30 潜入
夜の闇の中、輝く満月の明かりの中を、二つの影が走っていた。ケースケと奏である。彼らは今、アーリエ奪還のためバース邸に向かっているのだ。
夜中とはいえ全く人通りが無いわけではない。だが、ただならぬ様相で走る彼らを、道行く誰もが気にも留めなかった。それは、奏の持つスキルに由来する。
「本当に見えてないものなんだな」
ケースケは感心したような声を上げた。彼は今、奏と手をつなぎながら一緒に走っている。当初こそ、小さな子供みたいで何とも言えない気分にさせられたケースケであったが、自分も奏のスキルの影響に入ったことを知るとすぐに手のひらを返した。
「私のスキルは『透明』だからね、これくらいは出来て当たり前よ。それより、手を離さないでね。離した瞬間、見えるようになるから」
奏は少し得意げにふふんと鼻を鳴らした後、すぐにケースケに注意を促す。
彼女のスキル『透明』は、文字通り自分の姿を透明にして見えなくする、というものである。さらに、スキルの扱いを習熟した結果、物質の透明化や、無機物の透過なども扱えるようになっていた。鋼鉄製の手甲を出現させたり、屋敷から脱出したのはこれら能力によるものである。追手から逃れるのにも活用した。
だが、逃走、潜入など、非常に有用なスキルではあるものの、痕跡全てを消すわけではない。実体はそこにあるし、ケースケのレーダーに捉えられるなど、隠ぺい能力は決して万能ではない。彼らが夜に行動を始めたのは、それが理由であり、決してスキルを過信しない奏の慎重さが現れていた。
しばらく通りを走ると、その先にバース邸が見えてくる。基本的に夜が来れば闇に包まれるこの世界において、バース邸はもとの世界もかくやというほどに明かりが灯されていた。まるで元の世界における田舎のコンビニのように目立っている。
「これは目が痛いな。お前を警戒しているのか?」
「必ず助けに来るって言っちゃったしね。それに、時間もないって言ってたから、私たちが今夜にでも仕掛けてくることは、読んでいるはず」
植込みの影に隠れながら、彼らは小声で話し始める。
「なるほど。ウルク家の当主は間抜けと聞いていたが、案外そうでもないんだな」
妙なところで感心するケースケに、奏は眉をしかめながら首を振った。
「残念ながら、現当主はただの間抜けよ。ただ、彼の後ろに控えている……ウルク家暗殺者集団のスカーと呼ばれる男は違う」
一呼吸おいて、彼女はスカーについての所感を話し始める。
「たぶん、黒装束のトップで相当の手練れ。ついでに、魔法使いだと思う。ただの突きで、鋼鉄の手甲を砕けるのは、尋常じゃないわ。生身で喰らえば、多分一撃で戦闘不能でしょうね」
「当たればお終い、か。出くわさないのが一番だが――」
ことの深刻さを理解したケースケは、そう呟きながら屋敷を見上げる。
「――そう言う訳にもいかないかもな。警備も随分多いし」
先ほどからレーダーで屋敷外を探っていたケースケは、警備の数の多さに嘆息する。バース家の護衛団の兵に加え、屋根の上などにも不審な影がある。恐らくウルク家の手先であろう。
「覚悟の上よ。それに、なにも正面から突破するわけじゃないし。話していた通りにするわよ」
「それなりの準備もしたしな。奇襲側なんて久しぶりだ」
「バレず、戦わずが一番なんだけどね」
「違いない」
互いに軽く笑いあった後、表情を引き締める。
「行くわよ」
「了解」
手をつないだまま彼らは植え込みの陰から出ると、そのまま屋敷の壁へ走り出す。石造りの立派な壁であったが、まるで一切の障害などないかのように、彼らの体はすり抜ける。そうして、労なく屋敷へと忍び込んだ。
「幸運を」
「そっちこそ」
一言ずつ声をかけ合うと、彼らは二手に分かれ、広い屋敷の捜索を始めるのだった。
・ ・ ・
悪趣味なほどに光る外に比べ、屋敷の中は薄暗かった。ところどころ、明かりが灯されているだけである。そんな中を、奏は急ぎ足で見回っていた。もちろん、姿は消したままである。
決して存在が消えたわけではないので、しっかりと気配を消して、しかし素早く行動する。外に待機する警備兵を考えれば、警戒のし過ぎというものは無いと考えていた。だが、いくつかの部屋を見回るうちに、彼女は強い違和感を覚える。
「……誰もいない?」
外で厳重な警備態勢を敷いているとは思えないほど、屋敷の中には誰もいなかった。警備兵どころか、使用人などの姿も見当たらない。いくら夜中だとはいえ、まだ草木も眠るほどに更けているわけではないのだ。
彼女自身、侍女の経験があるため、違和感はより一層強くなる。まるで意図的に人払いをしているようだ。
困惑しながらも、奏はゆっくりと、音が鳴らないようにドアを開くと中を窺う。そこは大広間であった。薄暗闇に目を凝らしながら、誰もいなさそうなのを確認すると、彼女はスルリと忍びこむ。
ほんの少ししかこの屋敷にいなかった彼女ではあるが、大まかな構造は頭に入っている。この大広間はいくつかの客間につながっており、もしアーリエに一定以上の扱いをするのであればここであろうと予想していた。ケースケとの話し合いによって、警備が厳重な可能性のあるこの地点は、姿を消せる奏が担当することになっていた。ケースケはその他の部屋の捜索が担当だ。
警備もいないというのに、暗闇がずっしりとのしかかってくるような錯覚を覚える。焦りからか、それとも緊張からか、それは分からない。ただの思い込みだ、そう自分に言い聞かせ、奏は一歩歩き出した。その時だった。
暗闇を裂くように、火花が散った。同時に、肩に強い衝撃と、痛みと、熱さを覚え思わずうずくまる。
「ッ!?」
喉元までせりあがってきた悲鳴を、唇を噛んでこらえる。無様に悲鳴を上げては、外の連中に気づかれる可能性があった。それは避けたい。
それと同時に、攻撃を受けたことに対する、なぜ、という疑問が沸き上がる。真昼間の砂場の上とでも言うならともかく、普通に立っていたとしても視認しづらい薄暗闇である。そんな中を、しかも透明になって見えるはずのない自分を正確に攻撃するなど、彼女にとってはあり得ない話である。
血の流れる肩を抑えていると、暗がりから、小柄な黒装束が姿を現した。スカーである。手元がはっきり見えないこの暗さでも、よどみなく手にした銃に玉を込めながら歩く。
「道具頼りとはいえ、質が落ちたものよ……。堂々と侵入してくる小娘一人、見つけられんとは……これでは我が血潮が浮かばれぬ……」
ブツブツと呟きながら近づいてくるその様を、奏は顔を歪めながら見ていた。
侮っていたつもりは無かった。だが、その結果がこれだ。己のスキルを過信しすぎていたのではないのか。
自問は尽きない。万全の状態ですら敵わなかった相手に、しかも肩を負傷した状態で相対する。万に一つも勝ち目はないだろう。そんな状況を作り上げてしまった自分に腹が立つ。
奏の前で止まったスカーは、手にした銃を奏の額に向ける。
戦え、戦え。己の中でひたすらに自分を鼓舞する。だが、すでに反撃に移るには状況が進みすぎていた。
「ではさようなら」
スカーは引き金に手をかけて言った。




