1 朝起きたら少女がいた
「うぃ~~~……クソォ……」
とある酒場の一角に、飲んだくれてやさぐれる一人の男がいた。無精ひげを生やし、いくつかの傷が刻まれたその男は、冒険者を生業としていた。
男の視線の先には、このあたりではまだ貴重な、紙を使った張り紙があり、大陸のさまざまなニュースを伝えている。その中には、彼の見知った名前もある。だが、それを見つめる彼の視線に含まれるのは、望郷でも羨望でもなく、暗い嫉妬であった。
「よぉケースケ! お前、今度はグランドドラゴン狩ったんだって!? そろそろ上に上がる打診、来るんじゃねぇのか?」
そんな彼――ケースケに、陽気に話しかける男がいた。よく斡旋所で顔を合わせる、顔見知りの冒険者だ。大方、大物を狩った祝いに来たのであろう。
しかし、そんな言葉をかけられたとたん、ケースケは酔って赤い顔を、さらに赤くする。
「うっせぇ! ホントだったら俺はもっとやれんだよ! あれくらい出来て当たり前だぁ!」
ケースケは大声でわめき散らし、そしてグイと酒をあおる。それを見た男は、しまったとばかりに首をすくめた。酔っぱらったケースケが荒れることを、彼の知り合いは全員知っているからだ。
「ホントだったらあそこでもっと強いスキルを手に入れて……ハーレム築いてたはずなんだよぉ!」
そう嘆いて、ケースケはテーブルに突っ伏す。いつもよりも荒れているようで、絡まれる前に、男はそそくさとその場を離れた。
そんなケースケに、のしのしと酒場の女将が近づいていく。
「うっさいよ! ほれ水! あんたはもう飲みなさんな!」
そしてドンと、なみなみと水の入ったジョッキをテーブルに叩きつけた。一瞬、酒場にいた全員が黙るほどの迫力だ。
「……すまんよ、おばちゃん」
ケースケは一気に静まり、おとなしく水を飲む。普段の彼は真面目な性格であった。
「全く、そんな子供じみたこと言ってないで、嫁さんの一つでも見つけりゃどうだい」
先ほどの迫力と打って変わって、諭すように女将は言った。まさに天使と悪魔の使い分けである。それを聞いたケースケは、俯いて、大粒の涙をこぼし始めた。
「うぅうう~~。俺のような出来損ない、誰も好きになっちゃくれないよ……」
「今度は泣き上戸かね。大の男がみっともない。大体、A級冒険者が出来損ないなら、大抵の男は出来損ないさね」
泣きじゃくるケースケに、女将はやれやれと首を振る。
「ほら、支払いは月末でいいから、今日はもう帰んな!」
「ううう~……ごめんよ……」
水を飲みほしたケースケは立ち上がり、そのままフラフラと酒場を出ていく。その後姿を、女将は心配そうに見送るのだった。
・ ・ ・
ケースケ。本名、杉町京助。A級冒険者であり、日本出身の異世界転移者である。
彼について一言で表すなら、とにかく運の悪い男であろう。
ことの始まりは十五年前に遡る。当時、高校二年生だった京助は、学校行事にてクラスメイトとバスで移動中に、事故にあって死んでしまった。そして、何の因果か、クラスごと異世界へ転移することになったのだ。
お決まりの白い空間に女神さまがたゆたい、彼らは新しい肉体と、そしてスキルを授けられることになる。これが先着順なのが災いした。出だしでうっかり転んでしまった京助は、スキルを選ぶことができず、最後に余ったスキル『静電気』を無理やり授けられた。
これがあまりにもあまりな能力で、当初は本当に、指の先から静電気を出すだけのスキルだった。
しかも転移直後、たまたま近くにいたクラスメイト数人と一緒に旅を始めようとしたが、スキルの残念な性能を知られ、翌日には置いていかれた。泣きっ面に蜂とはよく言ったものである。
結局その後、元クラスメイトの誰と会うこともなく、何とか十五年間、京助は必死に生きてきた。
傭兵まがいの冒険者になったのも、後ろ盾のない彼が働ける唯一の場所だったからだ。当然、戦闘技術など無いため、文字通り死ぬ思いをして経験を積み、冒険者としての実績を重ねていった。
その過程で元クラスメイトの名前は幾度も聞いてきた。と、いうより、嫌でも耳に入ると言った方が正しいだろう。やれ英雄だ勇者だの、どこぞの大富豪の娘と結婚しただの、ハーレムを築いただの、派手な話には事欠かない。
だから彼は悔やんでいた。自分が必死にスキルを活用して、生きるために戦闘技術を向上する間、ほかの連中は華々しく活躍している。そして、もとの世界じゃ手に入れることのできない富と名声を、彼らは得ているのだ。
もし、あの時コケていなければ、彼らは自分だったかもしれない。十五年たっても、いまだそんな後悔が彼の中に燻っている。
だが、もはや今となってはどうしようもない。それを理解しているから、飲んで酔っ払って、愚痴るだけだ。彼は京助ではなく、もうすでにケースケなのだ。
・ ・ ・
「う、うぅん……」
痛む頭を押さえ、ケースケは目を覚ました。目に入ったのはいつもの天井である。彼がこの町に来て三年間利用してきた常宿だ。
「あ~……飲みすぎた……」
昨日の記憶が無い。これは相当に飲んだなとケースケは苦笑する。彼の最後の記憶は、難敵グランドドラゴンを倒したことに、一人で乾杯した場面だ。それ以降のことは、うっすらとしか覚えていない。
差し込む明かりに、思わず目をすがめる。見る限り、もうすでに昼も半分を過ぎているだろう。いくら今日はやることが無いとはいえ、久々に寝すぎた。そう思いながら、ケースケは軽く伸びをする。
すると、横から可愛らしい声がした。
「はい、水」
「ん、ありがとう」
ケースケは差し出された水を受け取り、一息に飲む。冷えた水が乾いた体にスポンジのようにしみわたり、曇った脳みそをさっぱりとさせてくれる。
さて、昨日はどうやって帰ったのか。これから、二日酔いの行動を思い起こすセルフ羞恥プレイを始める――そう意気込んだところで、彼は猛烈な違和感に襲われる。
今の声は誰だ。
ゆっくりと、恐る恐る声のしたほうを確認する。そこには柔らかい春色の髪と、深い海色の眼をした可愛らしい少女が、人懐こそうな笑顔をして立っていた。どう見ても十歳程度にしか見えない女の子だ。
「……誰?」
ケースケの口から漏れ出たその声が、間抜けに響いた。
「初めまして、かしら。私はアーリエ。あなたの娘よ、パパ」
可愛らしく小首をかしげて、少女はふわりと笑った。
新連載、どうぞよろしくお願いします!