は、直刀に結び付けられていた。
「な――」
「終わりだ」
危機を抱くより早く、ケースケのスキルが起動した。彼の握るワイヤーに流れた静電気は、直刀を通じてツヨシの体内へと伝い、スキルによる制御され真っすぐに心臓へ到達した。微力な静電気に人を殺すだけの力は無い。だが、心臓の動きを狂わせるには十分な出力であった。
「が……――」
心臓の痛みに、思わずツヨシは膝をつく。心臓は筋肉ではあるが、彼はそれを操作する訓練をしてはいなかった。加えて意識が遠くなったことで、まともにスキルの制御もできないようにもなっていた。
「お前は確かに強いんだろう。だが、あまりにも実戦経験がなさすぎた」
ケースケは平坦な声でそう言いながら、ガツンとツヨシの顎を蹴り上げる。ダメージは無い、だが体の制御が効かないため、なすすべなく仰向けに倒れる。ケースケはツヨシの胸に残る直刀の柄をがっしりと握った。
「夢が見たいのなら見せてやるさ。二度と覚めることは無いけどな」
「ぐ、け、京助えぇぇ……!!」
「お休み……」
目を真っ赤に充血させて、ツヨシは絞り出すように声を上げる。だが、それ以上呪詛を吐く前に、ケースケは直刀に全体重をかけた。
鋭いその刃は、筋肉の鎧を少しずつ突き進み、心臓を貫いた。
「ガハ……」
大きく目を見開いたまま、ツヨシは息絶える。その表情は、まさに信じられないとでも言いたそうなものであった。
ケースケはツヨシの死に顔を一瞥すると、暖炉から火のついた薪を取り出す。そして、部屋に火を放つとすぐに脱出した。
ツヨシの体とともに、屋敷は燃え落ちていく。その様を見届けたケースケはそっとその場を後にした。なぜだか、苦いものがこみ上げてくるように感じた。




