32 暗殺者の長 2
「グ……」
思わず片膝をつく。痛みに意識が朦朧とし、視界がかすむ。だが、その視界に、自らに迫る黒い影を捉えると、ケースケはそれらをこらえ、死力を振り絞って後方へ転がる。
先ほどまでいた場所に、ザクリ、と勢いよく刃が振り下ろされた。
間一髪で避けたケースケであったが、刻一刻と腹部から血が流れ出ており、急速に体から力が抜けていくのを感じていた。
ケースケはとっさに、身体操作へと切り替える。それと同時に、反撃のパターンを組み、即座に実行する。
わき腹に穴を開けられたとは思えない俊敏な動きで、スカーに向かって直刀を振るう。一切出し惜しみ無しの鋭い剣閃だ。
だがスカーは、それを上回る速度で剣を握るケースケの右手首を蹴り上げる。直刀がクルクルと宙に舞い、後方へと突き刺さった。
「こなくそ!」
ケースケはしかし、その瞬間から再度攻撃パターンを組みなおす。
腹部、そして右腕にひどい痛みを感じるが、そもそもこの技は体を無理やり動かすためのものである。こんなことでひるんではいられない。
左拳を握りしめ、入力したパターン通りに攻撃を仕掛けた。
それすら、スカーは容易く回避する。そこでケースケは、自分の致命的なミスに気がついた。
ケースケの攻撃を避けたスカーは、そのままがら空きの左腕に拳を叩きこむ。
「――……!!」
たたらを踏んで下がったケースケは、そのままうずくまった。うめき声を上げることすら苦痛に感じるほどのダメージを、彼は感じていた。同時に、一瞬ムキになった自分に対する憤りも覚えていた。
彼の必殺技の一つ、身体操作による高速連撃は、その性質上発動に一瞬のラグがある。この技は、反射運動を応用することで脳を介さない高速攻撃を可能にしているが、その発動自体は頭で考え、実行する必要がある。なので、必殺技の発動自体は脳みそを介すが故のラグが発生する。
そしてこの技には一つ弱点がある。それはパターンを実行し終えるまで、その通りに体が動き続けるというものだ。もちろん、ケースケはこの弱点を把握しており、対策も考えている。実際にはパターン実行中でも、新しいパターンを入力すれば動きを書き換えることができるのだ。しかし、その命令が脳から発し伝達されるまでは体は前パターンの動きをしている。
この結果、動作切り替えのほんの一瞬だけ、ケースケが自分の動きに干渉できない瞬間が生まれる。本来であれば、それは隙と言えるようなものではないし、その一瞬も、ケースケの熟練に従ってどんどんと短縮していった。
確かに敵は手練れ。だが、それにしても、この隙を狙われるなど考えたこともなかった。それだけ、練り上げた自信の必殺技だった。すでに一度攻略された技を、安易に使うべきでは無かったと思うも、あとの祭りだ。
「――ペッ!」
口にせりあがってきた血を吐き出し、ケースケは即座に立ち上がる。動くたびにわき腹から血が噴き出すが、そんなことに構ってなどいられない。このままでは、失血死するより先に殺されるのだ。
なおも油断なく襲いかかってくるスカーに対し、ケースケは必死の対応をする。高速連撃こそ避けられたが、それでも脳みそが生きている限り、動けはする。ただ、動けるというだけで、反撃の目が見えなかった。
身体操作の隙と言えないほどの隙を、スカーは的確についてくる。なんとかかんとか、紙一重の紙一重、といった様子でそれを避けることはできるが、常に後手を踏まされている状態であった。
さらにまずいのが腹部の穴である。すでに大量の血が流れている。いまなお意識を持って戦っているのが奇跡のようなものである。スキルの代償、そして失血。限界が来るのは自明の理であった。
幾度目かの攻撃を避けたのち、ケースケは身体操作を誤り、足をもつれさせる。動作の遅れがそのまま死に直結するこの状況に置いて、足をもつれさせ、バランスを崩すというのは致命的だ。
そして、当然の如く、スカーはそれを見逃さない。ここぞとばかりに、一気にトドメを刺そうとする。
「ハアア!!」
空気を震わせる気合とともに、奏が割り込んできた。鋭く踏みこみ、薙ぎ払うような蹴りを放つ。ケースケとの戦いに集中していたのか、スカーはその攻撃をギリギリで回避した。
「京助くん!」
ケースケの朦朧とした視界に、戦意をむき出しにした奏の顔が映りこむ。それに少しばかりの勇気をもらったケースケは、それはおくびにも出さずに礼を言う。
「すまん……!」
間が空いたその隙に、奏はケースケの肩をしっかりと抱いて、立たせてやった。
「大丈夫?」
ゆらりと構え直す、幽鬼のごときスカーから目を離さず、奏はケースケに聞いた。もしスカーが消耗していたとしても、単独で倒せると思えるほど、彼女はうぬぼれてはいない。ただ、二人で戦えば倒せる、と思うことがうぬぼれでなければだ。
「……分かってるさ。次で最後だ……」
ケースケは顔をしかめながら言った。彼としても、体力は残っていない。顔面は血の気が抜け死人の如く蒼白で、息も絶え絶えだ。なればこそ、もう一度全身を強化し、その一撃に賭ける。そうするより他にないと考えていた。
「トドメは任せたわ!」
「了解……!」
奏は一気に踏み込んでスカーとの距離を潰し、小刻みに突きを放つ。あくまで自分は前座、ゆえにスカーの隙を作ることに徹する。
刻み突きは彼女の拳の中でも最も速い攻撃であるが、スカーには当たらない。速射砲のような突きの中を、彼は容易くかいくぐる。
「このぉ!!」
やけくそ気味の右拳も、当たれば顔を吹き飛ばす威力であろうが、今更スカーに当たるはずもなく。そして、スカーは奏の懐に潜りこみ、攻撃の体勢にはいる。
ダン!
ケースケが地面を蹴ったのは、その瞬間だった。獲物を狩る瞬間、それが最も隙ができる瞬間であると、ケースケは理解していた。だからこそ、彼はこの瞬間に賭けた。
瞬きする間もなく、ケースケはスカーへ肉薄し、比較的無事であった左拳を繰り出す。
「ヒュ……!」
一瞬、空気を裂くような、そんな息をスカーが吐いた。同時にぬるりと、影のように拳を避ける。まさしく神業の域であった。そのまま、体勢が崩れた状態で、スカーは奏から標的を変え、ケースケへと反撃しようとする。
もしかしたら、彼の直観が告げたのかもしれない。この男は危険であると。仕留めるならここであると。そして、刹那の後、彼はそれが正しかったことを知った。
「……俺たちの勝ちだ……!」
ケースケはぼそりと呟く。その言葉と同時に、スカーの口元から血が流れた。
ケースケはスキルを起動して、スカーの体に今度こそ静電気を叩きこみ、継戦能力を奪う。体の自由を失ったスカーは、声も上げずそのまま地面に倒れた。
倒れたまま動けないスカーを確認して、ケースケは右手に握った透明の刃を引き抜いた。
「……やったの……?」
信じられないといった声音を、奏が漏らす。作戦はいたって単純であった。
奏は加勢する直前、弾き飛ばされていたケースケの直刀を拾いスキルを用いて透明化した。それを、ケースケを助け起こす際に彼に渡し、敵の虚を突く。
単純極まりない、そんな作戦。そもそも土壇場であったので打ち合わせすらしていない。それでも決まったのは、スカーがそれだけ消耗していたからだろうか。
ケースケは一息つくと立ち上がり、再度直刀を構える。そして、横たわるスカーを見下ろした。
「…………」
スカーは何も言わない。ただ、沈黙するのみだ。喋れないのか、喋らないのか。
「……」
だからこそ、ケースケもまた言葉を発さず、まっすぐ心臓へと刃を突き立てた。ゴボリと、スカーの口からおびただしい血があふれ出てくる。そして、スカーの瞳は色を失った。
「……よし、行こう」
ケースケは少しだけ、息絶えたスカーを見、それからくるりと振り返って言った。目的を達成したわけではない。ここでアーリエを連れ出せねば本末転倒だ。
「ええ……」
奏も、撃ち抜かれた肩を抑えながら、頷いた。
そうして、彼らは先へ進む。ケースケは歩き出しながらも、先ほど見たスカーの顔を思い出し、すぐに頭から振り払った。
薄暗闇に残されたスカーの遺体。しわくちゃのその顔は、なぜだか笑っているように見えた。




