10 マリオネット
その森は、隣国への最短ルートでありながら、ほとんど利用されていなかった。理由は至極単純で、突破が非常に難しいからである。
その最大の要因は、襲い来る怪物どもにあった。
この世界では、怪物と呼ばれる、気性の荒い獣が存在する。元の世界の言葉で表すなら、『魔物』が適切であろう。現在では広く利用されている六足獣も、もとは怪物であったと言われている。
害をなす怪物が多い一方で、その強靭な皮や骨、果ては臓器など、各部位は有用な素材でもあった。大物狩りをすれば一獲千金も夢ではない。だからこそ、怪物狩り専門の冒険者は多いのだ。
その分、怪物狩りには常に命の危険が伴う。怪物たちは強靭な体を持ちながら、しかし狡猾である。敵を察知し、そいつが警戒を解いた瞬間に襲いかかる、というのは良くあることだ。
現在、逃げるケースケやその追手に襲いかかっているシルバーエイプもその一種だ。白い毛を持った、数メートルの体を持つ、猿のような怪物である。
「クソ、うっとおしい!」
木の上から牙をむいて、文字通り降ってくるシルバーエイプに、ケースケは辟易する。彼の実力であれば問題にならない程度の怪物だが、それでも逃げることに神経を集中している現状、非常に邪魔な存在だといえる。
もっとも、そのおかげで追手もこちらに手が回っていないのはありがたい。
「絶対に顔を出すな。奴らに顔を掴まれたら、簡単に潰されるからな」
ケースケは前に乗せているアーリエに注意する。現在、彼女はケースケが覆いかぶさる形で守っている。シルバーエイプは弱者を狙う傾向があるため、彼女が顔を出せばすぐに標的にされるだろう。
「分かってるわ。ケースケこそ、ミスしないでね。顔に傷がつくのなんて、私嫌よ」
その顔は見えないが、きっとアーリエはニヤリと笑っているのだろう
毎度驚かされるのは、この少女の気丈さだ。彼女はいったい、何を支えにして気丈さを保っているのか、その小さな体に、何が宿っているのか、ケースケは思わずにはいられない。
きっと、自分をもっているのだろう。俺と違って。
そんな自虐的な考えが浮かぶほどに、アーリエは力強い意思を見せていた。
「任せておけ。パパがしっかり守ってやるからな」
京助がそう強い言葉で励ます一方で、ケースケは冷静に状況を判断する。
レーダーには反応が多くある。その大半はシルバーエイプのものだ。今でこそ襲いかかってくるが、連中の習性を考えるに、そろそろ遠巻きにして隙を伺いはじめるところだろう。こいつらは、あと少しの辛抱。
ゴロツキ連中は刺客と交戦したこともあってか、すでに半数が脱落。その半数も、シルバーエイプの襲撃で徐々に数を減らしている。問題は、唯一規格外の戦闘力を見せる、あのリーダーらしき男だろう。今も後ろでわめき声が聞こえる。元気なものだ。
ウルク家の刺客は、ここにきて位置をつかめなくなった。シルバーエイプの反応が邪魔なうえ、連中は全く無音で行動するために、位置がつかめない。森に突入する寸前の状況から考えて、一人は脱落、四人はゴロツキと交戦、もう一人が所在不明だ。
(さて、厳しい状況だな……)
ケースケは内心、毒づく。このままではジリ貧だ、ということが分かっているのだ。どうすればいいか、思考を巡らせるが、良案が浮かばない。ともすれば、森に入ったことが失敗だったという考えすら浮かぶ。
「ケースケ! 横!」
アーリエの言葉でハッとする。見れば、ラプトルのようなアシに乗った黒装束が、木々に紛れて音もなく急接近してきていた。その手には、ボーガンが構えられている。
「チィッ!」
とっさに、ケースケは手裏剣を投げる。それは見事に黒装束の肩に刺さり、脱落させる。だが、その瞬間には矢が放たれ、テリーの首筋を貫いていた。
「テリー!!」
アーリエが悲痛な声を上げる。まだ一か月も経過していないが、それでも愛着があったのだろう。
首筋を貫かれたテリーだが、それでもスピードを緩めず走り続ける。脚力、体力、積載量に従順さ。六足獣がアシとして最高級で、しかし広く利用されているのには、多くの理由がある。生命力が強い、というのもそれに含まれる。
しかし、遠からず倒れることは目に見えていた。テリーのその眼には、すでに生気が無い。
「……すまない。だが、やるしかない」
それは誰に対する謝罪であったのか。なんにせよ、彼はその言葉をポツリと言って、テリーの首筋に直刀を突き立てた。
「テリー! ケースケ、何をしているの!」
顔を出すなと言っておいたのに、それを無視してアーリエは抗議した。とどめを刺すような行為だ、当然の反応だろう、だが、これしかないのだ。
「少し黙ってろ。集中する」
「……」
口調が荒れる。それだけ、彼にとっても賭けであった。彼の緊張が伝わってのか、アーリエは黙って前を向いた。
テリーが完全に事切れる前に、ケースケはスキルを起動する。そして、直刀を通して、電気を流す。
生体電流を操作するのは、彼の十八番だ。身体能力を上げるなど、戦闘時にはいつも使っている。それを、直刀を介して、六足獣の体でやろうというのだ。
「動け動け動け動け……!」
念じるように、何度も呟く。幾度かこの方法を、巨大な怪物に使ったこともあった。だが、せいぜい動きを誘導をする程度で、ここまで繊細に動かしたことは無い。
ガクン
一瞬、テリーの体が傾く。ついにテリーが事切れたのだ。それでも、動きこそ不格好であるが、テリーの死体は走り続けている。
「よし……よし。慣れてきた……!」
襲いかかるシルバーエイプをかわして、ケースケはテリーを走らせ続ける。六足獣の体に安定感があったことが幸いした。これが馬であったら、即座に転倒しているはずだ。
スキルを使い続けながら、ケースケは頭を巡らせる。さすがに、今レーダーを使う余裕はないので、詳細に状況を把握できていない。とにかく、走り続けるしかない。
繊細な動きはできないが、速度を維持することはできている。先ほどの襲撃以降、猿どもが襲ってこないことを考えると、そろそろ遠巻きにして様子を窺う段に入ったか、ありがたいことだ。
流れる風景に目を凝らす。そして、遠い日にこのルートを通った時の記憶を思い出す。この先には確か――。
「ガッハッハッハァ!!」
不快な笑い声が背後から響いた。同時に、数匹のシルバーエイプの死体が、ケースケの頭上を越えていく。
「あ」
思わず間抜けな声が出た。続いて、浮遊感。
シルバーエイプの死体を避けきれず、それに引っかかって宙に投げ出された。とっさにアーリエを抱きかかえ守る。結果、受け身もとれず背中からもろに地面に落ちた。嫌な音が体から響く。
テリーの死体は地面に倒れた後、ぜんまい仕掛けのおもちゃのように、足を幾度か動かし、そして完全に沈黙した。
「け、ケースケ! 大丈夫!?」
心配そうに、アーリエが声をかける。
「ゴホ……ゴホ……あ、ああ……まあ、な……」
それにどうにか答えたケースケだったが、実際には、ひどいダメージを負っていた。内心で、自嘲気に笑う。
ダメージの感覚としては、何年も前に狩ったヒュージリザードの尻尾を食らった時のようだ。全身が歪んでしまったかのような感覚。正直なところ、動けそうない。
それでも、彼は咳き込みながら、進もうとする。だが、その進路を塞ぐように、一頭の六足獣が回り込んだ。
「よぉ、お疲れのようだな冒険者!」
「……それが分かるんなら…ゴホ……ほっといちゃくれないか……?」
「そうもいかねぇ! 女ともども、ドンのとこまできてもらうぜ! 力づくでもなぁ!!」
ついに追いついてきた、ゴロツキのリーダーが、野太い声で威圧的に笑った。




