26 アーリエ 2
「ナターシャ様の言う、『本当のお父さん』の目星は、既についております」
出発してしばらくしたころ、カナデはそんなことを言った。
随分と手際のよいことだ。一体どのようにして見つけたのか、そう聞くとカナデは苦笑いしながら目をそらして言った。
「その……まあ随分と特徴的な人物でしたので……」
確かに、母から聞かされた話であると、容姿に特徴がある。カナデのような黒髪黒目という特徴は、この大陸ではほとんどいないと本に書いてあったし、それでいて曰く精悍な冒険者の男で、年齢も大体わかっている。そんな人物であれば、確かに見つけやすいのかもしれない。
そんなものかと私が呟くと、
「そんなものです」
と、カナデは笑って言った。
これからどうするのかも、カナデから聞いた。
「この国では、ウルク家の力も強いですから、見つかってしまう可能性は高いでしょう。ナターシャ様の生家、バース家には、すでに話をつけておりますので、最終目的地は隣国のバース邸となります」
本当に、手際が良いことだ。そういえば、たまに姿が見えない時があったが、その間にすべてこなしていたのだろうか。
「『本当のお父さん』こと冒険者ケースケは、ここから村を二つほど超えたところにいます。ちょうど進路上なので、ちゃっと会っちゃいましょう」
ケースケ。それが、母の言っていた『本当のお父さん』。彼は、私を見て何を思うのだろうか。迷惑そうにするのか、それとも……父親のように接してくれるのか。いや、それは流石に期待のし過ぎであろう。
そんな私の不安を感じ取ったのか、カナデは力こぶを作ってポンと叩きながら、朗らかに笑う。
「大丈夫ですよ。変な奴なら、私がこの手でぶっ飛ばしてやります!」
頼もしいことだ。そう言うと、カナデは自信ありげに胸をそらし、「任せてください!」と意気込むのだった。
彼女との旅は、新鮮なことばかりであった。先が見えないほどの地平線も、行き交う旅人たちも、様々な香りを運んでくるそよ風も、全てが私にとって初めてのことだった。歩きすぎて足のマメができた時も、その痛みすら、小さな感動を覚えたくらいだ。
そんな旅が、一週間ほど続いた時だった。
「お嬢様! 追手です!」
移動中に、突如として黒装束に襲われた。これが、母の言っていた暗殺者集団なのだろう。
私をかばうように、カナデは黒装束と相対する。いつの間に身に着けていたのか、鋼鉄の手甲をガチリと打ち鳴らし叫んだ。
「話しておいた、例の町で落ち合いましょう! 少し行けば、冒険者の町があります! 早く、行って!」
カナデの言葉通り、私は全力で背を向けて走った。残ることが足手まといになることが分かっていたからだ。激しい戦闘音が聞こえてきたけれど、決して振り返ることは無かった。
町についたのは、日がすっかり沈んでからだった。
カナデに注意されたことを思い出す。外では、暗くなると一気に治安が悪くなる。だから、十分に気をつけるように、と、そのようなことを言っていた。
警戒しなければ。
最大限の注意を払って、大通りを進む。人通りがまばらにあるとはいえ、月明かりと少々の明かりを頼りに進むのは、なかなかに勇気がいった。
「うぅ~~クソォ……!」
突然の大声に、ビクリと体が震えた。何事かと慌ててそちらを向くと、一人の酔っ払いがフラフラと歩いていた。
月明かりの下、ぼんやりとしか見えない中で、しかし私は一目で分かった。この人が、母の言う『本当のお父さん』、冒険者ケースケなのだと。
闇に溶け込むような黒髪黒目、年季の入った装備、そして無精ひげと酔いに埋もれてはいるが、確かに精悍そうであった顔。こうもあっさり、目的の人物に出会えたことに、私は驚きを覚えた。ただ、付け加えるなら、この人大丈夫かな、なんてことを思った記憶がある。
ともあれだ。どちらにせよ、素面の彼と会うことが目的だ。せっかくだから、宿までついていってしまおう。そんなことを思って、私はケースケの体を支える。
「おお!? 誰だか悪いがすまんなぁ……」
酔っ払っていても、礼を言える程度の礼節は知っているらしい。聞いていた通り、真面目な性格なのだろう。
ただ、酒臭いのはかなわない。それに重い。こうなれば、さっさと運んでしまうのが吉だ。
宿の位置を聞くと、
「ああ、止まり木亭ってとこだ。あっちだ」
恐らく宿の名前と、そして適当な方角を指さし、ケースケはうつらうつらとし始める。結局、その方向へ引きずっていく羽目になってしまった。完全に寝ているわけではないのだろうか時折思い出したように歩くが、すぐに力を失ってしまう。何度転びそうになったか分からない。
十数分をかけて、ようやく止まり木亭にたどりつく。ノックをすると、厳ついおじさんが顔を出した。
「おぉ? 嬢ちゃんどうした……て、ケースケ!? まぁた酔っ払ってんのかおめぇ」
私を見て驚いたような顔をしたけれど、すぐにケースケを見て呆れる。
ケースケを運ぶから、部屋を教えてくれと頼むと、おじさんは訝しがりながらも案内してくれた。ついでに、ケースケも持ってもらえた。
「ま、変なことはすんなよ。それと、水はここに置いとくからな」
おじさんに釘を刺される。確かに、夜に冒険者を支えた少女が現れるなど、怪しいにもほどがある。ただ、それでも部屋まで案内してくれたということは、ある程度信用されたのか、それとも何もできないと判断されたかのどちらかだろう。
窓から射しこむ月光を頼りに、じっくりとケースケの顔を見る。母の話が正しければ、そろそろ三十のはずだが、それにしては若く見える。相当の歴戦らしく、薄ぼんやりとでも、顔には無数の傷があるのが見てとれた。
これが、母が心のよりどころにしていた男。どのあたりに惹かれたのか、それは分からないが、母にとっては随分と魅力のある人物だったのだろう。
部屋の隅に置いてあった椅子へ、ゆっくりと腰かける。目的を達成して、気が抜けてしまった。
カナデは大丈夫であろうか。どうも裏でいろいろと荒事もしていたようだし、多分大丈夫だろうとは思う。とはいえ、万が一を考えてしまうとやはり気が重くなるというものだ。
そのうちに、私の瞼もだんだんと落ちてくる。心配事は多くあるが、今は休憩しよう。そう思うと、一気に意識は、沼の底に沈んでいった。
・ ・ ・
ドタドタと走り回る音で、目が覚めた。窓から射しこむ光は、すでに高く上がっている。もう昼だ。
疲れからか、それとも久しぶりの屋根の下の睡眠だからか、ぐっすりとよく眠ってしまった。状況を考えれば、随分と気が抜けていると思う。コップに水を注ぎ、そして飲む。それだけで、乾いた体に活力が戻ってくる。
椅子から立ち上がり、固くなってしまった体をほぐす。カナデから教えてもらった体操で、これをすると体が良く動いてくれるのだ。
ケースケはまだ寝ている。何か良くない夢でも見ているのか、しかめっ面だ。
その顔を見た私は、ふと気になって、眉間に寄ったしわを触ってみる。谷のように深いそのしわは、それがそのまま彼の生きてきた人生を物語っているのだろうと、そんな気がした。
そうして、しばらくケースケの顔を眺めていると、彼はもぞもぞと動き出した。
「う、うぅん……」
呻き、頭を抑えながら、彼はむくりと体を起こした。「あ~……飲みすぎた……」などとぼやいている。
私はすっかりと焦ってしまっていた。こうも唐突に目覚めるなど、聞いていない。
どう接すればいいのだろうか。どう言葉をかければいいのだろうか。こんなこと経験が無い。
そこでふと、思い出す。物語の登場人物はどのようにしていたか、と。空想の理想の物語であれば、その振る舞いが、娘としての理想の振る舞いに違いない。
何度も読んだから、その場面はよく覚えている。だから真似することにした。
伸びをするケースケに、私は水を注いだコップを差し出した。
「ん、ありがとう」
彼は差し出された水を受け取り、一息に飲む。そして、少し間をあけて私のほうを向く。黒いその双眸が、困惑した色を浮かべているのがよく分かった。
「……誰?」
その疑問に私は小首をかしげ、まるで娘のように笑いかけ、言った。
「初めまして、かしら。私はアーリエ。あなたの娘よ、パパ」




