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鈍色の花  作者: 花南
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09

◆◇◆◇

 湿気の多い日だった。きっと雨が降っているのだろう、ギーはケーキを待ちながらそう思った。

 アランは夜になって、小さなチーズケーキをふたつ持って現れた。

「いったいいくつになったんですか?」

 蝋燭を一本チーズケーキに刺しながら聞くと、「三十五歳になる」とアランは言った。

「美味しそうなケーキですね」

 蝋燭に火をつけて、バースデーソングを歌ってお祝いをした。普段にやにやとしか笑わないアランが、珍しく照れくさそうに笑った。

「お誕生日おめでとうございます」

 ギーがそう言って、拍手をする。

 アランが蝋燭の火を吹き消そうとしたときだった、後方でドアが乱暴に蹴り開けられた。

「動くな!」

 サムが銃を構えて飛び込んできた。

 アランは素早く手に持っていたケーキナイフをサムに向かって投げつけた。

 サムがそれを避けた瞬間、サムにタックルを喰らわせてギーを置くと外に飛び出した。サムがそれを追いかけて部屋を飛び出す。

「止まれ!」

 サムがアランを牽制する声が聞こえた。続けて小さな銃声。おそらくサムがアランを撃ったのだ。

 ギーはもう一人来ていた警察官といっしょに床に繋がれた鎖を外そうとした。しかし外れなかったため、次は首輪のほうを外そうと試みた。こちらも外れない。錠がはめられた首輪をすぐに外すのは無理と考え、警察官は銃で床を破壊して、ギーを外に連れ出した。

「容疑者は?」

 警察官がサムに聞く。サムは首を振って、「逃げられた」と苦々しく答えた。

「よく生きていたな、ギー」

 サムは生きていたのは奇跡だといわんばかりにそう言った。

「無事でよかった」

 口をほころばせて、サムがそう言ったところで、後ろで爆発音が聞こえた。ギーが振り向くと、今までいたログハウスが燃え始めている。

「遠隔操作の爆弾か何かを仕込んでやがったな……」

「火、今なら消せるかもしれませんよ?」

「いいや。お前の保護のほうが先だ。どのみち満足な消火道具もないしな」

 サムはそう言うと、引きずっていた鎖をくるくると巻いて持ち、ギーの肩にジャケットをかけてくれた。なんとなく散歩中の犬がおいたをして飼い主に連れて行かれているみたいだ。そんな場違いなことをギーは考えていた。

 車の中で缶コーヒーを渡される。ぬるいとも冷たいともいえない、微妙な常温の珈琲を口に運び、遠のいていくラベンダー畑を見た。

 もうここに来ることはないだろう。アランと会うこともないと思いたかった。



 たった一週間なのか、それとも一週間もふたりきりだったのか、わからない。

 ただギーにとって、アランと過ごした一週間は恐怖の思い出として強く残った。

 よく夢であの部屋でふたりきりだったことを見るようになった。

 アランはあのあとも逮捕されていない。

 元々狡猾なアランは、ギーの渡したプロファイリングの知識を最大限生かして、これからも捕まらずに逃げおおせるのだと思った。


 サリンジャー教授とはあの事件のあと、一度会った。

 彼は研究室でギーを見かけたとき「無事でよかったよ。すごく心配していた」と本気でそう思っていたふうに言った。

「色々、心配していたことが早めに起こってしまったようだね」

「どういうことですか?」

 サリンジャーの言葉にギーはためらいがちに聞いた。彼はため息をつくと、ギーに言った。

「君みたいな生徒が昔いたんだよ。犯罪者の気持ちがよくわかる、親身になって考えるタイプのね」

 ギーはそう言われてなんだか違和感のようなものを感じた。親身になっているのだろうか。その思考を読んだように、サリンジャーは追加した。

「もちろん、君のほうが少し距離を置いているが」

「それで? その人は今どうなってるんです?」

 もう先がわかっている内容だったが、だけどギーは聞いてみた。

「死んだよ。たしかやっぱり卒論のときだったかな。彼は逮捕した犯人に同情し、そしてその犯人によって殺された。彼が唯一の理解者だったからだ。だから殺されたんだよ。わかるかい? この意味が」

 サリンジャーは穏やかな目に悲しみの色を湛えて言った。

「君が犯罪者にいれこむようだと、遅かれ早かれそうなる。彼らは最初から裏切ってくる人間よりも、一度信頼した人間に期待どおりの言葉をもらえなかったときのほうが、ずっと傷つき深く恨むものだ」

 ギーはどう答えればいいのかわからなかった。なんとなく、手が首輪をつけられていた首に伸びた。そこをなでさするようにして、

「でもどうすればいいんですか?」

 と聞いた。どうすることもできない、生まれたときからの器質のようなものはどうにもできない。

 サリンジャーはギーの肩に手をおいて、こう言った。

「心を閉ざして生きなさい」

 続く言葉に、ギーは動くことができなかった。

「君が生きていくのに、この世界はあまりに厳しい」

 その台詞はサリンジャーの絶望にどっぷりと染まっていた。

 きっと、かつての生徒にサリンジャーは期待していたのだ。そしてギーにもきっと期待していたのだ。だけどギーがこういうものを呼び寄せることも、きっと彼は予想していたのだろう。だから危険が伴わなさそうな事件の課題を出された。だけど結局、事件に巻き込まれた。

 サリンジャーの“世界”という響きには、犯罪心理学よりももっと広範囲な響きを感じた。ギーが生きていくにはこの世界はあまりに醜すぎる、とさえ感じられるような響きだった。

(そんな綺麗な生き方、していません)

 サリンジャーが去ったあとにギーは胸中呟いた。そんな生き方ができたら、自分はとうの昔に自分を好きになっていたはずだ。



 数ヶ月経ったある日、匿名希望の相手から警察署宛に大きな包みが届いた。

 警戒しながら包装紙を引きはがすと、そのキャンバスには美しい青年の絵が描かれていた。メッセージカードに「happy birthday」と書かれている。

 誰が言わずとも、その絵画のモデルがギーだということは明かだった。

 ギーはその絵を見た瞬間、恐怖と嫌悪に引き攣った顔をして「捨ててください」と検察に言ったが、重要な遺留品だからと捨てるのは拒否された。

「捕まらないって、自慢しているんだよ」

 チェスターが悔しそうに呟いた。また性懲りもなく自分の前に姿を現したりするんじゃあないだろうか。

 言い知れぬ恐怖を感じながら、首に触れた。首輪の感触は今もギーの首を夜な夜な絞めつける。早く捕まってほしいものだと思った。


 そうして事件からかなり経ったある日、ギーはレインマンの元にお礼に行った。

 彼が大好きだと思われるマシマロを箱いっぱいに作って持って行ったらたいそう喜んでくれた。

「あなたにとっては災厄の一週間でしたね」

 レインマンはそう言って、紅茶といっしょにマシマロを食べた。ギーも彼の出してくれた紅茶に口付ける。

「レインマンが僕の救出に一役買ってくれたと、今頃になってチェスターが教えてくれたんです。ただ霊能力を使ってくれただけではなく、実際にアランとも接触してくれたそうで」

「ええ。まあ、それは乗りかかった船でしたから」

 半分は不本意だった、そんな表情だった。ギーは少し申し訳なさそうに視線をそらした。

 レインマンは何も言わずに、もうひとつマシマロを口に運ぶ。

「でも、いいんですよ。大したこともしていないのに、手作りのマシマロをいただけたのですから」

「いえ、命の恩人に対してマシマロしか持ってこない僕のほうこそ。もうちょっとちゃんとした菓子折りを持ってくるべきでしたよね」

「かまいませんよ。アメリカの品のないお菓子よりも僕はあなたのマシマロのほうが美味しいと感じます」

 そう言ってさらにもうひとつマシマロを口にいれる。本当にマシマロが好きなのだなあと思いながら、ギーは聞いた。

「どうして、助けてくれたんですか?」

 レインマンは紅茶を啜りながら、不思議そうにギーを見上げた。

「助けることのできる命をみすみす見殺しにするほど、僕は腐ってはいませんよ」

「立派なんですね」

「あとはそうですね。あなたには何か、絆のようなものを感じたからかもしれません」

 レインマンの口からこぼれた言葉に、ギーは不思議そうに首をかしげる。

「絆、ですか?」

「ええ。ソウルメイトとは違うのですが、特殊な縁を感じます」

 聞きなれない単語に、ギーはもう一度首を傾げる。ともかく、縁があるとレインマンが感じてくれたお陰で自分が助かったことは確かなようだ。

 彼はにっこりと頬笑み、ふと思い出したようにカップをテーブルに置くと、後ろの戸棚を振り返った。

「そうそう、僕も君に渡すものがありますよ?」

 戸棚から宝石箱を取り出し、その中からギーの鈍色の指輪を取り出した。どうして彼がこれを持っているのだろうと思うと続きがあった。

「チェスターくんに返し忘れていました」

「ああ、これ、母の形見なんです」

「ええ。大変強い守護があるみたいですね」

 レインマンはにっこりと笑った。

「あなたが見つかったラベンダー畑のログハウスですけれども、あれが目印で見つかったようなものです。ラベンダーの語源って知っていますか?」

 まったく知らなかったので首を左右に振ると、レインマンは「鉛色ですよ」と言った。

「鈍色の花……それがあなたを守ってくれたんです」

 だからその指輪は大切にするように、とレインマンは言った。

 ギーはその指輪を見下ろした。


 葬儀のときに渡された、母の大好きだったアンティークの指輪は、煤けてさらに鈍い色をしていた。


(了)

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