27 アーリエ 3
彼について、一番最初に抱いた感想は、真面目なお人よし、それに尽きる。
普通、いつの間にか部屋の中にいた少女の話を、曲がりなりにもちゃんと聞いて悩む人間など、そうはいないだろう。
だから私は、彼に護衛を依頼することにした。もともと、カナデと相談はしていて、もし彼女とはぐれてしまった場合は冒険者を雇うことにしていた。そのうえで、『本当のお父さん』云々は関係なく、彼は信頼できる人間であると感じたのだ。
提示した報酬は破格だとカナデは言っていた。この条件なら普通、断る冒険者はいないとも。事実、ケースケもそれを聞いたときは「すごいな」と目を丸くしていた。
だが、彼はすぐには頷かなかった。むしろ、断ろうとしているように感じられた。しかし、ケースケは少し考えて首を振ると、回答の代わりに一つの問いを投げかけてきた。
「……なんで、俺を頼ってきた? 他に優秀な冒険者なんて、いっぱいいるだろうに」
私は思わず動揺してしまう。二つ返事で受けてもらえると思っていたからだ。それに、なぜ彼を頼ったかなどいえるはずもない。母が恋い焦がれていた私の『本当のお父さん』だから、だなんて。しかも、母と彼が出会ったのは、もう十年前の話なのだ。
継げる言葉もなく俯いていると、ケースケはため息をつき、依頼を断ると言った。危険の伴う話だ、当然だと思う。
ただ、納得する気持ちと同時に、一つの感情がそっと芽生えた。先ほどの質問は、彼の優しさだと感じた。答えられていれば、あるいは依頼を受けてくれたかもしれない。
そんな甘えが表に出てしまったのだと思う。私は、まるで娘が父親にねだるように、彼にお願いをしてしまった。
それを断られたとき、あまりの羞恥と、幻想にとりつかれた自分に嫌気がさして、思わず外へ飛び出してしまった。
……あの日のことを、私は忘れることはないだろう。
なぜか私を心配して迎えに来てくれたケースケは、ウルクの黒装束に囲まれてしまう。私は、彼は関係ないと言ったけど、黒装束は意にも介さなかった。ケースケは、依頼を受けてもいないのに、不敵に笑いながら私を守るように彼らに立ちはだかった。
巻き込んでしまった。彼らが激しい戦いを繰り広げる中、私はその場を動けず、ただ自己嫌悪に苛まれていた。それもあって、背後から突然現れた山賊に、なすすべもなくさらわれてしまった。
洞窟へ連れ込まれ、拘束されたとき、私はもう諦めの中にいた。結局、外に出ても、私がどこかへ売られるという運命は変わらないらしい。ただ、兄が山賊に変わっただけだ。
一応、貴族らしく強がってみるけど、山賊たちには鼻で笑われただけだった。それもそうだろう。なにせ、ここは彼らの縄張りで、私は何一つできないのだから。
ケースケのことを考える。彼は無事であっただろうか。そうであるなら、気休め程度でも気が楽になる。もはや会うこともないだろうが。
ふと、考える。もしここにいるのが私でなく、そう、例えば母であったら、彼は助けに来たのだろうか。そう考えると、誰かに必要とされる母がたまらなく羨ましく感じた。その気持ちは、そのまま願望となって口から漏れ出てしまう。
あっという間に、山賊たちの間に嘲笑の渦が広がった。当然だと思う。あまりに荒唐無稽であるからだ。いったい私は、いつからこんな、恥も外聞もない考えを抱くようになってしまったのだろう。
そして、ケースケが助けにきてくれたとき、私は夢でも見ているのではないかと思ったのだ。なにせ、彼に利が無い。わざわざ危険を冒してまで、私を助けに来てくれる義理もない。それでも、彼は助けに来てくれた。私を依頼主と言ってくれたのだ。
「アーリエ」
ケースケの声が煙の中から響く。その声音には、柔らかいものを感じた。抱き上げられた私はお礼を言って、言質を取ったと不敵に笑った。物語の貴族のお嬢様は、どんな時でも余裕を崩さない。だから私もそうしたのである。
すると、ケースケは呆れたような、しかし優しい笑みを浮かべるのだ。受け入れてもらえた、その時の私はそう思った。
洞窟から脱出すると、私のお腹が無様に鳴った。これではお嬢様失格だ。なんて考えていると、彼は袋からパンを取り出し私に差し出した。このときのパンは、それまでの人生で最も温かいパンだった。決して、パンそのものが温かかったのではない。それを食べると、どうしようもなく心が温まるのだ。
彼の背中におぶってもらったとき、私はほっとするような、そんな安らぎを覚えた。お姫様も勇者もいないだろうけど、その時から温かい家族だけは信じるようになった。
結局、ケースケは依頼を受け、一緒に目的地を目指すことになった。その間、彼は私の“パパ”と名乗るらしい。色々と複雑な思いもあったが、正直なところ嬉しかった。
ケースケとの旅は、カナデの時以上に驚きの連続であった。テリー(私とケースケで考えた、六足獣の名前だ)の上から見た広い世界も、夜襲いくる怪物たちも、道中の何とも言えない味の食事も。それは、これまで私が知りえなかった世界、彼の言うところの『ホールニューワールド』というやつだ。
新しい体験を、いくつも味わった。父のぬくもりというものも、親からの贈り物も。たとえ真実親子でないとしても、それは私にとっては世界が変わるほどに嬉しいものであった。
だからだろう。私が、目的地の詳細をケースケに話さなかったのは。
この旅を続けたい、新しい体験をもっと味わいたい、このぬくもりを――手放したくない。今まで、それこそ十年間容易に抑えることのできた“欲求”というものを、私はこの数日ですっかり抑制できなくなってしまっていた。
「目的地を教えてくれないか」
彼がそう言うたびに、私は「隣国に入ったら教える」と突っぱねた。少しでも長くこの旅を続けたいことに加え、もし彼が私の素性を知ったら、私の“パパ”では無くなってしまうのではないか。そんな恐怖もあった。
彼は、私が突っぱねるたびに、困ったように笑うのだ。けれど、決して無理強いはしなかった。
それが、結果として彼に大怪我をさせてしまった。テリーは死に、ケースケも瀕死の重傷を負った。
それが、森での一件につながった。命の恩人は、私たちのせいで死にかけた。
私のわがままのせいで、彼らの命を危うくしたのだ。私が素直に目的地を告げていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
そして、最も嫌なのは、それでもケースケとの旅が少しでも長引いたことを嬉しく思う私だ。そんな自分の浅ましさには、反吐が出る。
森を抜けて草原へ出た時、私は町へ向かうのがたまらなく嫌だった。それでも言わないわけにはいかなかった。あの町が目的地だと。どうせ、遅かれ早かれ分かることなのだ。
私は、ケースケに手を引かれながら、その顔をちらりと見た。寂しそうな表情であった。これが私との別れを惜しんでると、うぬぼれたかった。いや、実際うぬぼれた。
でなければ、誰があの夜、彼に“お願い”ができようか。
ケースケからもらった服を着て、大きな不安とほんのちょっぴり……いや、ごまかすのはよそう。楽観的なほどに過度な期待を持って、私は彼の部屋を訪ねた。カナデはあの時、自分のしたいことをすればいいと言った。私にとっては、ケースケに“お父さん”になってもらうことが、自分のしたいことだった。
ノックをするが、返事が無かった。ゆっくりとノブを回すと鍵はかかっていなかった。私はそっと、部屋の中に入り込んだ。
彼の部屋は暗く、ランプの灯りがチラチラと揺れているだけだった。テーブルと酒瓶の横で、ケースケはソファに埋もれてこちらを見ていた。その表情は判然としなかったが、薄暗闇の中に瞳だけがらんらんと光っているように見えた。
そんな彼のもとへ、私は恐る恐る歩み寄り、その前に立った。
今から言おうとしていること、受けれいてもらえればという甘い考えと、断られてしまったらという不安。全身が得体のしれない冷えを感じて、凍り付いてしまいそうだ。
だからこそ私は、自分の、貴族の娘という役割をかなぐり捨てて、まるで娘のようにわがままを言った。そうでなければいけないと、そう思ったからだ。
「私の……お父さんになって……?」
彼は、驚いたように目を見開いた後、しばらく沈黙する。そして、口を歪めて笑ったのだ。
「悪いが、子守はもうゴメンだ」
その言葉は、私の頭に金づちのように振り下ろされた。
ああそうだ。結局、私はうぬぼれていたのだ。でなければ、こうもショックなど受けない。
考えてみれば、当然のことだ。
ケースケから与えてもらってばかりだった。守ってもらえることが、必要とされていると感じられて、それが嬉しかった。初めての“パパ”からの贈り物は、自分が彼の娘であると錯覚するには十分であった。こんなところで、やはり私は母の娘なのだ。自分のウソに、騙されてしまう。
それに引き換え、私は彼に何を与えた? 与えられたのなら与えねば。関係は双方向でなければ――一方通行ではいずれ終わってしまう。至極当然の摂理だ。それさえも、ウソで覆い隠してしまっていた。気がつかないようにしていた。だって、私が彼に与えられるものなんてない。
「………………そう。そう、よね…………」
ならば、せめて彼の役に立つのなら。
依頼を達成して、ケースケに報酬を出し、早く彼から離れることしか私にはできない。それでも、できることがるのなら、できる限り早く、やらねばならない。
「……じゃあね、ケースケ。……今まで、ありがとう」
夢はもう覚めたのだ。
・ ・ ・
「やぁアーリエ! 初めまして、だね。君の祖父、デビット・バースだ」
髪がすっかり白くなってしまった老人が、私とカナデを出迎える。曰く、私の祖父、母ナターシャの父とのことだ。
あの夜から数日後。私と護衛の一団は、バース邸にたどり着いていた。その間、ケースケとは会っていない。旅の間の癖で、自然と彼の姿を探しそうになるけど、そのたびに自分を戒めている。
バース邸は、貴族の屋敷にしては随分と質素、悪く言えばガランとしていた。まるで私が暮らしていた別邸のようだ。ここで、私はまた『人生』を過ごすのだろう。でも、分かっていたことではないか。人の一生は、得てしてそういうものだと。
「ところで、だ。早速だが君に会わせたい人がいるんだ。ついてきなさい」
なんだろう。思わずカナデと目を合わせる。カナデも困惑しているようだ。
屋敷をどんどん歩いていく祖父、デビットの後ろ姿は、何か焦っているように見えた。
「ここだ。さぁ、入りなさい」
口調に反して、有無を言わさず部屋に入らされる。そして、私は言葉を失った。カナデが呆然と「なんで……」と呟いているのが聞こえた。
「やぁ我が愚妹よ。手こずらせやがって」
部屋には、真っ赤な風船のような顔をしたエイジム・ウルクが、あくどい笑みを浮かべて座っていた。
明日も夜更新になります。
一応、割烹にて、今回三話の言い訳を乗っけてます。
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