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25 アーリエ 1

一人称、アーリエ視点です


 私は、人生で一度も必要とされたことがない。


 小さいころの記憶で、一番覚えているのは、うずくまって泣く母の姿だった。


 母は夜になると部屋を出ていき、朝になるといつも顔色を青くして戻ってきていた。そして、私を抱きしめて言うのだ。


 「あなたはこの家の子供じゃない。あなたには、本当のお父さんがいる」と。涙を流し、髪を振り乱しながら。


 正直なところ、子供ながらにそれは嘘だと気がついてはいた。私は今の父と母の娘で、そこに疑いの余地はない。時系列も合わないし、なにより母のいう『本当のお父さん』の特徴を、私は何一つ受け継いでいなかった。


 だけど、そう母に反論することは無かった。それはむごいことだと思ったから。

 母だけが、自分の生み出した嘘に騙されていた。だから、私はいつも素直に頷いていた。


 魔法を父に見せなかったのも、母にそう言われたからだ。四歳くらいの頃、父の前に連れられて、魔法を使えと言われた。父は、私と同じ海色の瞳であったことをよく覚えている。


 私は母の魔法も、父の魔法も使えたけれど、どちらも使わなかった。そうすれば、母は喜んでくれたからだ。


 父には「役立たずめ」と罵られたけれど、私にとって父は、つながりがあるだけの他人、といった認識だったので、なんとも思わなかった。なにせ、初めてかけられた言葉がこれなのだから。


 それから間もなくして、私たちは父の屋敷から遠く離れた別邸に移された。母と、私と、数人の侍女。少人数での暮らしが始まった。それは本邸と比べて質素にはなったが、重苦しい空気から解放されて、むしろ楽しい生活であった。


 このとき、特に仲良くなったのが、侍女のカナデだ。母がこの家に初めて来たときに付けられた侍女で、小さい時から私の世話もよくしてくれたそうだ。彼女の影響を受けてか、あの頃は外で遊ぶことが多かった。彼女から、よく分からない格闘技を学んだりもした。今考えれば、なんと貴族らしくないことだろう。


 たまに、本邸のほうから血のつながらない兄妹たちが来ることがあった。彼らは私を見下してくるのであまり好きではなかったが、同時に哀れにも思っていた。特に二十を半分も過ぎている長兄は、頭とお腹によろしくないものを抱えているのかと思えるほどに、人間ができていなかった。

 そんな私を嫌ってか、彼らはほとんどこちらには来なかったのはありがたいことであった。


 母は、こちらに移ってからは『本当のお父さん』の話をすることは少なくなっていった。けれど、たまに本邸に呼び出され、そして帰ってくると、決まってより一層泣きながら、私にその話をするのだった。


 数年経って、母が死んだ。心労性の病だったらしい。健康的な赤い頬は青くこけ、豊満だったその体は痩せぎすって骨のようになっていた。最後に交わした言葉、あの言葉は決して忘れない。


「あなたなんて、生まれなければよかった」


 それが、母が私に言った最後の言葉だ。それを言われたとき、胸のあたりが深くえぐられたような感覚とともに、不思議と納得するものがあった。


 誰にも必要とされない。それが私の人生なのだろう、私の生きていく先なのだろう。


 母の亡骸が棺の中に入れられ、土の中に埋められていっても、涙の一つも出なかった。カナデは心配してくれたけど、他の侍女たちは、そんな私を遠巻きにするようになった。肉親が死んでも涙を流さないその様が、彼女たちには不気味に思えたのかもしれない。


 母が亡くなってから、別邸にはさらに人が減った。私と、カナデの二人きりだ。他の侍女は本邸に行ったか、やめていった。


 そのころから、私は本を読むようになった。絵空事を文字にしたような、そんな物語だ。そこには勇者がいて、お姫様がいて、そして家族がいた。姫は悪竜にさらわれ、勇者は竜を退け姫を助け、家族はあたたかな家庭を築く、そんなリアリティのないお話。


 別段、その話が面白かったわけではない。勇者の活躍には胸が躍らなかったし、姫のロマンスに心打たれることもなかったし、暖かな家族などに夢も見なかった。


 ただ、そんな話を見るたびに思うのだ。もし、母の言っていた『本当のお父さん』とが実在するとして、彼であれば、暖かな家族になれるのだろうか。物語で見るような、父親としての情愛をくれるのだろうか。私を、必要としてくれるのだろうか。


 その思いを抱くたび、いつも否であると結論づける。結局、今に至るまで、私を必要としてくれる人などいなかったのだから。


 カナデは私に良くしてくれた。彼女には感謝しかない。だが、それは彼女が侍女だからの献身だ。主である私の父が解雇してしまえば、彼女はいなくなる。


「私は、何があってもお嬢様の味方です」


 カナデはそう言って、何度か抱きしめてもらった。その気持ちは嬉しいとは思ったが、その一方で冷めた気持ちも確かにあった。


 本質的に、カナデは私を必要としていないのだ。


 そんな生活が数年続いて、九歳になるころ。


 父が死んだ。私がそれを知ったのは、彼が死んで一週間もたった後のことだった。特段興味もなかったし、あちらも私のことは気にもかけていなかったから、それもしょうがない。


 その後、兄が家を継いだという連絡があった。


 暮らしに大きな影響は無かった。カナデが後で話してくれたが、兄が家を継いだ時点で、生活費はほぼ打ち切られたらしい。それでも生活水準が変わらなかったのは、母のお金と、これまでの生活費を別口で保管していたからだそうだ。


 だからその一年も、それまでと大した違いのない生活を送っていた。本を読み、教養を高め、ときおり運動する。それをルーティンのように、ただ繰り返すだけの生活だった。


 不満があったわけではない。人生というのは、得てしてそういうものなのだ。物語のような波乱万丈の冒険など、ありはしないのだ。


 そして、その時が訪れた。


「お嬢様。今すぐ、ここから逃げましょう」


 いくつかの傷を負ったカナデが、焦った様子でそう言った。


「早く逃げないと、お嬢様は売られてしまいます。あのクソ無能が……!」


 つまるところ、兄は借金のかカタに私を売ったらしい。いつの間にか、そんな首も回らなくなるような借金をしたのかと思うと疑問が尽きないが、それはこの際、関係ない。


「準備はすでにできております。さあ、早く着替えて」


 正直、私はなんとも思わなかった。別に逃げ出したところで、何か人生が好転するわけではあるまい。それに、ウルク家には代々仕える暗殺者集団がいると、母が言っていた。逃げ出したとして、すぐに捕まるだろう。


 そんなことを言った私を、カナデは、ぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫です、お嬢様。この世界は、あなたが思うよりも、ずっと、ずっと懐が広いのです。私が、命に代えても、お嬢様を守ります。どうか、一歩を踏み出してください」


 思えば、あの時だ。私が初めて、自分で決断したのは。カナデの瞳から流れた熱い涙が、私の頬を濡らしたときに、初めて自分が何をしたいのかを考えた。


 そして、一つやりたいことに思い当たる。


「私は……私は、お母さんのいう『本当のお父さん』に会ってみたい」


 会って何かが変わるとは思えない。相手は、私の存在すら知らないだろう。


 だけれども、熱い涙で殻が剥がれ落ちた私の好奇心は、口に出してしまうと、思いのほかストンと胸に落ちた気がした。


「ええ……ええ! そうしましょう! お嬢様の心のままに、動けばいいのです!」


 そこから、瞬く間に準備を整えて、私は六年近くを過ごした別邸を後にした。


 風が強く、月の見えない夜だった。

アーリエのテーマはQueenの「Somebody to love」です。名曲です。

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