21 見えない相手
二人は草原を一歩一歩、踏みしめるように歩いていく。足取りは緩やかなものであったが、それはケースケが疲れ切っている少女をおもんばかっただけではない。
町にたどりつくことが目的だというのに、それがたまらなく嫌だと、ケースケは感じていた。それでも、この歩みを止めることは無い。なぜならば、この依頼を達成することこそが、アーリエに自分がしてあげられる、唯一のことだからだ。
少女の顔を振り返ることはしなかった。その顔を見ていると、決意が鈍ってしまいそうだったから。ただただ、目的地を一心に見据えて進むだけだ。
どれだけ嫌でも、進んでいればその時はやってくる。十数分も歩けば、町はすぐ目の前に迫っていた。
あと少しというところで、ケースケは立ち止まる。その顔からは、先ほどまで浮かんでいた感傷も悲しみも消え去っている。
「……ケースケ?」
アーリエが心配そうに声をかけてくる。ケースケは振り返らず、彼女を安心させるように頭を撫でる。だが、彼女に見せなかったその表情には、深い警戒の色が現れていた。
おかしい。町まであと二、三百メートルほどであろうが、その間には人の姿は無い。だが、彼のレーダーには明らかに人間の反応があった。
基本的にケースケは、その範囲はどうであれ仕事中は常にレーダーを展開している。それは、現在地のような見晴らしの良い草原でさえ変わらない。
そして彼は、レーダーから得られた反応を疑わない。それは十数年間、冒険者を続けてきた経験によるものであり、もはや第六の感覚といっても過言ではないほどに研ぎ澄まされた能力への、信頼によるものだった。
そんな能力を、初めてレーダーを使って以来ぶりに疑いそうになっている。なにせ、反応の持ち主が見当たらないのだ。
それでもレーダーには反応が出続け、ヒタリヒタリと近づいてきている様が示されている。
「……アーリエ。少し、下がっていてくれ」
直刀を抜きながら、ケースケはアーリエに指示する。彼女は「うん」と頷いて、後方にゆっくりと下がった。それをちらりと確認して、ケースケは全神経を、そこにいるであろう存在へと傾ける。
レーダーに間違いが無いのだとしたら、敵は魔法かスキル、あるいはそれに類する装備を持っているということだ。一部の優秀な魔法使いは、自らの魔法を物質に封じ込めると聞く。今回の場合だと、レーダーが正しければ、姿を消す能力、魔法といったところだろうか。
殺気はおろか、気配すら感じられない。それすら隠し通す実力の持ち主か、あるいはこちらを害する気はないのか。
そもそも、本当にそこにいるのだろうか。と、ピタリとそれが動きを止めた。ちょうど、ケースケの間合いギリギリだ。
冷や汗がタラリと額を流れるのを感じる。目の前にいるであろう姿無き敵に、ただただ集中する。じっと構え隙を見せず、ただただ待つ。
姿なき存在に、間合いを測ることなど出来はしない。極度の緊張を保ちながら待ち構える。それはひどく長い時間に感じられた。
この集中がいつまで持つだろうか。いくら止血をしてもらったといえど、ケースケは重傷を負った身だ。相応の血も流しているし、体力も限界に近い。そんな彼にとって、この持久戦は酷なものであった。
そして、その時は訪れる。
ほんの一瞬、ケースケの意識が緩む。疲労の蓄積による、意図しない身体の痛みを感じたのだ。その瞬間、それは動いた。
「……しまった!」
遅れてケースケも剣を振るおうとするも、握る拳に強烈な衝撃を与えられ、跳ね上げられる。それによって思わず剣を取り落としてしまう。
だが、ケースケは即座に体勢を立て直すと、左でミドル気味にキックを放つ。姿は見えないが、レーダーに反応があり、しかも攻撃を受けたのだ。
すなわち、敵は目の前に実体を持って存在するのだ。
果たして、確かに手ごたえはあった。キックを防がれた感触がある。レーダーによれば腕で受けられたようだ。
そのまま払われ、同時に腹部めがけて拳が飛んでくる。腕を差し込みそれを受ければ、貫かれたかのような痛みを感じた。
「ク……!」
痛みにうめきつつ逆襲の左拳を繰り出すも、綺麗に払い落とされる。
コイツ、強い。
これまで戦ってきた我流の連中と違い、この見えない敵には何かしら武術の心得があるようだ。どっしりと構えて、こちらの攻撃をすべて潰してくる。今の体力では、十分に力の乗った攻撃を繰り出すことが難しいこともあって、防御を突破する手段が無い。
ケースケは内心で毒づく。今、使いたくはなかったがしょうがない。
レーダーを切り替え、生体電流のパターンを構築する。敵の位置こそ見失うが、関係ない。最速の連撃であれば、避ける暇など無いはずだ。
身体はスキルによる入力通りに反応し、肝臓、心臓、顎へ稲妻のごとき三連撃を繰り出した。
「うわわっと!」
緊迫した場にそぐわない、女性の声が響いた。それは恐らく、目に見えない敵が持ち主であろう。だが、そんな慌てた声を出しながらも、ケースケの誇る最速の連撃はすべて叩き落とされていた。
「チィ……!」
襲ってくる身体への激痛に耐えつつ、ケースケは即座にレーダーへと切り替える。どうやら、敵はこちらの攻撃を受けて、後方へ下がったようだった。
まさか防がれるとは思っていなかった。自分で言うのもなんだが、十分なフェイントになっていたはずだ。それまでの攻撃とは段違いの早さであったはずだ。その攻撃を、先の大男のように耐えるでもなく、全て受けきったのだ。それ自体が、敵の技量の高さの証左であった。
自分から仕掛けていくには体力が足りない。ケースケはまた、じっと敵の様子を窺う。すると、またも女性の声が虚空から発せられた。
「ふ~ん。さすが、といったところですかね」
すぅっと、ベールを脱ぐかのように、草原のただ中に外套を羽織った女性の姿が現れる。その顔は深くフードが被られており、よく見えない。
「……かくれんぼは、もうお終いかい?」
「あら? 結構余裕そうですね」
ケースケの言葉に、女は楽しそうに口元を歪める。そして両こぶしを握り、構えた。
「申し訳ないですが……もう少し、楽しませてもらいますよ」
「やる気満々だな……!」
それに呼応するように、ケースケも構える。目視できるようになったので、スキルをレーダーから切り替え、スタンガンモードに切り替えている。触れれば、ひるませることぐらいはできるだろう。
ジリジリと間合いを測る。だが、初めのようにどちらも動かないということは無い。すでに拳を交わした仲だ。探り合いはもう必要ない。
踏み出したのは、同時であった。
互いの拳が交差し、互いの急所へと向かっていく。
その瞬間、アーリエの声が響いた。
「ちょ、ちょっと止まって! ケースケ! ……カナデも!」
ピタリ、とそれに反応してケースケの拳が止まる。普段は冷静なアーリエが焦った声を出すなど、これは尋常でないと感じたからだ。
そして、女の拳は止まることなく、ケースケの腹部へとめり込んだ。
「グフ……!」
無理が祟ったのか、体力の限界もあって、ついにケースケは倒れる。柔らかな草の上に倒れこみながら、意識が遠ざかっていくのが分かった。
「ケースケはケガしてるの! 止めてって言ったじゃない!」
「え、本当ですね、大けがじゃないですか! 申し訳ありません、お嬢様!」
どこか遠くで、そんな会話が聞こえた気がした。
全く。最近は貧乏くじしか引いていない気がする。
薄らぐ意識の中、最後にそんなことを思った。
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