29 誰がために
「見つけた」
奏は、ある高級宿の一室のドアを開け放って言った。屋敷から脱出したときのメイド服姿ではなく、動きやすそうなラフな恰好に、左手のみ鋼鉄の手甲を身に着けている。
「探したわよ。まあ、高い装備を新調した冒険者って絞れば、居場所を特定するのは簡単ではあったけど。手間はかかったけどね」
彼女は部屋の真ん中に座る主に対して、肩で息をしながらも話しかける。
その部屋にはケースケが、栓が開けられたまま手を付けられていない高級酒と空のグラスを、ぼんやり見つめていた。彼は部屋に突然入ってきた奏をちらりと見て、ぼそりと口を開く。
「……なんだ?」
彼にしてみれば当然の疑問である。
そもそもケースケは、バース家の屋敷についたとたん一袋の金と、報酬の金額が書かれた銀行手形を渡されてお役御免になったのだ。そんな彼に、アーリエの付き人である奏が何の用だというのだ。
ケースケの態度など一切気にもせずに、奏はズカズカと部屋に上がる。そして、彼の対面にどっかりと座った。
「協力してほしいことがある」
まっすぐケースケの眼を見ながら、奏は言った。
「今更、俺に何をしろっていうんだ?」
逃げるように目をそらしながら、ケースケは首を振った。
らちがあかないという風に、奏は肩をゴキリと鳴らすと本題に入ろうとする。だが、それをケースケは手を上げて遮った。
「いや、言わなくていい。どちらにせよ、お前の話を受ける気はない」
にべもない。だが、それはケースケの気持ちの裏返しでもあった。
奏の頼みが、アーリエに関することだということは、容易に想像ができた。だが、アーリエの今後の生活のためにも、自分のような人間はもう関わらないほうがいいだろうと彼は考えていた。大体が、そのためにアーリエの頼みを断ったのだから。
これがアーリエのためだと、彼は強く思っていた。いや、思い込もうとしていた。
ケースケは立ち上がるとベッドに横たわり、まるで子供のように布団を頭まで被って言った。
「お前の話は聞きたくもない。帰ってくれ」
それっきり黙りこくってしまう。
しばらくの間、沈黙が部屋を支配する。
そうして、ふと、奏が呟くように口を開いた。
「……知ってる? アーリエってね、昔はほとんど笑わなかったの」
昔を懐かしむような、そんな口調で、彼女は話を続ける。
「私と旅した時もそうだった。一週間程度だけどね。だから私、京助くんのことが羨ましかった」
ピクリと布団が揺れた。
「あの子があんなにも感情が豊かになったのは、京助くんのおかげ。ずっと一緒に過ごした私じゃ、あの子は変えられなかった。悔しいけれど、感謝もしている」
そこで、奏はスッと立ち上がり、ベッドまで歩み寄る。
「でもね、それを奪おうとする輩がいる。あの子の成長を、幸せを奪おうとする輩がいる。私はそれが許せない。だから私はあの子を、アーリエを助けにいく」
「……」
「京助くんがもし、あの時言ったようにあの子の幸せを願っているのなら、私に協力して」
静かに、そして強い決意をにじませて奏は言い切った。そのあとで、ベッドにうずくまるケースケの体へ、そっと手を添えた。
「無理強いはしないけど……。ねぇ、京助くん。あなたは、どうしたい?」
奏の話を聞きながら、ケースケは闇の中、考えていた。
俺がどうしたいか。そんなこと、今まで考えたこともなかった。いや、考えたことはあるが、そこまでして我を張ることを、俺は無意識的に避けてきた。
機会はいくらでもあったはずだ。確実に、節目はあった。しかし、俺は何も成すことができなかった。
スキルが弱かったから、後ろ盾が無いから、組織に干されるのが嫌だったから、他人の許嫁だから、彼女の幸せのためだから。そんな老人じみた言い訳ばかりを並べ立て、結局なるようにしかならぬと諦め、あの時ああすればよかったと人生を恨んできた。
この十五年間は、ただ流されるだけの、意味のない時間であった。
そんな俺が、十五年間に意味を持たせられるのか? 何かを成せるのか? ……俺がしたいように、してもいいのか?
ケースケはのそりと布団からはい出てくる。そのままベッドのふちに座り、ぼんやりと部屋に灯るランプの火の揺らめきを眺めた。
「……いいのか?」
誰に向けられたものでもない呟きが漏れた。それに奏は、優しく彼の背中に手を当てて優しく微笑んだ。
「いいのよ」
短い、ほんの一言。だが、ケースケは思わず目元に熱いものを感じ、慌てて上を向いた。少しにじんだ視界の先には、突然顔を動かしたせいか、驚く奏の顔が見えた。
それが可笑しくて、ケースケは少しだけ笑った。俯き、そっと目元を拭って顔を上げる。その表情は、A級冒険者としてのいつもの顔へと戻っていた。
「分かった、協力しよう」
「! ケースケくん!」
奏の顔がパァッとほころぶ。そんな彼女に向かってケースケはニヤリと笑う。
「ただし、これは依頼だ。それも相当に危険だから当然、報酬を前払いでもらう」
奏は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにコクリと頷いた。
「そう、それでいいわ。私が差し出せるものであれば、なんだってあげる」
「なら、そうだな……」
ケースケは顎に手を当て考えるような素振りを見せる。だがすぐに、思い出したかのように奏に頼みごとをする。
「ところで、のどが渇いたんだが、奏。グラスに一杯、酒を注いでくれないか?」
「え、いいけど……」
突然の頼みに、奏は困惑しながら、酒をグラスへ注ぐ。それを受け取ると、ケースケはグイと呷った。
そして、タンとグラスをテーブルに置いて、しまったとばかりに手を大きく広げ、顔をしかめる。
「おおっと、これはやってしまった。うっかり、報酬を貰ってしまったな。だが、しょうがない。俺はプロだから、受けた依頼はきっちりやり遂げてみせる」
その大仰で芝居がかったケースケの仕草に、奏は思わずクスリと笑ってしまう。そして同時に、彼の気持ちも理解して呆れたように呟く。
「……素直じゃないわね」
「何か言ったか?」
「いいえ? さ、そうと決まれば早く準備しましょう。時間無いんだから」
「言われなくとも分かってるよ」
「そう? 大体、依頼の直前に酒を飲むなんて、プロ意識欠けてるんじゃない?」
「この道十五年のベテランだぜ? あの程度で酔ったりはしない」
「そ。まあ、期待してる」
「応えてみせるさ」
まるで戦友のように、ケースケと奏は互いに肩を叩きあって、宿から繰り出していくのだった。
宵闇の帳が、降りようとしていた。




