12 空っぽの夢
ある店の床で、ケースケは土下座していた。
「お願いします! 俺に戦い方を教えてください!」
「オイオイ……勘弁してくれよ……」
相手はフリートマンと言った。カウボーイハット――こちらではなんというかは分からないが――を被った伊達男だ。A級冒険者でも指折りの実力者と言われており、長らく実績を積んできたベテランだ。
「お願いします……! 何でもします!」
ケースケは必死だった。この世界では新参者もいいところ。平和な日本で生きていた自分に、命が軽い時代を生きていく力を持ち合わせていないことを彼は理解していた。実際、先ほど初めて行った依頼では、スライムっぽい怪物に襲われて死にかけた。
唯一、明確にこの世界の人間に勝るであろうスキルも、あまりにもしょぼすぎて使い物にならない。元クラスメイトたちは、スキルを使った瞬間髪の毛が逆立つのを見て、見捨てることを決めたのだろう。
「お願いします……!」
何度も額に頭を打ち付けて、彼は懇願した。この機を逃せば、あとは適当に依頼を受けたが最後、すぐに命を落とすだろう。よしんば生き残ったとして、一年以内には自分は生きてはいまい。そんな確信が、彼を駆り立てていた。
あまりの必死さに、フリートマンはついに根負けした。
「分かった、分かった。あんたの意気込みは十分伝わった。そうだな、弟子、というのもいいかもしれない」
ポンと彼はケースケの頭に手を置いた。その瞬間、ケースケの眼からはとめどなく涙があふれ出た。
「ありがとう……ありがとう……ございます……」
この世界にきて初めて、人の優しさに触れた気がした。それだけで、なぜだか涙があふれ出てくるのだ。
差し伸べられた、傷だらけの大きな手を、ケースケは恐る恐る掴んだ。グイと強い力で引っ張られ、彼は立ち上がる。
「ま、立ちな。一杯飲もう。我が弟子よ」
マントをはためかせ、フリートマンは店を出ていく。
「……はい!」
それに続いて、ケースケは駆けだした。
突如として、大岩が落ちてくる。ドンと、胸を押され、尻餅をつく。
それはスローモーションに見えた。ゆっくりと、フリートマンが岩に押しつぶされていく様が。ただ、彼の表情だけが、見えなかった。
「し、師匠……! 師匠おおおぉおお!!」
ケースケは思わず叫んだ。それに応える声は無い。大岩の下に、赤い染みが広がっているだけだ。
「師匠……! 師匠……!」
思わず崩れ落ちる。三年間、戦い方を、そして生き方を教えてくれた。ともすれば、フリートマンのことを、父親のように見ていた。まだ、何も返していない。
死は覚悟していた。山岳地帯にできた、豚鬼人の巣を殲滅する依頼。難易度は高かった。
冒険者家業は死と隣り合わせであったし、いつかフリートマンも自分も、その中で死ぬのだろうと漠然と思っていた。
ただ、それが今日だとは夢にも思わなかった。
たった一言の別れも言えず、目の前で師と仰ぐ人物を失った。不思議と涙はあふれてこない。ただ、胸の内側を、得体のしれない感覚が浸食してくように、ケースケには感じられた。
「お、豚鬼人どもめ……!」
頭の中の冷静な部分が、状況を判断する。恐らく豚鬼人の仕掛けた罠だろう。しかも、歴戦の冒険者にすら気取られない、巧妙な罠。そして、この先に標的、そして仇がいる。
感情の昂ぶりに応じて、スキルが起動する。文字通り、彼の髪が天を突いた。
言葉にならない怒りを携え、ケースケは駆けだした。
ガサリ
「おい、そこのやつ……。もっと静かに――ぴぎゃ」
ケースケが立てた音を注意した、不注意な冒険者は、そのツケを払わされることになった。頭部を矢が貫通している。
「……罠、か。この先、近いぞ」
不用意な奴だ。この森は山賊どもの罠でいっぱいだ。油断した奴から死んでいく。
ふぅ、と集中しなおして、ケースケは慎重に歩を進めた。
周りにも数人、同業者がいる。複数人の募集であったから、なし崩し的にチームを組むことになった。だが、彼らは所詮競争相手。頭数が減れば、取り分も多くなる。むしろ、鳴子に引っかかって、面倒事を増やさないでくれよと、ケースケはそんな気持ちであった。
「敵だ……。ケースケ……」
「はいよ……」
マントから手裏剣を取り出すと、ヒュッと投げる。それは大きな曲線を描いて、見張りであろう山賊の喉を貫いた。
「流石……神業だな……」
「どうも……」
フリートマンに仕込まれた手裏剣術は、今も欠かさず練習している。スキルとの併用も考えていた。
最近は、この『静電気』とかいうふざけたスキルの使い方も分かってきた。漫画のような、雷を出して敵を攻撃する、ということはできない。だが、スタンガン的な攻撃は出来るし、応用も利く。
例えば、今起動しているレーダーも、その一つだ。この暗い森の中にあって、ケースケだけが地形を完全に把握し、罠の位置を特定していた。もっとも、それを誰かに教えるような親切さは、持ち合わせていなかったが。
「よし……。ここで休憩だ。次、仕掛けるぞ……」
リーダー気取りが、そう声かけをする。実際、ああいう存在はありがたい。有能であればそれに従うし、無能であれば勝手に死んでいくだけだ。今回のやつは判断もまあ悪くないし、従うことに抵抗はない。
周りの連中と同じく、ケースケも休憩を取るため、手ごろな石に腰を掛け、カウンターに突っ伏した。
「……う、うぇ……」
「大丈夫か、ケースケ」
「大丈夫でいられるか……クソ……」
酒場で、ケースケは荒れていた。その横には、ジェイドが付き合っている。
彼は裏と呼ばれる、ギルドから直接指名される、特殊な依頼をこなしてきたところであった。それは大抵、表に出せないような汚れ仕事であり、しかしよほどの実績を積まないと断ることはできない。
「冒険者になって、初めて殺したのは子鬼だ。確かに、気持ち悪いとは感じたが、その程度だった……」
ケースケはつらつらと話し始める。その悲壮な様子に、普段はノリのいいジェイドも、口をはさめない。
「その次は盗賊どもだ……。正直、何も感じなかった。せいぜい、子鬼を始めて殺したときと同じ感覚だったし、それもすぐに消えた」
「ケースケ……」
「だが、今回は違う……。どこぞの有力者に立てついたってだけの、ただの人だ……。ただ必死に生きていた人たちだ……」
グイと、ケースケは酒をあおる。そして、ドン、と乱暴にグラスでカウンターを叩いた。
「分かるか……! 闇に紛れて、幸せそうに寝ている子供の心臓に、剣を突き立てる感触が……! 村を守ろうと、立ち向かってくる男の骨を砕く感触が……、子供をかばう母の首筋を切り裂く感触が……!」
「……」
ジェイドは何も言えない。彼は情報屋、それもまだ新米だ。裏の仕事をやった男の感情など、分かるわけもない。だから、ジェイドはケースケの背中をポンと叩いていった。
「……ま、飲めよ。飲んで、忘れちまえ。そんな嫌なこと、抱えて生きてく必要なんてないのさ……」
それは精一杯の慰めの言葉。それでも、ケースケにはその言葉が必要であった。彼はグラス一杯に琥珀色の酒を注ぐと、またグイとあおった。
「……くそぉ……俺は……俺は……」
そうして、彼は仰向けに倒れてしまった。
「冒険者さん、大丈夫?」
春色の髪をした、優し気な女性がのぞき込んでくる。
「へっ? あ、ナターシャ様!?」
昼寝をしていたケースケは、飛び起きる。そして、勢い余って、頭をぶつけた。
しまった、木のうろで昼寝をしていたのを忘れていた……。ケースケがジンジン痛む頭をさすっていると、ナターシャはアハハと笑った。
そして、不意に柔らかく微笑むと、そっとケースケに近づく。
「何か、悲しいことがあったの?」
「い、いえ……」
ほんの数ミリ近づけば、体が触れ合う。そんな近くにいるのに、上目遣いのナターシャの目に縫い付けられたかのように、ケースケは動けなくなる。
「ウソ……だって、涙、でてるもの……」
「ナ、ナターシャ様……」
そっと、ナターシャの白く細い指が、ケースケの頬に触れた。そして、いつの間にか出ていた涙をそっと拭うと、ぺろりと舐めた。
「ふふ……しょっぱい……」
そう、妖艶に微笑んだと思えば、ナターシャはツンとケースケの鼻をつつく。そして少女のようにふわりと笑う。
「なに赤くなってるの? ちゃんと、私を守ってくださいね?」
そう歯を見せてナターシャは屈託なく笑い、くるりと馬車のほうへ戻っていく。そんな彼女へ、ケースケはすがるように手を伸ばす。
「待って――」
・ ・ ・
「ナターシャ……!」
汗をびっしょりとかいていた。無意識のうちに伸ばしていた手が、力なく自分の体の上に落ちる。
「……夢……か……?」
目を開けた先には、見慣れない木造の天井。ここはどこだ。確か、森の中で気絶したはずでは。アーリエはどうなった。
様々な思いが胸に去来する。
ふと、自分の腹のあたりに、重みと、温かさを感じた。ケースケが頑張って顔を上げると、そこには、アーリエがうつぶせに眠っていた。
「アーリエ……」
状況は分からない。だが、彼女が自分を助けてくれたのは分かる。
「ありがとうな……」
そっと、ケースケは彼女の頭を優しくなでた。




