19 ある女暗殺者の最後
「――ハッ!」
暗闇の森の中で、祥子はハッと目を覚ます。しらんだ森が目に入った。それが、自分がどれだけ気絶していたかを知らせてくれる。
「いや~油断したわ。一応、大地殺ってんだから、もちっと警戒すべきだったなぁ」
ゆっくり体の拘束を解きながら、彼女はそうぼやく。今は誰も見てないので、素の口調だ。
しかし、いったい、いつぶりの負傷だろうか。肌に傷がつくから、こういうのは勘弁してほしいものだ。
ここにいることは他のメンツにも伝えているから、そいつらが戻ってきていない以上、作戦は失敗したのだろう。ついでに、京助たちもすでに移動している可能性が高い。
「……さて、どう報告したものかなぁ」
傷はすでにふさがっている。スキル『鎧生成』の応用で、傷口を塞ぐのだ。裏家業を長く続けた過程で彼女が身につけた技術だ。
「流石に、逃げかえるってのはなぁ……」
祥子は組織に属する人間である。それも、創設メンバーの一人だ。
『組織』自体、大地と祥子、そしてあと一人のクラスメイトによって立ち上げられたものである。そして、大地は運び屋、祥子は実戦部隊、もう一人は運営として回してきた。
結局は、大地はその性格から組織の中枢から弾きだされ、末端の山賊まで落ちぶれた。本人は気づいて無さそうであったが。祥子は中枢に入ることもできたが、堅苦しい空気が肌に合わず今でも実戦部隊のトップとして現場に出ている。
ひりついた鉄火場の高揚感、死線をくぐり抜けるスリル、敵を圧倒する快楽。そのどれもが好きだし、そのあと火照った体を男娼で発散するのも大好きだった。中枢に入ると、そんなことできやしない。
そして今回、彼女は組織のドン……つまりもう一人のクラスメイトの指示を受けて、この任務へ従事していた。目的は、アーリエ、そして京助の生け捕りである。
それを失敗してしまったのだ。祥子にとっては、屈辱ともいえることであった。
いや、任務に失敗したことも、京助に敗北したことも確かに屈辱ではある。しかし、それ以上にドンのスキルの恩恵を受けられなくなるのが嫌だった。
今現在の彼女の若々しい体は、ドンのスキルによって実現しているのである。もし失敗したと報告すれば、もしかしたらこの恩恵が受けられなくなるかもしれない。
懐かしの、老けたクラスメイトを見て、彼女はずっと若々しくありたいとより思う。この美しさが朽ちていくなど耐えきれない、そう彼女は感じていた。
「……とりま、最寄りの町を探しますか」
この時点で、彼女は京助たちの足取りを追うことを諦めていた。
報告書で読み、また、実際に戦ってよくわかったが、京助という男は冒険者として一流だ。加えて、彼の専門は怪物狩りである。
過去の経験から彼女は良く分かっているが、怪物狩りの冒険者というのは、総じて痕跡を消すのが上手い。一流どころは、自分の足取りも、動きも、気配も、一切気取らせない技術を持っている。
京助もそれに該当する以上、追跡することは不可能に近い。だから、先に町に向かうのだ。
結果として自分は負けてしまったが、京助も相当に重傷を負っている。負けた自分より、あっちのほうが重傷だ。ならば、森を出て最も近い町で治療する可能性が高い。そこを狙おうというのだ。そうすれば任務達成の万々歳、ということだ。
「さて、じゃ行きます――ん?」
突如として、視界に鎧が現れる。それと同時に、頭部に強い衝撃を感じた。
『鎧生成』の自動防御が発動したのだ。たとえ意識の外からの攻撃でも、鎧は自分を守ってくれる。攻撃を受けたのだ。それも、結構強力な。
鎧に張り付いたそれをこそぎ取ると、鉛のようであった。と、今度は肩に同じ衝撃を感じる。弓でも投げナイフでもない飛び道具。思い当たるのは一つしかない。だが、それならば、雷鳴のような音が響いてもおかしくないはずだ。
「……そこぉ!」
彼女とて、一流の暗殺者である。この暗い森の中、射線とかすかに感じた気配から敵の位置を割り出し、生成した剣を数本投げつけた。
当たった気配はない。だが、ようやく自分を狙った音無き敵をいぶりだせた。それは黒装束に身を包んだ、小柄な男であった。その手には煙を上げる、この世界では非常に珍しい、銃を構えていた。
「あんた誰? 私、狙われる意味が分からないんだけど?」
「……」
祥子の問いかけに答えず、男は一歩ずつ距離を詰めていく。
「ま、いいけどさぁ。イラついてるしぃ、ストレス発散しちゃうね」
軽い口調で祥子は剣を生成すると、同じく一歩ずつ歩を進める。それは自分の鎧に絶対の自信があるからである。
彼女の鎧は、並みの攻撃では通らない。京助の体重を乗せた攻撃も、銃撃も簡単に弾いてしまう。彼女自身試したことは無いが、この鎧は大型の火砲以外では突破できないだろうとまで思っている。
「死ねぇ!」
ブオンと、刃が風を切り裂き、男へと迫る。京助との戦いでは、彼が一枚上手だったために生かし切ることは無かったが、祥子の剣は速く、重い。小柄なこの男では受け止めることすらままならないだろう。
案の定、男は身をかわす。それは予想の範囲内。
手首を返し、避けた男へ剣を奔らせる。巧みな剣さばきである。だが、それすら男は避けきると、それを踏み台にして祥子へ迫る。
そして、手にした銃を投げ捨てて、彼女の頭に右手を叩きつけた。当然、それは彼女へ到達する直前に鎧に防がれる。
とたん、祥子はひどい目まいを感じて、へたり込んでしまう。同時に、視界が真っ赤に染まった。
「……は? な、にが……?」
意味が分からない。攻撃は確実に鎧で防いだ。男の攻撃は何一つ、彼女に届いていない。そのはずなのに、彼女は立てず、あまつさえ目や鼻から血を垂れ流していた。
そこで、ようやく男が口を開く。それは、ひどくしわがれた声だった。
「……悪いがね。今、君たちにお嬢様を奪われるわけにはいかんのでな」
まとまらない思考の中で、祥子はようやく敵の正体に感づく。
「あな、た……ウルクの……」
ウルク家の刺客。動いていることは知っていたし、彼女も幾人かと戦ったことはある。だが、そいつらとはあまりにも格が違った。
男はへたり込んでいる祥子の頭を両手で掴む。鎧が自動でそれを阻むが、一切意に介していない。
「ではごきげんよう、さようなら」
「ふ、ふざ……」
呪詛の言葉は口から出なかった。代わりに真っ赤な血が、だらだらと流れ出る。そして、祥子はついに倒れると、そのまま目覚めることは無かった。
・ ・ ・
「!」
アーリエとともに森を移動するケースケは、レーダーの反応に困惑する。祥子が目覚める可能性は当然考えていたため、広くレーダーを展開し、他の追手も含めて監視していた。
すると、彼女の近くに一つの反応が現れた。祥子も起きていたようで多少の動きはあったが、反応同士が交錯したのち、祥子の反応はそこに残り、もう一つは範囲外へ消えていった。
彼女の反応はそれっきり動かない。それは、彼女が殺された可能性を示唆していた。
「どうしたの? ケースケ」
疲れ切った顔の少女が、心配そうに見上げてくる。それに「なんでもないさ」と安心させるように答えた。
嫌な予感を振り払うように、ケースケは道を急ぐのだった。




