とっつきの悪いおじさん
十九世紀末、パリ。――
バレエの稽古場には、「ブラボー」と言って花束をくれる優しいおじさんと、冷たい目をして、にらむかのように見つめてくるとっつきの悪いおじさんがいた。―― 十四才の私は……。
お母さんにはいつも言われていた ―― バレエの稽古を頑張りなさいと。そうして、立派なスーツのおじさんがいたならば、その人は優しい人だから、愛想よくしなさいと。私は母に言われるとおりに、歳の離れた黒いスーツのおじさんたちに愛想をふりまいた。一緒に稽古をしているお友達も同じように言われているらしくて、彼女たちも一様に、同じような笑顔を向けていた。
スーツのおじさんたちのことばが聞こえたこともあった。ほんとうに穏やかな声で、その人たちはおしゃべりをしていた。
「あれは現代のガラテイアだよ」
「狙ってるのかい、ピュグマリオン」
幼い私にはまだわからないけれど、立派で教養のあるおじさんたちの話だから、いつかきっとわかるようになって、お茶でも飲みながら、一緒におしゃべりをしたいなと思った。私が見ているのに気づいたおじさんたちは、にこやかに笑った。私も笑った。
でも、あのおじさん ―― 冷たい目をした、とっつきの悪い ――、あの人と出会ってからは、私は前みたいに笑わなくなった。前よりもひかえめになった。「ひかえめ」というのは、お母さんのことばだけど、じっさいに周りの人たちにもそう思われていたのだと思う。周りの人 ―― バレエのお友達や、例の黒いおじさんたち ――。
私には、どうして私がそう見えるようになったのか、あまりよくはわからなかった。だけどそれは、あのおじさんと無関係ではなかったのだと、そのことだけは気づいていたように思う。
そしてそれは、むっつりと黙ったおじさんの、私に向けた一度だけの、かすかな笑みを見てからは、少しだけ自覚的になったようにも思える。
おじさんには、私が稽古のあいまに時々おじさんを見つめるのが不思議だったみたいで ―― 私の友達はみな、怖がって目を合わせようとしなかったから ――、私から笑いかけても、ずっとしかめ面をしていた。私はそれが怖かったけれど、でもどこか不思議な感覚で、やっぱり時々おじさんを見つめた。―― あの人は、なにを見ているのだろう。あの冷たい目で、私のなにかを見すかしているのじゃないかしら。それとも……なにも見えていないのかしら……。――
ある日、稽古のあと、私は先生に呼ばれた。
「お母さんにも頼まれてるから」
そう言って、先生は私につよく笑顔を求めた。
叱られて落ちこんだ私は、稽古場を出て、細い路地を歩いていた。うわの空で地面を向いて ――、そうして、人にぶつかった。
顔をあげると、ぶつかったのは背の高いスーツのおじさんで、それはあの恐ろしい、冷たい目をしたとっつきの悪いほうのおじさんだった。
「ごめんなさ……」
私は声が出なかった。それは単純に、身の危険を覚えるような怖さではなくて、なにかこう、もっと不思議な感覚だった。―― そのときだった。むっつりと黙ったおじさんの唇が、かすかに動いて、笑ったように見えたのは……。――
結局おじさんはなにも言わず、私も言えずに、すれ違っていった。あの人がなにを考えていたのか、それとも……なにも考えていなかったのか……、十九才になったいまも、私にはわからない。おじさんについて、あとで先生に聞いてわかったのは、気難しい絵描きさん……ということだけだった。
でも、おじさんはきっと、大切なものを残してくれた。いまでさえ、しっくりくることばでは言い表せないけれど。―― いま、大人になった私も……。
ピュグマリオン、アイドル(=偶像)……
そんなところからの発想でした。
歩く陶器、あるいは、陶器が歩き出す……そういう発想……
そこまではいかなくても、アイドルって、不思議な存在だなと思います。
そういえば、「チアリーダーの笑顔が苦手」と、不思議なことを言ってた子もいたな……
それがいいとか、悪いとかじゃなくて。人それぞれ、好き嫌いはあるけれど。
「ピュグマリオン」のモティーフを表すのに私が選んだのが、エドガー・ドガの描いた少女。
ドガは、当時の踊り子たちの現実をそのままに写した画家だけど、私には彼が、なぜだかそんな冷たい人には思えなくて……
それで、こんなお話になりました。
またまた思いつきの掌編で、荒削りではありますが、投稿しちゃいました。
拙いものですが、少しでも楽しんでいただけたらなによりです。
レモン