モノクロの逆さ虹
遠い遠い海のはて。
小さな小さな島のなか。
深い深い森のおく。
たくたんたくさんの動物たちが住んでいました。
とてもよく晴れたある日、はるばる海をこえて一匹の旅人がやってきました。
旅人はあてもなく海岸をうろうろとさまよっていると、近くで魚釣りをしていたキツネに出会いました。
「ホウホウ。釣れますかね?」
キツネは、そばにある水をはった木の桶の中でぴちぴちとはねる魚を旅人に見せてみた。
「ええ、今夜のたしになる位には…おや?ここらでは見かけない方やね」
「先ほどこの島に着いたばかりで、少しばかり探索をしてたんです」
「おやおや、ほならアタシがこの島をご案内しましょか?」
「ホウッ。それはありがたい。ではお願いします」
どっこいしょと、キツネは重い腰を上げると簡素な釣り竿と木の桶を片手に島を案内しはじめた。
「旅人さんはどっから来はったん?」
「ここよりはるか北の方からです。大体三日くらいかかったかな」
「へぇ~っ!そりゃずいぶん遠い所からおこしで!」
「小さな島々を転々としてやって来たもんで、渡り鳥ならもっと速いんでしょうけどね」
のんびりと歩くキツネの後を追う旅人は、辺りをキョロキョロと見回す。
「なんや、旅人さん、何か探しもん?」
尋ねられた旅人は、首だけをくるんと360度回してキツネの方を向いた。
「ははっ。すまない、こう見えても学者でね。常に珍しいものを探しているんだ」
「はぁ~!お偉い先生サンやったんや!それはそれは!」
「それで、だ。この島で珍しいものがあれば教えて欲しいんだけど…何か知っているかな」
キツネは、歩みを止めてその場で頭を軽くこつきながら、うんと唸りながら考えた。
「うぅ~ん…あ、せや!“逆さ虹”ってのがあるんやけど…どうやろ?」
「逆さ…虹…ホウッ!それは是非とも見てみたい!」
逆さ虹という心躍らせる言葉に旅人は興奮冷めやらぬ面持ちで、キツネの言葉に賛同する。予想以上の反響の答えにキツネは元々細い糸目を更に細めて口元を緩めた。
「ほなら決まりやな」
キツネは夕食を自分のあなぐらに置いた後、旅人を逆さ虹の在り処へ導く。木漏れ日の満ちる森は進むにつれてだんだんと闇が深くなる。それは旅人の期待感が濃ゆくなっていくかのように。
それと同時に旅人の学者肌がちらりと顔を覗かせる。そもそも虹というのはモノではなく、現象だ。必ずあるモノ、物体ではない。さんさんと照らす太陽の光が細かな雨粒によって分解されて七色のアーチを描く。晴れと雨の相反する天気が織り成す特殊な現象だ。
しかし、木々の隙間から時折見える空は青々としている。雲を見つけろと言う方が困難な位に。
それでもキツネはずんずんと突き進む。行く先に必ず逆さ虹があるというのは間違いないだろう。キツネの中では。
旅人は首をううんと小さく唸って首を大きく傾げる。
「旅人さん、どうかしはったん?」
旅人はキツネに問いかける。
「逆さ虹っていうのは、いつでも見られるものなのかい?」
「うーん…」
キツネが少しバツが悪そうな声色を出す。やはりか、と旅人は心の中で何度も頷いた。
「という事は、今から行くところは虹の見れる場所じゃなくて、虹が見れるかもしれない場所なんだね」
「え、ああ、ちゃうねん。ちゃうねん。虹は見れるんよ。ただ―――」
旅人はその答えに鉄砲玉を喰らった様な顔をしては、また首を傾げて小さくううんと唸る。
天候に関わらず虹が見えるとなると―――
「ホウッ!滝か!」
滝は常に細かい水の粒をあちらこちらに発生させている。それが強い日の光を浴びる事で山ほどの大きなサイズはないが、確かに虹は出来る。これに違いないと旅人は確信していたが
「あー…ちゃうねん」
再びバツの悪そうな声色で返すキツネに旅人は三度首を傾げた。
じゃあ何だろうと旅人は考える。雨、太陽、キツネ…その三つのキーワードから導き出されるのは―――
「ちなみに、キツネの嫁入りもちゃうよ?そんなんしょっちゅう起きてたら天変地異やわ」
何という事だろうか、旅人は見事に出鼻をくじかれた。
「まあ、百聞は一見に如かずや!」
旅人は、色々と考えが潰された悔しさよりも未知の逆さ虹に再び心を躍らせながら森をずんずんと進んで行くうちに、周りの風景に違和感を覚えた。多い茂る草木の中に自然ではないフォルムの物体が無造作に置かれている。この島の他の住民の家だろうかと思案を巡らせていると目の前の森が段々と開けてきた。
「ホウ…」
目の前に現れたのは、ツタや草が這って地肌の見えない宮殿風の大きな建物。窓ガラスはヒビや砕けたりと様々、壁の所々は虫食いの様に穴やくぼみができており、上の方に見えるバルコニーの木で出来た手すりに至っては腐って朽ちている。更に上にある屋根も見える範囲だけでもバラバラに崩壊している。真正面に見える重厚な入口の扉は一見綺麗に閉じられているようだが、よく見ると上下に歪んでいる。他に上げればキリがないが、とても長い間放置されていた様だ。
「この建物は古くからあるんやけど、中が潰れてて入れへんのよ」
「ホホウ。まさか、ここに逆さ虹が?」
「いやいやちゃうんよ。もう既に越えてしもたんやけどね」
キツネの既に越えてしまったという言葉に思わず、旅人はくるりと首だけを270度振り返る。
すると首が痛くなるくらい上の方にアーチが逆さに架かっているではないか。
七つの帯が段々に重なった虹が。
左右二本の金属製の柱から橋渡しされる様にぶらんと架かるモノクロの虹が。
「これが?」
「せやで、これが逆さ虹」
旅人は思わず笑ってしまった。
「ハハハ!これが虹?」
虹というにはあまりにも滑稽だった。まず、スケールの小ささ、思っていたような広大な景色ではなくウマ一頭くらいの大きさであるという事。次に形、綺麗なU字形を思い浮かべてはいたが、それは所々変形をきたしており、三日月のように傾いている。第三に、色が無い事。七つの帯は確認できるが、色は無く透明な平べったい管の様なものがあるだけだ。そして最後に、旅人は知っていました。明らかにこれが天然ではなく人工物であるという事に。
旅人はあまりにもハードルを上げ過ぎた期待感を下回りしすぎて肩をガックリと落とす事しか出来ず、自分をあざ笑うしかなかった。
「ごめんなぁ。ホンマは色がついてピカピカ~ッ!ってなるらしいんやけど…アタシも見た事が無くて」
「ホウ。キミはこの虹が光ってる事を見た事がないのかな?」
「うん。アタシの友達のビビりのクマと歌うたいのコマドリが雷の日に見たってゆうてただけで…あ、長生きのカメじいさんも大昔見たとかゆうてたわ。どれだけ昔か知らんけど」
旅人はちょっと申し訳なさそうにするキツネにハッとして、悪い事をしたと襟を正した。
…そもそも襟どころか服も着ていないのだが。
「…」
旅人は辺りを見回した。
「旅人さん。ホンマにごめんなぁ。こんな何にもない島やと自慢できるトコもそうそう無くて」
キツネの耳がしおしおと垂れる。
「…」
旅人は、逆さ虹から伸びる太く黒いケーブルが露出しているのを目で追うと、それは地中にまで伸びており、それを追いかけるとこれもまた草やツタが多い茂る小さな小屋へ伸びていた。旅人は無言でその場を離れて小屋へと向かう。
「…ちょ、旅人さん。どこいくん!?」
慌ててキツネが追いかけると、旅人は小屋の前の扉で佇んでいる。
「その小屋の扉は昔から開かへんのよ」
「ホウ。なるほど」
旅人は納得するなり、懐から二本のハリガネを取り出すと鍵穴に挿しこんで、まるで調度品を取り扱うかのように実に細やかな動きでシリンダの中のピンを次々と外していく。最後のピンを外したと同時に、カチャンと小気味良い音がすると、開かず扉が開く。
「ヘっ?え?開いた?」
小屋の中はかなり薄暗く、しっかりと目を凝らして見ないと分からないが旅人には問題なかった。
「主電源は…やはりダメ…ホウ、非常用のディーゼルエンジンか。ホウホウ」
「たっ、旅人さん?何かあんの??」
恐々とキツネが小屋の中に入り、旅人の背後から謎のモノを観察するが薄暗くていまいち視認できない。
そんな中、旅人は操作盤を手際よく操作する。トグル、プッシュ、スライド…様々なボタンを使用する。
「ホウ、これで本館への電源供給が止まるから…これでゲート単体に…」
何とも口出しできぬ雰囲気にキツネはただ黙って旅人の作業を見守る。すると突然、小屋中に爆音と轟音が交互に響き渡り、キツネはびっくりして小屋から脱兎のごとく逃げ出した。(キツネだが)
そして、逃げた先でさらにキツネは腰を抜かす。
「さっ、さか、逆さ虹が…ひ、光ってる!!?」
旅人は平然と小屋から出てくると、逆さ虹の方に目をやった。
赤 橙 黄 緑 水 青 紫
一本一本の光の帯が煌々と煌く。無駄に煌々と光る逆さ虹に惹かれてか島の動物たちがぞろぞろと集まってきた。皆、口をぽかんと開けて残り少ない燃料で煌く逆さ虹の不自然な光に見惚れていた。
「オタカラは無し…と。次の島へ行きますか」
旅人は無言で空高く羽ばたいた。まだ見ぬ世界と珍しいものを求めて。
遠い遠い海のはて。
小さな小さな島のなか。
深い深い森のおく。
たくたんたくさんの動物たちが住んでいました。
かつて、ヒトという欲に塗れた動物が、たくさんとね。
煌びやかに光る逆さ虹に象られた『O N I S A C』の意味を知る者はこの島にはもういない。
おわり
文章書くってよくわかんねーや