24 飲んだくれ
夜。
暗闇が空を満たしても、通りには明かりが灯され、多くの人々が行き交っている。そんな、とある町の大通りからいくらか外れた酒場で、ケースケは酒を飲んでいた。
護衛団に同行して二日。旅路は順調で、特に大きな問題は無い。あれだけ執拗に襲ってきていた追手どもも、あの戦力に真っ向からぶつかる気はさすがにはないのか、はたまた諦めたのか、ともかくとして影も形も見えない。なのでケースケは、一団の後をただついていくだけであった。
この二日間、ケースケはアーリエと話してはいない。それどころか、姿すら、まともに見てもいない。もちろん、今更どうこうしようということもないが、一か月半の生活のうちに身についた癖か、アーリエの姿をつい探してしまうのである。そして、ケースケは、そんな自分の女々しさに苛立ってしまうのだ。
宿を抜け出して飲みに来ているのもそれが原因だ。冒険者が泊まるにはもったいないほどの高級宿へ泊まれ、しかも金も払ってくれるという破格の待遇ではあったが、あまりその恩恵は受けてはいなかった。
ちびりちびりと、カウンターに座って酒を飲む。そんな彼に、声をかける者がいた。
「こんばんは~。隣、いいかな?」
「……一体何の用だ? 奏……さん」
奏だ。メイド服ではなく、ズボンにシャツ、そして外套とラフな恰好であった。主であるアーリエがいないからか、言動もかしこまったものでは無くなっている。
ケースケの威圧じみた不機嫌なセリフと、そのあとに続いた不器用な言葉のちぐはぐさのせいか、奏はクスクスと笑いながら、彼の隣に座った。
「いいよ、奏で。旧交を温めたいってのはダメ?」
店主に酒を頼みながら、奏はそんなことを言った。
無論、そんな冗談を真に受けるほどケースケは子供ではないが、かといって、いまさら奏が自分に会いに来る理由も測りかねていた。そもそもが、元の世界も含めて、ほとんど接点などないのである。
「駄目だな。そんなことでわざわざ会いに来るほど、俺に興味があるわけでもないだろう? 回りくどいことはやめて、本題に入れよ」
「別に、興味が無いわけでもないけれどね。じゃあそうするわ」
案外あっさりと、奏は頷いた。出てきた酒を受け取り、唇を湿らせてから、彼女は口を開いた。
「京助くん。あなた、アーリエお嬢様に何かした?」
その直球な話に、ケースケは思わず奏へと視線を向ける。彼の感情の揺らぎを目ざとく感じて、奏は身を乗り出して言葉を継ぐ。
「その反応、やっぱり何かあったのね。ねぇ、話してくれない?」
「何故だ?」
「お嬢様が心配だから」
彼女は強い口調で、そう言った。
「……二日前、俺が目覚めたあの日の、夜のことだ。アーリエは俺の部屋に来て、一緒にどこか遠くへ行こうと言った」
少しの沈黙の後、ケースケは静かに口を開いた。
「そして、俺はそれを断った。ただ、それだけの話だ」
そこまで一息に言って、彼はグラスを傾ける。
「ふぅん。そう、お嬢様がそんなことをねぇ……」
その話を聞いた奏は、なにやら感慨深げに言った。
「どうした? 何か引っかかることでも?」
「いや、ね。私はお嬢様が小さいころから見ているけど、そんな子供じみたワガママなんて、一回も言ってるところを見たことが無いの。もちろん、そうなったのは環境のせいもあるんだけど……」
「貴族教育ってやつか」
「それもあるけど……お嬢様の場合は少し事情が違ってね……」
そう言って奏は、少し寂しそうに酒を舐める。ケースケは、その思わせぶりな言葉が気にはなったが、もはや知ってもしょうがないことのため、突っ込みはしなかった。
「それで」
だから、奏の感傷をぶった切るように、口火を切った。
「奏。あんたの聞きたかったことは、それだけか?」
言外に、さっさとどこかへ行けと示す。そのつっけんどんな態度に、奏は肩をすくめる。
「そのつもりだったけどね。もう一つ、聞きたいことが増えた」
「なんだ?」
「京助くんはどうして、お嬢様の頼みを断ったの?」
ケースケは思わず動きを止める。そうした後、酒を一気に飲み干すと、カウンターにグラスをダンと叩きつけた。
「逆に、なぜ俺が断らないと思った? 俺は、冒険者なんだぜ?」
ケースケの恫喝である。だが、奏はひるむことは無い。
「お嬢様は、自分を嫌ってる人間になつくほど馬鹿じゃないのくらい、あなただって分かってるでしょ?」
「あいつは、ただ弱ってるから身近な大人を頼りたかっただけだろう?」
「なら、まず私を頼るはずだし、それにあの服。お嬢様は隠してたけど、大事そうに保管してあったわ。よほど大切なのね、あなたにもらった服が。いくら京助くんが鈍感でも、お嬢様の気持ちに気がつかないなんてことはないでしょう?」
「……俺に――!」
ビキリ、と。握るグラスにヒビが入った。
「なら俺に、一体どうしろっていうんだ!? あのアーリエが俺のところに来るなんて、そりゃあ精神的に参って、判断をが狂ってる以外に考えられないだろうよ!」
ケースケは思わず怒鳴る。見透かすようなことを言ってくる奏に対し、苛立っていた。
酔いと怒りが、鬱屈した感情をぶちまける、その引き金を引いた。溜め込んだそれは、次々に溢れ出してくる。
「よしんば、あいつがわがままを言っているとしてもだ! 貴族の娘として裕福に暮らすのと、冒険者の娘として貧乏暮らしをさせるのと、どっちが幸せだ!?」
「それは、あなたの決めつけじゃないの?」
「俺もお前ももう三十だ! 大体、物事のセオリーってやつが分かってくる年だろ! アーリエの将来を考えれば、今、あいつのわがままを聞くものじゃないってのが、なんで分からない!?」
ケースケの激昂に、奏はやれやれと言った様子で首を振った。
「こうして話してみて思ったんだけど、昔から変わってないのね、京助くん」
「……は!?」
突然、何を言い出すのだろうか。ケースケは一瞬、呆けたように止まる。
変わってない? そんなことはありえない。十五年前より老けた見た目はもちろん、考え方も、倫理観も、この世界に来て変わったことなどいくらでもある。それが、変わってない?
「自分主体で、でも芯が無いから流されるまま。決断したと思っていても、それは本質的に自分の意思ではない。あの世界では、私たちみんなそうだったと思うけど――」
「黙れ……」
「そうね。言い換えるのなら――」
「黙れよ……」
「京助くんには、自分が無い。十五歳のまま、ね」
「黙れって言ってるだろう!?」
ぐしゃりとグラスを握りつぶす。見透かされた、図星であったことが、なおさら彼の神経を逆なでしていた。
「だったら俺が決断すれば良かったのか!? アーリエのためではなく、自分のために! それが、あいつのためになったのか!?」
「未来は誰にも分からないけどね。少なくとも、今、お嬢様はそれを望んでいたわ」
「だったらなんだ! お前のスキルで俺を過去に戻らせてくれるのか!? ええ!?」
「それは無理ね。私のスキルはそんなのじゃないし」
「だろう!? だいたい、俺が変わってないってんなら、お前は何か変わったのか!? 俺に偉ぶって説教をする奏様には、自分があるのか!?」
ケースケは吠えた。
「あるわ。私はあの子のために生きている。それが私の決めた“自分”よ」
「……!」
そんなケースケを真っすぐに見据えて、奏は静かに、だが力強く言い切った。その目に気圧されて、ケースケは思わず何も言えなくなってしまう。
そんな彼に背を向けて、奏は席を立つ。
「でもそうね、京助くんが決断しなくて良かったわ。確かにあなたの言う通り、貴族の生活のほうが、あなたと暮らすよりよっぽどマシだもの」
そう言って、彼女は店を出ていった。
一人残されたケースケは、追いかけようと席を立ち、そして力なく座った。手のひらにグラスの破片が突き刺さり、血まみれになっていたが、彼はそれを気にすることもなかった。
PVが悲しいことになったのでタイトル戻しました……
次回以降三話は、一人称、アーリエ視点になります




