20 目的地へ
「ようやく抜けたか……」
歩くこと一時間。ようやく、あの深い森を抜けることができた。幸いなことに、怪物どもの襲撃は少なく、大した強さでもなかった。
それでもここまで時間がかかったのは、ケースケが慎重に己の痕跡を消しながら移動したからである。両手のひらと左手左足に穴の開いた今の状態で敵に襲撃されては、たまったものではない。
懸念事項は多い。組織の敵がどこに潜んでいるのかも分からないし、ウルク家の刺客連中も動きがなく不気味だ。あの祥子を殺した、正体不明の敵もいる。用心に越したことは無い。
すでに太陽は昇っており、その光にケースケは思わず目を眇める。彼の、いや彼らの心情とは裏腹に、空は透き通るほどに青く、雲一つなかった。
「アーリエ、大丈夫か」
「……ええ」
ケースケは皮肉な感情を抑えつつ、背中の少女に声をかける。だが返ってくるのは暗い返事だけだ。途中からアーリエを負ぶったのだが、その時に短い言葉を交わしたきり、彼女は暗い顔で沈黙していた。
無理もない。危険にさらされて精神的な疲労が溜まっただろうに、魔法を使ったがゆえに肉体的にも疲労がきている。加えて命の恩人が死にかけ、間接的にとはいえ自分たちに責任があるときた日には、まだ少女であるアーリエにはしんどいだろう。
なにせ俺も結構しんどい。心が抉られるかのように痛い。
だが、アーリエがこうなっている以上、俺が気張らなくてどうするのだ。感傷は後回しにして、次を考えねば。
ケースケはそのまま、少し先にある小高い丘に登る。彼の記憶によれば、この近辺にはそれなりの町があるのだ。なんにせよ治療はしなければいけないし、装備も新調しなければいけない。何より、ここは隣国なので、一旦落ち着いてアーリエから目的地を聞き出さなければいけない。
見渡すと記憶通りの場所に町があった。どうやら何年も立ち寄ってないうちに大きくなったようで、彼の記憶より栄えている。
とりあえず、移動しよう。
そうケースケが町を目指して丘を下ろうとしたとき、背中がポンポンと叩かれた。
「どうした? アーリエ」
「自分で、歩くわ。目的地のこと、話さないといけないし……」
気丈にも少女はそう言った。まだどちらの疲労も抜けきっていないだろうに。
「……分かった、降ろすよ」
ケースケは少し迷って、少女を背中から降ろした。気晴らしになるのであれば、それがいいと考えたのだ。アーリエは一旦へたり込むものの、両足を震わせながらフラフラと立ち上がる。
そんな様子を心配そうに見ながら、ケースケは言葉を継いだ。
「ただ、目的地のことは町に入ってからでいいよ。ゆっくり話も聞きたいしね」
この場で聞くにはそぐわない話であろう。せめて、安全がある程度確保できている場所のほうがいい。だが、少女は首を振ると、ゆっくりと口を開く。
「……ここまで来たなら、話さないと」
その表情は重く、暗い。急に立ったから、立ちくらみでもしたのだろうか。
そうケースケが考えていると、アーリエはスッと、右手を真っすぐ伸ばす。そして進行方向にある町を指で指し示した。
「目的地は、あの町なの」
それにケースケは、虚を突かれたような思いをした。つまり、ここが旅の終着点なのだ。
「……なるほど。てっきり、別のところかと」
呆けたように言葉が出るのが分かった。隣国に入った以上、終わりが近いのは分かっていた。しかし、彼の予想していた場所はもう少し先であり、それまでこの旅は続くものだと考えていた。
「正しくはもう少し先なんだけど……あの町に、私の侍女がいるの。それで、色々と手続きをしてくれる手はずになっているわ。パパ……ケースケ一人で護衛というのは、この町で終わり、よ」
噛みしめるように、そしてどこか震えた声で、少女は口にする。
「そうか……」
つまりはあの町に行って、その侍女とやらにアーリエを引き渡せば、二人旅はそれで終わり。あとは彼女についていくなりなんなりをして報酬をもらえば、それで縁は切れる。
もとより雇われの何でも屋である。こんなことは常であるのに、なぜだかひどく寂しさを感じた。いや、その理由は分かっている。アーリエと別れることを寂しいと感じているのだ。
いずれはこの時が来るだろうと理解してはいた。だが、まさかこれほどまでにあっけないものだとは思わなかった。
「……なら、行こう。これで最後だ」
ポツリと出たその言葉に悲しみの感情は乗らなかっただろうか。ただでさえ感傷的になっているアーリエに、これ以上の動揺を与えたくなかった。それともこれはうぬぼれであろうか。
いや、たとえうぬぼれであろうと、娘と名乗る少女に感情を悟られ、よけいに煩わせたくはなかった。あくまでも親子というのは仮初めであり、結局は依頼主とその護衛という、ドライな関係であるべきなのだ。
それに、絶対に依頼を完遂すると、そう決めたのである。
「……」
アーリエは何も言わず、そっとケースケの手を握った。心なしか、その手は震えているように、彼には感じられた。
そんな少女をエスコートするかのように、ケースケは優しく手を引いてやる。正しく、まっすぐ歩けるように。決して、転ばないように。
そうして、依頼によってできた急造の親子は、ゆっくりと旅の終着点に向かっていくのだった。




